小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住27年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
昨年(2024年)2月に続き、今年も3月に10日間ほど中国を訪問してきた。「ちょっと行っただけで中国の奥深さがわかるはずはない」と揶揄(やゆ)する人もいたが、行かないよりは行った方がわかることはある。「百聞は一見にしかず」である。
そうは思いつつも、「たった1年で大きな変化はないだろう」とたかをくくっていた。とんでもない間違いであった。中国の変化のスピードは予想以上に速い。今回も、私の肌感覚の中国の実像を報告したい。
◆内巻
まず驚いたのが、この1年で中国が海外に開かれたことであろう。昨年初めには、中国政府はすべての外国人に対して入国ビザを要求していた。ところが今年は観光や商用でも30日の滞在まではビザが免除されている。このため入国が格段に楽になった。
昨年のビザ申請時には、家族構成や職業区分など詳細な情報の提出が必要であった。また入国時の審査も厳しく、空港の入国審査場には長蛇の列ができていた。さらに、昨年は深圳(シンセン)以外は英語がほぼ通じなかったが、今年は英語が使える場所が増加した。コロナ禍による強力なロックダウンのダメージから脱して、人出は急速に回復している。
春節明けだというのに、上海の外灘(バンド)など観光地には中国人旅行者があふれ返っていた。携帯電話を使ったQR資金決済も、アリペイに加えWeChatが使えるようになり、格段に便利になった。昨年はコロナ禍の影響からほとんどのレストランでの料理の注文は面前を避けて中国語のQRでしか受け付けていなかった。このため外出先での食事は困難を極めた。今年は数多くの店で口頭による注文が可能となり、一人でも街のレストランに繰り出すことができた。
街に活気は戻ってきたが、中国で働く日本の人たちに聞くと「中国の景気は良くない」と言う。中国政府は、昨年5%成長を達成したというが人々に実感はない。
2014年に生産年齢人口がピークアウトした中国は、いわゆる「失われた30年」に突入したと私は考える。人口ボーナスが終了して民間最終消費が弱くなっている。世界を見渡してみても、生産年齢がピークアウトしたあとも実質GDP(国内総生産)が堅調に成長している国は北欧の数か国に限られる。
今回、中国各地で「内巻(ネイジュアン)」という言葉を耳にしたが、デフレ経済状態を指す言葉のようである。春節以降の労働者の職場復帰率は90%程度で、従来に比べて離職率は極端に減少している。新たな職を見つけるのが難しいのである。若年労働者の失業率は15.7%に上り、これらの人はUber EATSなどの配達員の仕事くらいしかない。
こうした非正規労働者は一節には8千万人にも上る、といわれている。また現在、食料や物品の配送料は1件20円から30円くらいと極めて安く、これらも中国のデフレの要因となっている。30年以上にわたってデフレ経済に安住して、いつの間にか「貧しい国」に転落したどこかの国を想像してしまう。
◆崩れた「勝利の方程式」
中国経済で最大の懸案事項の一つが「過剰不動産と不動産価格の下落」である。今回私が訪問した北京や上海など大都市でも、建設がストップしているようなプロジェクトが散見された。しかし本当に深刻なのは内陸部の二級クラスの地方都市のようである。
中国に住む日本人に聞くと「大都市での不動産価格は下げ止まってきた」と言う。上海では一部新たなビル開発が始まったとも聞いた。ところが実際に中国人に聞くと、上海でも「相変わらず不動産価格は下がっている」と言う。自分で不動産物件を持っている中国人は、不動産価格の動向に敏感に反応する。中国人にとって不動産価格が下落するのは初めての経験であり、将来への不安から消費より貯蓄に走る。いくつかの都市のブランド街を歩いたが、閑古鳥が鳴いていた。これに対してユニクロ、無印良品、ニトリなどは中国人でにぎわっているそうである。ここでも日本の「失われた30年」に状況は似てきた。
「中国の不動産不況は、日本のバブル崩壊とは様相が違う」と教えてくれた人がいる。日本のバブル崩壊時には不動産会社、民間企業、銀行が傷ついた。しかし中国の不動産不況は不動産会社、地方政府、個人投資家の3者が大きな痛手を負っている。
