п»ї セター首相解任とタクシン傀儡政権の成立タイ密室政治の魑魅魍魎 『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第277回 | ニュース屋台村

セター首相解任とタクシン傀儡政権の成立
タイ密室政治の魑魅魍魎
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第277回

10月 18日 2024年 国際

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

oバンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住26年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

タイ憲法裁判所は8月14日、セター首相の即時解任を命じる判決を下した。多くの人にとっては「寝耳に水」の判決であった。かくいう私もその1人である。「ニュース屋台村」第271回(7月26日付)で、私はセターの首相続投を予想した。読者には申し訳ないが、大外れであった。その後、タクシン元首相の次女であるペートンターン・シナワットが37歳の若さで首相に就任した。

セター首相解任からほぼ2か月。タイの政治経済はペートンターン首相の下でどのようになっていくのであろうか? この2か月に起こったことを読み解きながら、今後のタイの政治経済の行く末を考えてみたい。

◆セター首相解任の真相は?

タイでは今回のセター首相解任のように、予測不可能な政治劇が時々起こる。クーデターなどはその最たるものであるが、政治が密室で決められるからである。しかしこうした政治劇の背景を理解しないと、タイで仕事をする上での適切なビジネス判断ができない。

まずは、セター解任の背景について考えてみたい。セター首相の解任は憲法裁の裁判官(9人)の評決で賛成5、反対4で決定された。当初の予想では、セター首相は続投すると思われていた。セター首相の解任が決定された8月14日は、首相代行のプムタム副首相はカザフスタンに、ペートンターン貢献党党首は中国にそれぞれ外遊中で、セター首相解任の報を受けて慌ててタイに帰国したのである。

なぜ予想と異なった決定が下されたのであろうか? 素人考えではあるが、以下の3つの可能性がある。①保守派の強い意向が反映されて最終的に解任に至った②憲法裁の裁判官の自主判断で採決されたが、刑事裁判所の判事や政治家出身の裁判官のうちタクシン嫌いな人が最終的にセター解任に投票した③タクシンが裏で動き、セター解任を画策した――。これら3つうち当初もてはやされたのが①である。「保守派がタクシンの動きをけん制してセター首相を解任に追いやった」というストーリーである。

確かに、「タクシン嫌いの保守派がタクシンをけん制する意味で憲法裁に訴えを起こした」ところまでは事実である。しかし、セター解任が保守派一同の総意であったならば、評決結果は賛成・反対の数は9対0もしくは8対1になっていたであろう。

それでは、②の憲法裁の裁判官の自主判断による結果なのであろうか? しかし、タイのSNSの予測では「賛成3、反対6でセター解任は回避される」と見込まれていた。こうした予測は決して推測だけで話されない。それが判決直前でひっくり返ったとなると「何かの力が働いた」と考えてもおかしくない。

「タクシンがセター解任を主導した」といううわさが一部で広がっている。タイ貢献党の政治家の間では元々、「セターの首相としての能力の低さ」に失望感が広がっていた。セターは不動産業界で成功を収め、起業家としての実績がある。また立派な体躯(たいく)で人当たりが良い。セターに会ったことがある日本人の中には好印象を持つ人が多い。しかし、セターは政治家としては経験も実績もない。デジタル通貨や外資誘致など自分の思い付きをしゃべるだけで何ら実績に結び付かない。

このため、身内であるタイ貢献党の政治家たちからも、彼の能力・手腕に疑問符が投げかけられていた。「首相は早急にアヌティン・プームジャイ党首かペートンターン貢献党党首に代えなければならない」と同僚議員らからも陰口をたたかれる始末。拙稿第271回でも指摘したとおり、タクシンも最近ではセターの能力に見切りをつけ、2人の間には隙間風が吹いていたように見える。さらに、セターの頑固な性格も災いとなった可能性が高い。

