п»ї 解任請求のセター首相と不敬罪被告人のタクシン元首相タイ上院選後の政治経済の行方『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第271回 | ニュース屋台村

解任請求のセター首相と不敬罪被告人のタクシン元首相
タイ上院選後の政治経済の行方
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第271回

7月 26日 2024年 国際

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

oバンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住26年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

タイで政治の混迷と経済の泥沼化が進んでいる。まず、この1年のタイ政治の動きを簡単にふり返ってみよう。

下院選挙(2023年5月14日)を経て、タイ貢献党のセター・タウィーシン氏が首相指名選挙を勝ち抜いたのは、ほぼ1年前の23年8月22日のことである。下院選で第1党になった民主派の前進党を外し、第2党のタイ貢献党が軍人政党などとの“野合”により、セター氏を新首相に選び出すのに3か月もかかった。

セター氏が新首相に選出された2回目の指名選挙と同じ8月22日に、タクシン・チナワット元首相が15年にわたる海外亡命生活を終えて帰国。亡命中に汚職の罪などで禁錮(きんこ)8年の実刑判決が確定したタクシン氏は収監されたが、体調不良を訴えてその日のうちに警察病院に移送。その後、国王の恩赦を受けて量刑は1年に減刑。司法当局は高齢や病気などの状況を考慮し、今年2月には入院していたタクシン氏を仮釈放した。刑期が大幅に減刑されたうえ、半年での仮釈放というあまりにも露骨なタクシン氏と保守派の取引によって、タイ貢献党は従来の民主派の看板を下ろし、体制擁護の政権党へと早変わりした。

こうした状況下でセター政権に何ができるだろうか。私は、拙稿第253回「タイはセター政権下で何が変わるのか」(2023年11月3日付)で、タイの政治と経済の停滞を予測した。残念ながら、私の浮かない予想は当たってしまったようである。否、さらに悪い方向に向かっている。セター政権発足からまもなく1年。この間にタイの政治経済に何が起こり、その行方はどうなるのだろうか。

注目集めるタクシン元首相の動向

人の主義主張や性格はなかなか変われない。「目立ちたがり屋」のタクシン氏も例外ではない。「保守派との密約により活動を控えるだろう」と思われていたが、2月の仮釈放からほどなくして対外的な発言を繰り返すようになってきた。タクシン氏は政権党であるタイ貢献党の事実上のオーナーで、タイで8番目とされる財閥を率いており、その発言に注目が集まるのも当然だろう。

こうしたタクシン氏の動きを不快に思う人も出てくる。枢密院議員で元陸軍司令官であるアピラット・コンソムポン氏がまずツイッターで反応した。真偽のほどはわからないが、アピラット氏は昨年5月にマレーシア北部のリゾート地ランカウイ島で、タクシン氏と帰国の条件について交渉したとされる人物である。アピラット氏のツイッター上の批判は、タクシン氏への警告であったに違いない。しかしタクシン氏はこれを無視、これによって事態は動いた。

セター首相は4月に内閣改造を断行。自身と政党のためによく働いた政治家への論功行賞と、自らの権力を誇示するため1年ごとに内閣改造を行うのは、タクシン氏の首相当時の常套(じょうとう)手段だ。内閣改造でタクシン氏の元顧問弁護士ピチット・チュンパン氏が首相府相に就任したが、これにケチが付いた。ピチット氏は08年、タクシン元首相の汚職疑惑をめぐる裁判で、タクシン氏の弁護士を務めた際に判事にわいろを贈ったとして逮捕され、法廷侮辱罪で禁固6か月の判決を受けて服役。そのピチット氏を首相府相に起用したのは「政治倫理に関する憲法規定違反である」として、元上院議員40人がセター首相とピチット首相府相の解任を求めて5月に憲法裁判所に提訴し、正式に受理された(判決は8月14日の予定)。上院議員は軍事政権下の2019年に国家統制機関・国家平和秩序評議会(当時)の任命によって選出されており、保守派で占められている。これら保守派がタクシン氏及びセター首相に揺さぶりをかけてきたのだ。

一方、検察当局は5月、タクシン氏の過去の発言について王室への中傷を禁じる不敬罪にあたるとして起訴する方針を明らかにした。これを受けてタクシン氏は「病気のためすぐには裁判所への出廷は難しい」旨を発表、出廷は6月18日に延期された。この間にどのような交渉が行われたのかはわからないが、タクシン氏は6月18日に起訴され、同日付で50万バーツ(約2200万円)の保釈金で収監を免れた。しかし、タクシン氏はこの起訴により再び被告人となった。不敬罪には時効がないため、今回の起訴で同氏は一生、十字架を背負うことになった。

◆気になるプームジャイ党の躍進

一方、タイの政治は6月、大きな転換期を迎えた。5月に任期満了となった上院は6月に選挙を実施。従来の上院議員は国家平和秩序評議会による任命制で、保守派が大勢を占めていた。しかし今回は、選挙によって選ばれたのである。

「世界一複雑な選挙」とされるタイの上院議員選挙は、政党色を消すため地域と職業でグループを作り、数回の互選を経て200人の議員を選ぶ。政党関係者が選挙に介入することは禁止され、かつ候補者は政党に入党できない。上下両院の性格を分け、一党独裁による政策決定ができないようにした、ある意味で理想的な選挙制度である。