地方政府が不動産会社と組んで積極的に都市開発を推進。道路や電力などのインフラを整えるとともに、マンションを大量に建設し、その販売で資金を回収した。この不動産投資に資金を出したのが個人投資家である。マンション建設前から各部屋を「青田買い」し、転売を繰り返すことで利益を上げる。マンション完成時には部屋の価格は2倍、3倍に跳ね上がっている。こうして不動産会社や開発主体である地方政府は金融機関からの借り入れを最小限に抑えるのである。
ところが不動産バブルの崩壊による不動産価格の暴落により、この「勝利の方程式」が崩れた。不動産開発を積極的に推し進めた地方政府、不動産会社、個人投資家が大きく傷ついたのである。
◆海外展開を積極推進
ここで私たちが気を付けなくてはいけないのは、中国の民間企業は不動産バブルの崩壊によって痛手を負っていないことである。この点が日本と中国の不動産バブル崩壊の大きな相違点である。しかも、中国の民間企業は自国経済の低迷を受けて、海外展開を積極的に推し進めている。私が住むタイをはじめとして、東南アジアでは中国企業の進出が激増している。
タイへの海外からの直接投資金額は長らく日本が首位を保っていた。しかし3年前から中国に首位を奪われ、タイの工業団地は売り物件がないほど中国企業に買いあさられている。昨年8月にドイツを視察してきたが、欧州も中国企業の進出ラッシュである。繰り返しになるが、これら海外進出をもくろむ中国企業は、不動産バブル崩壊からは無縁の強い中国企業である。
すでに海外で基盤を築いている在外日系企業は、これら中国企業の進出によって足下をすくわれかねない。日本の政府機関やコンサルタントの人からは、これら中国企業の日本や東南アジアへの進出相談が多く持ち込まれていると聞いた。ここにも「使えるものは何でも使ってやろう」という中国人の貪欲(どんよく)さが感じられる。
◆日本のマンションはお買い得?
今年の全国人民代表大会(全人代)は、私が中国訪問中の3月5日から11日まで開催された。今回の全人代での注目点は3つあるとある人から聞いた。
1点目は中央政府から地方政府への資金繰り支援強化である。当面切迫した政治日程のない中で、習近平国家主席にとって唯一の懸念事項が中国共産党下級党員の離反である。下級党員の多くは地方政府の職員として働いている。ところが不動産バブル崩壊で傷ついた地方政府は、昨年から職員給与の遅配という事態を引き起こした。下級党員の支持こそが習主席の権力基盤である。これら下級党員の支持を取り付けるため、中央政府から地方政府に資金が流されるようになったという。また地方政府の資金繰り対策として、地方融資平台(地方政府の金融会社)が借り入れている短期借入金を長期地方債へ乗り換えさせている。
注目点の2つ目は、供給重視経済から需要重視経済への転換である。国民の消費財買い換え支援資金として、中国政府は昨年の2倍にあたる6兆円の財源を用意した。かなり中国経済が冷え込んでいる証左のような気がする。
3つ目の注目点は、中国政策の産業高度化目標である。中国は需要重視経済に切り替えようとしているが、国家としての技術力保持には手を抜かない。今年の全人代では産業高度化を目指す領域として「バイオテクノロジー・脱炭素(水素など)・量子化・AI(人工知能)・6G」が挙がっていたが、昨年まで目標に掲げられたバッテリーや電気自動車(EV)は重点産業に入っていない。すでに中国国内では過当競争に入っているバッテリーやEVは過去の産業になったということなのであろうか。
もう1つ気になる話が「中国人の海外進出」である。上海の中国人数人と雑談して聞いてきた話である。彼らの多くが日本のマンションを所有していた。「日本は上海から2、3時間で行けて、不動産を個人所有できる(中国の住居不動産は国からの70年リース)。また日本のマンションは1億円と安く手に入る」と平然と言う。みんな普通のサラリーマンの人たちである。
調べてみると、上海のマンション価格は東京23区の1.5倍ほどする。アベノミクスで日本の円は2012年9月の1ドル=78円から今年1月の1ドル=155円とほぼ半分まで下落した。中国の金持ちにとって現在の日本の不動産はかなりのお買い得である。
そういえば最近の東京の高層マンションは、売り出し時期から建設完了時期までの間に価格が大きく跳ね上がっていると聞く。前述したように、中国人による不動産購入のやり方の特徴が色濃く反映されている。中国人はタイでもマンションを買いあさっている。中国企業とともに、中国人の日本およびアジア進出が活発化しているようである。(以下、次回に続く)
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