小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住22年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
私はここ20 年ほど、日経ビジネス、東洋経済、ダイアモンドの経済週刊各誌を毎週欠かさず読んでいる。これらの経済誌は一般的に言えば、テレビや新聞などよりも問題に対する切り込みが鋭く、興味をそそられる記事もそれなりにある。無論、経済誌といえども、部数を増すために企業寄りの提灯(ちょうちん)記事もたくさんある。それでも長年読み続けていれば、どれが真剣に書かれた記事かなんとなくわかってくるようになる。
それにしても残念なのは、これらの経済専門誌ですら「新しい経営手法」や「新しい科学知見」に対する記事がほとんど見られないことである。女性月刊誌の編集者の方が以前テレビで語っていたが、月刊誌の月別テーマは毎年同じものの繰り返しだそうである。この編集者は「革新を目指して新しいテーマに毎月チャレンジしたが惨敗した」と語っていた。経済週刊誌がまさかこれをまねしたわけではないだろうが、20年以上これら経済週刊3誌を読み続けていると、毎年同じテーマでの繰り返しだと錯覚してしまうほどである。新しい科学知識や新たな経営手法の紹介が少なすぎる。
この20年間、「生物進化学」「脳医学」「心理学」「遺伝学」など自然科学の進歩は著しい。またCPU(中央演算処理装置)の進化とともにスマートフォンやスーパーコンピューターなどIT(情報技術)も急速に進歩した。当然のことながら、世界のビジネスはこうした技術を活用し大きく変容している。ところが日本にはこうした情報が少ない。残念ながら、日本にはこうした最先端の科学や技術を研究している専門家が米国や中国に比べて圧倒的に少ない。
これらの最先端の知見を意識的に発信している科学者もわずかばかりいる。しかし、これらのテーマを取り上げるだけの理解力がメディアにはない。さらに、日本の政治家、官僚、企業経営者は相対的に高齢者が権力を握っているため、新しい知識に対する意欲も理解力も一般的に言って乏しい。これからの時代を生き抜く経営者や企業家たちはこうした実態に気づき、自分で勉強していく必要がある。
◆時代遅れの経営学にすがるな
私はこれまでも何度か「ニュース屋台村」で、バンコック銀行の新入行員研修である「小澤塾」のことを取り上げてきた。「小澤塾」は6か月の研修コースで、銀行の商品や貸し出しの基本などを宿題回答形式で、英語で講義を行う。この講義と並行して、日本人新入行員として分析力、企画力などを磨くため、レポートの提出を義務づけている。
さらに塾生にはこの6か月間に2冊の経営学の本を読ませ、この内容を英語で発表させる。ピーター・ドラッガーや稲盛和夫などの経営哲学、米大学院の修士課程の教科書、トヨタ生産方式やシックスシグマ(1980年代に米モトローラが開発した品質管理手法)などの生産性向上関連の本、フィリップ・コトラー(米経営学者)などのマーケティング理論、さらには無印食品やナイキなどの成功物語などあらゆるジャンルの本が読まれる。
塾生の中にはこうした本を読んだことがない人も多く、とにかく経営学に慣れてもらっている。私自身も塾生の発表によりわずかでも内容を理解した経営学の本は100冊を下らないほどになった。塾生は、慣れない英語で経営学の本の内容を説明するのだから、四苦八苦である。英語の度胸試しには、最善のテーマだと思っている。
さて毎回の塾生の発表の後、私は必ずその本が書かれた時代背景と、現代に置き換えた評価の話をするようにしている。経営者の中には1、2冊の経営学の本を読んで「経営の本質」が分かった気でいる人もいるようである。ところが、経営理論には必ずその理論が説かれた時代背景がある。
例えば、トヨタ生産方式の始祖である大野耐一の時代のトヨタは、貧乏会社であった。資金的にも限りのあった当時のトヨタは「自働化」や「カンバン方式」などで生産の効率化・不良品の最少化を図った。今でもトヨタ生産方式の真髄には多くの知恵が詰まっている。
しかし、当時のトヨタ生産方式をそのまま信仰するのは時代遅れである。ピーター・ドラッカーや稲盛和夫の経営哲学も現代に生きる内容はたくさんあるが、彼らのやり方が成功の方程式である時代は終わったと思う。経営の要諦(ようてい)は人の使い方であり、こうした人を引きつける魅力ある経営方針の策定はもちろん重要である。しかし現在は、ITやAI(人工知能)、ロボットが安価に入手でき、これらの技術を活用した経営が世界標準となっている。特に2000年代の前半からは、欧米先進国が金融緩和政策を積極的に取ることにより、世界中で資金がだぶついている。市場にふんだんにこの出回った資金を利用し、積極的に会社や業務を拡大する手法が現代の経営の主流となっている。