◆実質タクシン政権の樹立を目指す

タクシンの性格は「絶対権力者」であり、自分が特別扱いされないと気に食わない――。彼の人となりを知る人はすべからくこう言う。タクシンとセターの関係で言えば「英雄並び立たず」ということなのであろう。タクシンは以前にも傀儡(かいらい)政権として擁立したサマック首相のクビを短期間ですげ替えたことがある。

タクシンとセターの間に隙間風が吹いていた状況証拠はある。セター解任劇の数日前に行われたタクシンの自宅での誕生会に、セターは出席しなかった。また、うわさ話ながら、タクシンの妹であるインラック元首相とセターは「親密な仲」といわれている。セターがタイ貢献党の首相候補に選ばれたのもインラックの強い推薦があったからである。

タクシンとインラックの兄妹は共に助け合いながら海外亡命を続けた。タクシンはタイに戻ってからも折に触れて「インラックの帰国」をメディアに訴えていた。ところが、ここ3か月ほどタクシンはインラックの帰国について言及しなくなった。さらに、前述のタクシンの誕生会に、インラックは今年、毎年恒例の祝いのメッセージを寄こさなかった。「セターの解任を機にタクシンとインラックは仲たがいした」と推測するのはうがちすぎであろうか。

セターの解任劇は誰がどのように仕掛けたのか、私にはわからない。ただし、この密室の解任劇を読み解くと、タクシンの権力基盤が明らかに強くなっていることがわかる。実際にタクシンがセター解任劇の黒幕でなかったとしても、こうしたうわさが出ること自体がタクシンの力が増していることの証左である。

タクシンはセター解任が決定すると即日、与野党の有力政治家を自宅に呼び寄せ、「次期首相選び」を主導した。当初、貢献党で3人登録していた首相候補の1人であるチャイカセム氏を推すことで決まったという報道もあった。ところが、翌日には急転直下、ペートンターンの首相就任が決まった。これも密室でのやり取りであり、理由はわからない。①保守派の強い要望で「人質」としてペートンターンを差し出した②首相職に強いこだわりを持っていたプラウィット元副首相を断念させるため、芝居を打った③ペートンターンの首相就任に反対していたタクシン元夫人のポチャマンを説得するための時間稼ぎ――なども推測できるが、どれも真偽のほどはわからない。まさに魑魅魍魎(ちみもうりょう)としている。

しかし、ここでわかることは「タクシンが腹をくくって自ら政権運営をする」覚悟を決めたことであろう。ペートンターンは政治的能力については未知数ながら、性格はタクシンによく似ているといわれる。そんな彼女を前面に押し立て、実質タクシン政権の樹立を目指したのである。

◆連立政権の盲点と弱点

では、タクシンが差配するこの傀儡政権で、タイの政治経済はどのようになっていくのであろうか。

タイは2001年に発足したタクシン愛国党政権時にアジア通貨危機からの急速な回復と中進国入りを果たして経済成長を成し遂げた。そうした意味ではタクシンは「伝説の人」であり、その実力は折り紙付きである。そんなタクシンの復活だからこそ、タイの再度の経済成長を期待する声は大きい。

しかし、愛国党当時の環境と現在を比較すると大きな差がある。最も大きな差は、当時の愛国党は下院の過半数を占める単独政権であったが、貢献党は現在、下院第2党で連立政権を余儀なくされていることであろう。拙稿第271回でも指摘したとおり、連立に参画している各党は大臣を送り込んでいるそれぞれの省庁の利権を握っている。このためタクシンといえども、内閣横断型の政策は組みにくい。

さらに、それぞれの各省庁の背後には政商がうごめいており、政商の利権に切り込むことも困難である。タイは過去20年の経済成長とともに、大きな産業グループができ上がり、発言力も増した。20年前はアジア通貨危機の中で経済界も官僚も力を失っていた。

現在のタクシンにはいくつもの潜在的抵抗勢力がいる可能性が高い。議会内でも上院議員選挙を制したプームジャイ党の力が増してきている。上院議員200人のうち現在ではすでに180人が何らかの形でプームジャイ党の影響下にあるともいわれている。

