小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住22年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
バンコック銀行日系企業部には、新たに採用した行員向けに「小澤塾」と名付けた6カ月の研修コースがある。この期間、銀行商品や貸し出しの基本などを、宿題回答形式で、英語で講義を行う。この講義と並行し、日本人新入行員として分析力、企画力などを磨くため、レポートの提出を義務づけている。今回は、昨年12月に「小澤塾」を卒業した福田禅さんのインドに関するレポートをご紹介したい(注=本文中の図表は、その該当するところを一度クリックすると「image」画面が出ますので、さらにそれをもう一度クリックすると、大きく鮮明なものを見ることができます)。
- インドについて
急速に国際的地位を向上させているインド。広大な国土を持ち、多くの人口を抱えるインドは最後の大国になるとも言われている。成長著しいインドであるが、経済を成す産業には、歴史・宗教が背景にあるなど他の国にはない特徴もある。インドの歴史的な背景も鑑みつつインド経済と主要産業を理解し他国とも比較しながら、今後我々がインドとどのように向き合うべきか考察したい。
(1) 歴史
インドの歴史はインダス文明から始まる。インダス文明を興したのは先住民のドラヴィダ人と言われているが、彼らを駆逐する形で北西インドより侵入してきたのがアーリア人である。アーリア人はドラヴィダ人を支配する過程でヒンドゥー教の根幹を成すバラモン教、カースト制度を誕生させた。現在のインドにおいてカースト制度による差別は違憲とされているが、農村部を中心にその宗教的背景は色濃く残っている。インド史においては宗教が時には王朝を繁栄させ、時には衰退のきっかけとなった。
インド年表
(2) 宗教
まず、インド人の信仰する宗教の割合と特徴を把握する。
【図1】 出所:2011国勢調査
インドの圧倒的多数派はヒンドゥー教徒である。イスラム教徒、キリスト教徒、シク教徒、ジャイナ教徒、仏教徒は割合から見れば少数派であるが、インドの総人口数を考えればその数自体は多い。
次に、インドを考察するに当たり、圧倒的多数派であるヒンドゥー教の成り立ちとインド産業構造の背景ともなる特異な身分制度、カースト制度の特徴を理解する。
①インドにおけるヒンドゥー教の成立と発展
<インド宗教の流れ>
出所:町田宗鳳監修「すぐわかる世界の宗教」
古代インドでは、カースト制度の敷くバラモン教の全盛時代であった。しかし紀元前5世紀頃から、バラモン教の支配的な教義に懐疑的な思想が現れ、反バラモンの思想をもつ仏教、ジャイナ教が誕生した。
8世紀ごろからイスラム教徒のインド進攻が始まり、13世紀初めに最初のイスラム王朝(奴隷王朝)が出来、そしてイスラム教がインドに拡大した。イスラム政権は民衆にイスラム教を強制する時期もあったが、比較的ヒンドゥー教に寛大な政策をとった。
しかし、18世紀インドを支配したイギリスがイスラム教徒とヒンドゥー教徒を反目させる政策をとり、両者の溝は深まった。この結果、1947年インドが独立時、ヒンドゥー教を信仰するインドとイスラム教を信仰するパキスタンは分離独立することになった。
②カースト制度
カースト制度とはヒンドゥー教の伝統的身分秩序。ヴァルナ(生まれ)、ジャーティー(職業集団)から成り、4階級の下に不可触民がいる。現代カースト制度による差別は憲法により否定されているが、農村部を中心にいまだに色濃く残っている現状がある。
他宗教と比較してもカースト制度による身分秩序は特異である。ちなみに他宗教からヒンドゥー教へ改宗することは可能であり歓迎される。ただし、その場合、身分は下層カーストのシュードラとなる。また逆にヒンドゥー教から他宗教への改宗も可能である。下層カーストが低位身分による虐げから逃れるために、平等を唱える他宗教へ改宗することはあるが、ヒンドゥー教には前世で善を積むと来世でより上の身分に生まれられるという輪廻観(りんねかん)もあり、今の苦境を甘んじて受け入れている場合の方が多い。