途中で赤字を出しても、資金が続く限り市場で最大のシェアを狙う。そのシェアを背景に価格支配力を持つことが現在の勝利の方程式となっている。こうしたことが可能なマーケットを選定し、勝つまで事業を継続・拡大すること、これが現在のブルーオーシャン戦略だ。
こうした発想は旧来の経営学にはなかった。「いかに堅実に利益を出していくか?」「そのためにどのようにして最少の人員で事業を行っていくか?」――。このようなことが主眼に置かれていた旧来の経営学では今後、「勝ち組」は出てこない。
◆「GAFA」の一角、アマゾンに学ぶ
現代の新しい企業の勝ち組は、「GAFA」と呼ばれる巨大IT企業である。 これは誰もが認めるところだろう。グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンのこれら4社に共通するものは市場の占有率の高さである。先に述べてきたように、市場にあふれる資金を利用し、徹底して投資を続けることにより、他社の追随を許さないマーケットリーダーとなった。
この間、「顧客のニーズに合った商品」を作り上げてきたことは、言わずもがなである。さらに言えば、これらの企業の経営手法は、日本の旧来型企業経営手法とは全く異なる。
私は「ニュース屋台村」の拙稿第24回「優れたマネジャーの条件とは何か?」(2014年7月4日付)でグーグルの経営手法を少し説明させていただいた。日本ではほとんど知られていないが、グーグルでは「マネジャーの8つの条件」として、マネジャーのやるべきことを規定している。この内容を見ると、コンプライアンスに縛られて何もしない日本の企業風土とは全くかけ離れたグーグルの経営哲学が見えてくる。
『アマゾンで12年間働いた僕が学んだ未来の仕事術』(パク・ジョジュン、PHP新書、2020年7月)も、アマゾンの経営手法が分かって面白い。韓国人のIT技術者だったパク・ジョジュンは、アマゾンでのユニークな仕事の経験と同社の経営のやり方について記述している。
最も特筆すべき同社の経営手法は、「徹底した顧客中心主義」である。顧客に最も便利な通販会社となるべく、日頃から不断の改善努力を行っている。顧客の利便性を高め、顧客が商品理解で混乱することを避けるため、「1商品1ページ」の画面構成にしたが、これはアマゾンが最初に始めたことだ。消費者レビューの導入もアマゾンが初である。この消費者レビューの導入にあたっては、ジョフ・ベゾス会長の周囲が相当反対したようである。それまでの通販は、その商品を徹底して褒めあげるという方法で商品販売を行ってきた。ところが、ベゾス会長は消費者の生の声を取り入れることにより、消費者がきちんと良い商品を買える体制を作り上げることを提案した。これも消費者を起点とした考え方である。
パソコン上の通販サイトの立ち上げ時間(ローディング)の短縮化も、あくなき執念で行われている。顧客がコンピューター上でアマゾンの画面の立ち上げの遅さにいら立つことがないような工夫がされている。現にアマゾンの画面の立ち上げは極めて速い。1秒の立ち上げの遅れで1億6千万ドルの損失(2012年)が発生するという試算もアマゾン内で行われている。商品決済に当たって、「クリック1回で注文が完了する」という方法もアマゾンが強く執着していることだ。商品決済に当たっても顧客の便利性を徹底的に追求するとともに、一方で、強固なセキュリティーシステムを築き上げている。あらゆる面で顧客のために一番良いやり方を常に考え続けている。
口先だけの顧客中心主義はどこの会社でも謳(うた)っている。しかし、顧客中心主義を最後まで貫き通すことは極めて難しい。愚直なまでにこうした姿勢を貫こうとする経営者の矜持(きょうじ)は極めて重要である。また、この顧客中心主義はアマゾンの経営のやり方を通して、同社の全従業員の意識に行き渡っている。まさにこの顧客中心主義こそがアマゾンの従業員のモチベーションの源なのである。
最近の心理学の研究によると、「人間は報酬を提示されるとやる気と想像力が減退する」という。一定の金額を提示すると、人は「これ以上の仕事をする必要がない」と考えてしまうようである。より多くの仕事の成果を求めるには、報酬よりもやりがいの方が重要だという結果が出ている。