しかし、上院選挙の結果をみると、下院第3党(議席数71)のプームジャイ党に近い議員が120議席を占めた。同党以外では下院第1党(議席数151)の前進党が18議席、第2党のタイ貢献党(議席数141)が12議席と、各党に近い候補者が議席を獲得したが、プームジャイ党との差は大きい。上下両院議員数を合計すると、タイ貢献党の153議席(141+12)に対してプームジャイ党は191議席(71+120)と立場が逆転した。今回選出された上院議員は首相指名権がないため単純比較はできないが、憲法裁判所の裁判官の任命権や重要法案の拒否権などを持つ。

プームジャイ党はこれまで以上に大きな力を持つことになる。プームジャイ党はそもそも、東北部や北部を中心とした地方ボスらの政党である。地方をくまなく抑えている地方ボスにとって、今回の上院議員の選出方法は彼らの強みを存分に発揮できる都合の良いやり方である。

今回の上院選挙ではタクシン氏とタイ貢献党はほとんど動かなかったとされる。その証拠に、タクシン氏の妹婿(むこ)で元首相のソムチャイ・ウォンサワット氏が、タイ貢献党の地盤であるチェンマイで落選した。バンコク都市部の下院議員は「上院選でのタイ貢献党の支援が不十分だった」として同党からの離脱を宣言。タクシン氏の政治的影響力は大幅に低下したとみられている。

◆タクシン氏とセター首相の間にすきま風?

タクシン氏は5月末ごろから政治的な発言を控えるようになった。タクシン氏は去年8月に帰国して以来、共に海外亡命を続けていた妹であるインラック元首相の帰国について言及してきた。ところが5月以降、インラック氏に対するコメントは全くしていない。タクシン氏とは別に「インラック氏を快く思わない保守層」が存在し、彼女の帰国のタイミングが遠のいたのかもしれない。

タクシン氏は7月に1か月半ぶりに一般の前に姿を現した。タイ東北部の中心都市の一つスリンで行われたワチラロンコン国王の72歳の誕生日記念式典である。タイは中国文化の影響を受け、十二支に関連する12年×6(12年の半分)にあたる72歳という年齢は特別な意味を持つ。この72歳の誕生日をタクシン氏が一般の前で祝ったのである。従来、保守派と対峙(たいじ)してきたタクシン氏としては大きな心境の変化とみられる。大幅な減刑を経て仮釈放された同氏に対し、一定数の国民は疑惑の目で見るようになってきた。

タクシン氏が保守派の「操り人形」となれば、タイ貢献党の指導力はさらに低下する。上院選挙後、プームジャイ党は大麻解禁とタイ貢献党が抑えている保健大臣のポストを公然と要求するようになった。上院議長にはプームジャイ党に近いモンコン元ブリラム県知事が就任。閣議ではタイ貢献党とプームジャイ党が激しいつばぜり合いを行っているとされ、セター首相率いるタイ貢献党は受け身に回りつつあるようだ。

セター首相の立場も弱くなっている。首相は「外遊による外国資本の誘致成功」と8月に計画されている「デジタル通貨配布」を自分の実績だと主張している。しかし、外資の誘致は中国への恩恵付与しか意味せず、安価な中国の輸入品が「ラザダ」や「ショッピー」などのEC(電子商取引)を通じてタイ国内であふれ返っている。これらがタイの製造業に打撃を与え、タイ経済に悪影響が出ていることには見向きもしない。デジタル通貨配布についても、農業銀行からの借り入れを断念。ここにきて政府の緊急時借り入れ制度の活用も、法律に抵触する可能性が皆無でないため、ピチャイ財務大臣は踏み込めずにいる。

セター首相はさらに、不動産市場の低迷から外国人による不動産購入の上限緩和や市場金利の引き下げを提案。しかしこれらの施策は、首相が最高経営責任者(CEO)を務めていた不動産開発大手センシリをはじめとする不動産業界への利益誘導ではないかという批判が沸き起こっている。

こうした批判はタイ貢献党の幹部からも出ているようである。タイ貢献党は現在、セター首相派、ペートンターン(タクシン氏の次女)派、左派強硬派、スリヤ副首相ら地方ボス集団、の四つの派閥に分かれている。このうちセター首相批判の急先鋒(ぽう)は、タクシン氏も支援するペートンターン派とされ、タクシン氏とセター首相の関係も一枚岩ではなさそうである。

◆「代わりになる首相」不在、セター氏続投か

タイ政治はこうした不安定な状態が続いているが、私はセター氏が当分、首相職を続けるだろうとみている。代わりになる首相候補がいないからである。

現行憲法下では首相職に就けるのは、前回下院選挙時に首相候補として登録された人だけである。セター氏以外にはタイ貢献党からはタクシンの次女ペートンターン氏しかいない。タクシン氏の指導力に陰りが見える中で、ペートンターン氏が首相の座につけばインラック元首相の二の舞になりかねない。タクシン氏の元妻であるポチャマン氏が、娘の首相就任に強硬に反対しているのもうなずける。保守派としては、「指導力のないセター首相が続投する」ほうが安全である。

前掲の拙稿第253回でも指摘したように、現在の政権は利権に関係する大臣ポストを各党で分配して成り立っている。このため、各省庁を抑えた政党単位の施策しか出てこず、政権全体の統一した施策として展開するのはほぼ不可能である。各党とそのバックにつく財閥にとって、現在の体制は自分たちの利権を守るのに好都合である。タイ貢献党の力が弱まれば、こうした傾向がいよいよ強まる。「代わりになる首相」がいないから現在の首相が居座り続ける構造は、どこかの国とそっくりである。

タイ内閣改造(4月28日)後の主要閣僚

※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り

第253回「タイはセター政権下で何が変わるのか」(2023年11月3日付)

https://www.newsyataimura.com/ozawa-133/#more-14318

 

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