カースト制度により身分は世襲、職業移動の自由も制限されているため、現在においてもインドの労働市場を分断してしまっており、自由な経済活動の弊害ともなっている。
次章では、カースト制度を背景にするインド経済を産業構造、具体的な主要産業を確認しながら理解する。
2. インド経済の現状
インドの国内総生産(GDP)は現在世界7位。GDPの産業別内訳では農業、製造業が大きな割合を占めている。本章ではインド人の約半数が従事する農業、製造業の中でインドを現在の地位まで牽引(けんいん)してきた自動車産業、更に急速な成長を遂げ今後のインドを牽引していくIT産業に着目したい。
【図2】 【図3】
(1) 農業
インド農業は多数の就労者が従事する産業であるが、課題が大きく改善の余地のある産業である。本項でその実態と課題を確認する。
【図4】 出所:World Bank
農業従事者の割合は減少傾向にあるがスピードは緩やかで、就業人口の約半数が従事している。カースト制度においてヒンドゥー教徒は職業移動の自由を制限されているが、農業は例外であり、全てのジャーティーに開放されている職業であるという点も背景にある。
下記【図5】の示すようにインド農業の成長率は非常に不安定である。要因としては天候要因で毎年の農業生産が大きく左右されること、インドの灌漑(かんがい)設備が不十分であることが挙げられる。
【図5】 出所:インド農業省、中央統計局
次にインドの都市部と農村部を比較する。1人当たりGDPを見ると、インド国内においても所得格差は大きいことが分かる。背景として農村部に住む農民の半数近くが識字率も低いため、農薬の正しい使い方も分からない、また銀行口座すら持たず、事業拡大しようにも高金利の非正規金融業者から借金をする、農作物の市場価格、経営情報もないため、仲介人に不当に買い叩かれる農民がいまだ少なくないなどの現状がある。
【図6】 出所:インド準備銀行、国勢調査、Indian Agricultural Statistics Research Institute
(参考:1ルピー=約1.56円 (2020年1月14日時点))
農業はインド就業者の多数が占める産業であり、農業生産が不安定であることは多くのインド農家の消費低迷に直結し、インド経済全体のマイナスに影響してしまう可能性が高い。他産業がどれほど高成長を続けても、農業が同時にかつ安定的に成長していかなければ、インド全体の経済が向上することは難しい。
(2) 自動車産業
インドの自動車生産台数は2018年に世界第4位となり、現状のインド経済を牽引している産業である。本項でその実態と今後の見通しを理解する。
【図7】 出所:World Bank
自動車産業の発展を中心に従事者は拡大傾向にあるが、元々割合としては低く、上昇率も決して高くない。背景として本質的にインド人は職業として製造を好まないということは見逃せない。歴史的にモノづくりは下位カーストの人々によって行われてきた歴史があり、上位カーストはモノづくりをしてこなかった。
ここで自動車生産台数の推移を把握し、他国との比較からインド自動車産業を理解する。
【図8】 【図9】 出所:World Bank
インドの自動車生産台数は2018年に500万台を超え、世界4位となり着実に成長しているが、着目すべきはインドと同じく10億を超える人口を持ちインドに先行して大国となりつつあり中国との差である。【図9】が示す通り、両国の1人当たりGDPの差は拡大している。
中国は国民の大半は自分が無宗教と認識している。カースト制度の職業制限により労働市場が分断されてしまっているインドと違い、中国には均質で大量の労働市場が存在する。
自動車産業は完成車はもちろん、部品を合わせると裾野産業が広く、また一次産業と比較すれば付加価値も高い。インドと1人当たりGDPの差は自動車産業による差が大きいものと思われる。
下記の【図8,9】の通りインドの自動車産業は乗用車、二輪車ともに内需によって牽引されている。これはインドの製造業が1947年の独立以降、国産化規制、外資参入規制、輸 入規制など国内保護政策が徹底されていたことが要因にある。当時インドに進出していた一部の外資系企業は、こうした厳しい国産化規制などに対応することができず撤退を余儀なくされ、インド現地企業による寡占構造の中、人口増加に伴走する形で国内市場での販売構造が確立された。
