п»ї 土砂降りのタイ経済と苦境にあえぐ在タイ日系企業 『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第269回 | ニュース屋台村

土砂降りのタイ経済と苦境にあえぐ在タイ日系企業
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第269回

6月 21日 2024年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

oバンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住26年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

2か月にわたる日本出張を終えて5月末にバンコクに戻ってきた。この2か月間のタイに関する情報のブランクを埋めるべく、バンコック銀行の取引先や弊行の同僚からタイの状況にについて教えてもらっている。どうもタイ経済は土砂降りの大雨のようである。

特に在タイ日系企業の業績は総じて悪い。スバル(富士重工業)は5月30日に、スズキは6月7日に、相次いでタイでの自動車の生産事業から撤退を発表した。タイに住む日本人としては、かなりショッキングなニュースである。日系企業は過去数十年にわたってタイに積極的に投資をしてきた。最近になって急激に日本からの投資金額は落ち込んできたが、私はこうした状況に危機感を覚え、「ニュース屋台村」の中でこれまで何度か問題提起をしてきた。

直近では、第256回「タイへの投資は日系企業にとって最適解か?」(2023年12月22日付)で問題点を整理。中国企業によるタイ市場への急速な進出についても、第265回「急増する中国EVと在タイ日系企業の覚悟」(24年4月26日付)の中で指摘してきた。しかし、大手日系企業のタイ撤退は、在タイ日系企業の苦境を白日の下にさらけ出した。今回は、タイの政治経済の現状と日系企業の苦戦について肌感覚で実情をお伝えしたい。

◆自動車販売、30年前の水準に逆戻り?

現在、在タイ日系企業の中で堅調な業績を上げている産業・企業を探すことが難しいようである。タイの製造業で最大規模を誇るのは自動車産業である。そしてこの自動車産業は長らく、日系自動車メーカーの独壇場であった。

タイの自動車販売台数は1996年に59万台まで到達したが、97年のアジア通貨危機により14万台程度まで落ち込んでしまった。しかし、タイは急速に経済回復を実現し、2012年には自動車販売台数は144万台までになった。

この経済回復の裏側では日本政府の経済・技術援助ならびに日系企業の継続的投資が大きな役割を果たした。2010年代に入ると、タイ国内の自動車販売台数は100万台前後で推移するようになる。ところが、コロナ禍によって状況は一変。20年に79万台まで落ち込んだ販売台数はその後回復せず、23年は77万台。今年に入って自動車の売り上げはさらに低迷。このままいくと60万台まで落ち込むことが予想され、30年前とほぼ同じ水準に逆戻りするかもしれない。

自動車部品メーカーの状況はさらに厳しい。「ざっくりとした感触で15%~20%程度は生産が落ち込んでいる」と聞く。従来であれば「6か月ほど先は明るい光が見える」という声も聞いていたが、今回は回復の兆しすら見えないようだ。タイの自動車市場全体が不調な上に、中国企業によるEV(電気自動車)攻勢も激しい。中国のEVは輸入主体であり、在タイ自動車部品メーカーの製造を伴わない。日系部品メーカーの苦境は自動車販売の低迷と中国EVメーカーの攻勢の複合要因によるものだ。

◆1トンピックアップトラックの売り上げ低迷

なぜ、タイの自動車販売が落ち込んでいるのであろうか? タイ政府や自動車会社から聞こえてくるのは「銀行、ファイナンスカンパニーが自動車ローンの基準を引き上げ、与信が付かないからだ」というものである。

私どもバンコック銀行はかねてより自動車ローンを取り扱っていないため、こうした批判からは距離を置ける立場にある。ただし私自身は「銀行悪者論」は配慮が一方に欠けていると考えている。在タイ自動車会社やファイナンスカンパニー、さらにはタイの経済学者などと意見交換をしていると、以下の実像が見えてくる。

①コロナ禍の中で一部のファイナンスカンパニーが120%ファイナンス(自動車購入価格プラス顧客への現金供与)を行ったが、最近になって自動車購入者が現金だけ受け取り、自動車を返却。自動車ローンが不良債権化している

②自動車ローンの不良債権化が顕在化する中で、いくつかの銀行が自動車ローン自体の取り扱いを中止した

③タイの社会構造が変化し、農村部の若者も大学に進学(タイの進学率は51%で日本と遜色〈そんしょく〉なし)。農家や露天商の息子たちが親の仕事を継がず、商用車ニーズが激減

④さらに昨年後半からはセター新政権の下でタイの景気が低迷。工場労働者は時間外賃金が無くなったため、自動車の購入を控えている

こうした要因によってタイの自動車販売が減少しているが、特に郊外の住民や工場労働者が主要な購入層だった1トンピックアップトラック(商用車)の売り上げ低迷が著しい。

◆エアコン、建設・農業用機械も低迷

業況が芳しくないのは自動車産業だけではない。ダイキン、三菱電機、三菱重工、シャープなど多くの日系メーカーが参入しているエアコン業界もタイの一大産業である。ところがエアコンもここ1年、売り上げが20%程度落ち込んでいるもようである。