プームジャイ党は利権を求める地方ボスの集合体である。このためプームジャイ党に利益配分をしなければタクシンは政権運営ができないであろう。もちろん、タクシンはこうした事態に手をこまねいているだけではない。講演会や企業献金などで金を集め、民主党や野党の一部を切り崩して下院で自らの勢力を増やそうと画策しているようである。しばらくは水面下での政治ゲームが続きそうである。

タクシンがもう一つ逆風にある背景は、彼の15年に上る亡命期間である。この15年でタイは大きく変わった。こうしたタイの変化をタクシンは肌身で感じていない。

タクシンは果たして今後適切な政治経済政策を仕掛けることができるのであろうか。9月に入ってペートンターン首相はパンサック・ウィンヤラットなど5人の長老を経済チームとして任命した。パンサックは2001年のタイ愛国党政権時代にタクシンの首相顧問を務めるなど、タイではその能力を高く評価される人である。しかし彼も80歳と高齢で、ほかの4人もいずれも古い世代の学者たちである。能力がある人たちであることは折り紙付きながら、現代の政治経済施策に適応できるかは未知数である。

さらに、タイ貢献党は愛国党当時の政権から遠ざかって10年がたつ。タイ政府の官僚たちは愛国党政権当時から入れ替わり、現在の官僚たちへの人脈がない。現在の高級官僚は軍部やプームジャイ党の人たちに近い。タクシンがこの官僚たちを使いこなすにも時間がかかることであろう。

◆タイ経済の現況に対する日タイの見方の差異

こうしてみると、タクシンが復活したからといってタイの政治は盤石な状態ではない。能力の高いタクシンだから、いずれ各局面では事態を打開する可能性は高い。しかし大きな流れをみると、タイの政治は「タクシン派」「軍部など保守派」「改革を唱える国民党(旧前進党)」の3つの勢力に分かれており、いずれも絶対的な力を持ち合わせていない。

こうした不安定な政治状況は、利権を追い求める人にとっては好都合である。「軍部など保守派」「タクシン派の一部」「プームジャイ党などの地方ボス」、さらには「経済界の政商」などである。タクシンが奮闘したとしても、この大きな壁を崩すのは一筋縄ではいかないと思われる。こう考えると、ペートンターン連立政権でも横断的な政策の展開は難しく、現在のいびつな政権構造がズルズルとあと3年続く可能性が高いかもしれない。こうなると、タイ経済の飛躍的な回復は難しい。

ここで一つ、在タイ日系企業の人たちに警鐘を鳴らしておきたい。

タイの政府機関、学者、実業界の人たちからヒヤリングをして、私が一番驚いたのが「現在のタイ経済はそれほど悪くない」というタイのエリート層の認識である。私たちが普段接する日系企業の人たちからは、業績の落ち込みを嘆く声が多く寄せられる。日本人の感覚からすると「タイ経済は土砂降り」である。

しかし、タイのエリート階級の人たちからは「タイは観光客が戻り、農産物などの輸出も好調。サービス業の好調に支えられて今年は2.5%の成長が見込まれる」などの声が多い。もちろん、バンコクに住む富裕層・上流階級の意見に限定されるのかもしれない。

しかし、「業績が悪く問題なのは日系企業だけだ」などと公言するタイ人もいた。もし、タイのエリート階級が本当にこのように思っているのならば、在タイ日系企業の業績回復に結び付くタイ政府の経済政策など望むべくもない。日系企業は褌(ふんどし)を締め直し、自力で事態を打開する覚悟が求められている。(文中一部敬称略)

※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り

第271回「解任請求のセター首相と不敬罪被告人のタクシン元首相―タイ上院選後の政治経済の行方」(2024年7月26日付)

https://www.newsyataimura.com/ozawa-153/#more-15101

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