【図10】 【図11】 出所:インド自動車工業会
インドの自動車生産は堅調に成長しているが、下記の通りインド国内の普及率はいまだ低調である。しかしこのことは逆に今後の経済発展により、インド市場の成長余地がまだ高いということでもある。現状、価格の高い乗用車にはまだ手の届かない層がそれよりは安いオートバイなどの二輪車を購入する傾向が強いが、個人所得の向上によって、そうした層が乗用車への購入シフトをしていく段階が今後見込まれる。これまでインド経済を牽引してきたインド自動車産業であるが、今後も一層の成長が期待出来る。
図12】 【図13】出所:インド自動車工業会
(3) IT産業
インドのIT産業は他の産業とは違い、独特の地位を確立している。本項にてその特徴と背景、今後を理解する。
【図14】 出所:World Bank
インドの三次産業従事比率を着実に増加させているのがIT産業の発展である。
IT産業がインドで栄えた理由としては、イギリスの植民地支配を受けていた影響から英語が準公用語ということがあるが、IT産業がカースト制度によって制限されない唯一の職業であるということが大きい。カースト制度では基本的に所属するジャーティーによって職業が制限され世襲のため、違う職業に就くことはできない。ただし、IT産業は新産業であるためカースト制度の制限にそもそも規定がなく、低いカーストでも努力により貧困から抜け出せる職業である。
インドIT産業の特徴は、ハードウェア(PC、周辺機器など)よりも圧倒的にITサービス(ソフトウェア)の売上比重が高いことである。GDPに占める割合の推移から見ても、IT産業は堅実にインド経済への貢献度を高めている。IT産業が技能集約的かつ付加価値、生産性の高い産業であることを勘案すると、一層インド経済を牽引していくことが出来る産業である。
【図15】 【図16】 出所:NASSCOM
次にIT関連売り上げの内訳を確認する。インドIT産業は輸出主導であり、国内販売が大半の自動車産業とは真逆である。輸出先はアメリカがダントツであるが、これはインド人が英語が堪能であることに加え、アメリカとの時差的関係から、例えばアメリカで開発中の案件を夜インドに送信すれば、インドが翌朝から仕事を継続して出来るメリットなどがあるためある。
【図17】 出所:NASSCOM
輸出に比べ国内販売が伸び悩んでいる背景には、国内でソフトウェアに廉価な海賊版が大量に出回っていることなども背景としてあり、インドが大国として経済成長を遂げるには、実業への注力はもちろん、コンプライアンス意識の改革といった背後の部分も改善が必要である。
3. 今後どのようにインドと付き合っていくべきか
(1) 農業
インド農業にはいまだ就業人口の多くが従事する。産業実態には改善すべき余地が多くインドの1人当たりGDPを大きく改善できる産業である。課題である灌漑施設などの農業環境について、高度な水処理技術を持つ日本には進出余地が大きい。また進出において教育の観点からインド人農家の識字率をはじめとした基礎力の改善を支援することを意識すべきである。
(2) 自動車産業
13億人の内需を国内政策と併せて、確実に国内販売につなげることで堅実に成長してきた。ただし、1人当たりGDPにおいて中国と差がついている産業でもある。今後は二輪車から乗用車への購買シフトが起きることが見込まれる。日系自動車会社はもちろん自動車部品メーカーを含め、一層のインド内需拡大を見据えしっかりとその変化を注視し続けていくことが必要と考える。
(3) IT産業
カーストに縛られない唯一の職業として、急速に成長、世界でも地位を確立した産業であり、今後もインドを牽引できる産業である。近時、日本経済を牽引してきたモノづくりにも製品、システムへの付加価値としてソフトウェアが進出してきている。モノづくりのIT分野におけるR&D(研究開発)拠点としての進出も、日本は一層検討すべきである。
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