中国や東南アジアの景気低迷によって全体需要が落ち込んだこと、さらには中国製エアコンの在庫が積み上がり、安価な中国製品が世界中に染み出してきているようである。EVと同じような状況がここでも起っているようである。建設用機械、農業用機械などでも需要の低迷と中国製品との競合の中で、在タイ日系企業の売り上げの低迷は同じである。残念ながら私どもの取引先の中でもタイからの撤退を考えているところがいくつも出てきている。

こうした中で、食品業界の一部からは若干景気のいい話を聞くことがある。日本の衛生基準が世界標準と大きく乖離(かいり)する中で、タイからヨーロッパなどへの輸出を検討している企業が出始めている。このため、工場建設や倉庫建設などの前向きな資金需要が出てきている。タイ国内の日系企業との取引だけを狙った商売は限界にきている。

◆セター政権の無策ぶり目立つ

次にタイ経済全体は振り返って見てみよう。昨年のGDP(国内総生産)成長率は1.9%にとどまったが、今年に入ってからも経済状態は芳しくない。今年第1四半期のGDPの伸び率は年率換算で1.5%とさらに悪化した。タイの生産可能人口(15~64歳の人口)は26年まで成長が見込まれ、3%程度の成長があってもおかしくない。しかし世界銀行は今年のタイのGDP成長率の予想を2.4%にまで引き下げた。年初の3.2%の予測から大幅な引き下げであり、アジア地域の平均経済成長予測(4.8%)と比較しても見劣りするものとなっている。

こうしたタイ経済の低迷を引き起こした原因として、最初に挙げられるのが、セター政権による政治の無策であろう。本来、去年10月から実施されていなければならない政府予算の執行が今年4月末にようやく開始される運びとなった。しかしこの7か月の間にタイ経済はすっかり冷え込んでしまい、通常の政府予算の執行では景気浮揚のきっかけにもならない感じである。

私はタイの状況について、拙稿第253回「タイはセター政権で何が変わるのか」(23年11月3日付)の中で悲観的な予想をしていた。それは、①セター内閣は連立“野合”内閣のため、政党単位の施策に終始する②このためセター首相は自己の権限内でバラマキと外資誘致だけに専念する③人質化しているタクシン元首相の指導力には限界がある――などである。

残念ながら現在はこうしたことが現実化している。各党をまとめきれないセター首相は抜本的政策が打ち出せず、政策の実行も遅れる始末。唯一ともいえる無節操な外資誘致は唯一、中国だけが飛びつき、中国国内で過剰在庫となった製品の輸出先としてタイが選ばれてしまった。セター首相はこうした現実に目を背けているようにしか思えない。政治家が自らの名声と利権に目がくらみ、国内経済や国民を考えなくなったのは、世界の潮流なのかもしれない。

◆拡大する一方の貧富の差

次に問題となるのは「タイ社会の貧富の差の拡大」である。

社会的貧富の差を測る指数として「ジニ係数」がある。ジニ係数は1と0の間で数値が設定され、1に近づくほど貧富の差が開いていることを表す。もとより階級社会のタイではこのジニ係数が高く、コロナ禍以前の19年の数値は0.43。同時期の日本のジニ係数は0.334で、タイは日本に比べてかなり貧富の差が激しい。日本はコロナ禍の2年の間に貧富の差が広がり、21年にはジニ係数が0.381まで拡大した。タイも同様にコロナ禍で貧富の差が拡大したようである。

一方、タイのGDPに占める家計債務の割合はコロナ禍前の19年は79.9%であったが、直近の23年には91.3%まで膨れ上がっている。コロナ禍の中で収入を失った中・低所得者層が借り入れに走ったため家計債務が急増したのだが、コロナ禍が明けても家計債務の増加に歯止めがかからない。景気の低迷で収入が増えずインフレも進行していることから、低所得者層の生活は追い込まれている。

他方で、金持ちはより一層金持ちになった。米経済誌フォーブスが毎年発表している世界の富豪(10億ドル以上の資産家)で、タイは18年には19人リストアップされていたが23年には28人に増加している。ドル建てGDPでタイの8倍を誇る日本が41人しかリストアップされていないことと比較すると、タイの貧富の差のひどさとその拡大具合が見て取れる。

この貧富の差の拡大がタイ経済の回復への重荷となっている。もはや一時的なバラマキ政策で解決できるレベルではない。富の再分配のためには抜本的な税制改革や社会福祉政策の導入が必要だが、セター政権にはこうした施策の導入は望めない。タイは当面、混迷の時代を迎えるのかもしれない。

※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り

第256回「タイへの投資は日系企業にとって最適解か?」(2023年12月22日付)

https://www.newsyataimura.com/ozawa-136/#more-14408

第265回「急増する中国EVと在タイ日系企業の覚悟―中国 見たまま聞いたまま(その4完)」(24年4月26日付)

https://www.newsyataimura.com/ozawa-146/#more-14755

第253回「タイはセター政権で何が変わるのか」(23年11月3日付)

https://www.newsyataimura.com/ozawa-133/#more-14318

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