アマゾンのすばらしいところは、その顧客中心主義にのっとって、どこまで行っても結果に満足しないというベゾス会長の執念にあるのかもしれない。それが如実に出ているのが、売り上げが伸びても利益はさして向上しないという過去のアマゾンの決算状況に見て取れる。利益が上がると、その利益を顧客利便性向上のための再投資に投入している。アマゾンは当初、書籍販売から始まったが、その後、顧客が一般商品の通販を求めることがわかると、商品数の増加に努めた。アマゾンは2018年の時点で、なんと6億種類の商品をオンラインで提供している。
次に、巨額の資金を投入して取り組んだプロジェクトは、「どこにいても本が読める」電子書籍Kindleの開発販売である。これが完了すると、ロボットメーカーであるキバシステムを買収する。目的は、同社倉庫の自動化である。
同社は長らく米国内の自社倉庫を開示してこなかった。倉庫内業務は厳しい労働環境下にあり、従業員からは猛烈な不満が寄せられていた。2016年、日本の同社倉庫で使用するロボットが公開された。倉庫内の棚の下部に配送ロボットが滑り込み、コンピューター制御で棚の移動を行う。このロボット配送システムで一定程度の自動化は達成されたが、依然としてアマゾンの倉庫内業務は厳しい労働環境にあるようである。
ベゾス会長の執念を見ていると、アマゾンはさらに自動化が推し進めるだろう。さらにベゾス会長は手を緩めることなく、多額の資金を投入してドローンを使った配送業務の研究を行っている。ここまでくると、他社の追随はかなり難しくなる。アマゾンは通販業界において圧倒的な存在にならんとしているようである。
こうした会社を作り上げる上で、ベゾス会長が心がけている人の活用法がある。「誠実さ」「能力」「多様性」を持った人間の登用である。会社の中は、従業員一人一人が独立的かつ主体的に仕事をできる環境を用意する。「失敗と確信は切っても切れない双子である」とはベゾス会長の言である。同社は、従業員が「失敗を恐れることなく、積極的に物事にチャレンジする」ことを強く推奨している。
現在の日本の経営者たちは、こうした世界の「勝ち組」の経営のやり方をどのくらい分かっているのであろうか。旧態依然とした組織にあぐらをかき、コンプライアンスを金科玉条として全くリスクを取らない経営者のいかに多いことか。経営者であれば、少なくとも自身の仕事に直結する経営学の勉強くらいはまともにやってほしい。分からなければ、コンサルタントに問題解決を丸投げする経営者の態度は「職場放棄」と同じである。
◆より多くの経験を積み、新たな知見を学ぶ
最近の脳医学では、人間の行動について多くのことが解明されてきている。「人間は万物の霊長」などと偉そうなことを言ったところで、私たち現生人類であるホモサピエンスがこの世の中に登場したのは、わずか30万年前(最近の核DNA分析技術により、77万年前から55万年前の間にネアンデルタール人と分岐したという推定もある)。さらに、農業や牧畜を開始し生物界の「食物連鎖」の頂点に立ったのは、たった1万年前の話である。
生物が誕生したのが38億年前、動物が誕生したのが5億5千年前だと推定されている。我々人類の歴史など生物の進化の歴史の中では、ほんの一瞬の話なのである。この証左として、我々人類の脳の働きはほとんどが他の動物の働きと変わらないことが挙げられる。
人間には、ほかの動物と比較して著しくした進化した「大脳皮質」という部署がある。知覚・思考・推理・記憶などをつかさどる部署である。こうした大脳皮質の動きですら動物の本能的な所作に由来している。「我々は自由に物事を判断している」と思い込んでいる。
ところが、核磁気共鳴画像法(MRI)の急速な技術の発達により、脳内の動きが可視化できるようになると意外なことが分かってきた。人間は自分で判断決定したと思っているより速く、脳内で意思決定がなされているというのである。つまり、人間は判断ですら「反射」と呼ぶべき本能で処理をしているのである。しかし、反射によって我々が生きていることを嘆く必要はない。この反射の機能を向上化させるものが「経験」と「学習」だということが分かってきている。より多くの経験を積むことと新たな知見を勉強することによって、人間は個人レベルで進化できるのである。
翻って日本の経営者たち。彼らの多くは「高度成長時代の成功体験だけを抱きしめてリスクを取らなくなってきている」ように見える。これは私だけのうがった見方であろうか。経験も学習もしなくなったリーダーや経営者に託された組織や企業に、明るい未来などない。科学の知見やビジネスの環境はどんどん変化し、世界の経営者たちはこうした新たな土台の上で「勝ち組」になる努力をしている。日本の経営者たちにもぜひもっと勉強をしてもらいたい。
※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り
第24回 優れたマネジャーの条件とは何か?(2014年7月4日)
コメントを残す