小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住16年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
タイは世界中で最も親日的な国である。タイ人が海外で一番行きたい国は日本である。親日的なタイだからこそ日本企業ならびに日本人が出資している法人数はタイ全土で7000社を超える。また、日本食レストランも同様にタイ全土で2000店を超える。
「日本食レストランがこれだけあれば、日本からの食品輸出も簡単に違いない」。日本にいる方々がこう考えても不思議ではない。ところがどっこい!そうは問屋がおろさないのが日本食品のタイ向け輸出である。今回は日本食品のタイ向け輸出がなぜ難しいのかを考えてみたい。
◆タイ人向けアパートには台所がない
日本人の方がタイ人の生活で全く理解されていない1点目は、「タイ人は家庭ではほとんど料理を作らない」ということである。
タイ人の女性は結婚して子供が生まれても働くのが一般的である。女性の社会的進出は目覚しく、私どもバンコック銀行のタイ国内にある1100支店の80%は女性支店長で占められている。
タイ人女性にとっては働かないことのほうが不名誉である。タイ人と結婚した日本人女性が子供の面倒を見ると言って専業主婦をしていると、周りのタイ人から「なぜ働かないのか?」と猛烈な圧力を受けると聞く。このように夫婦共働きが当たり前のタイ人家庭である。
夕食も家族そろって外食か、もしくは屋台などで買ってきた出来上がりの料理を家で皿に並べるのである。私の周りのタイ人のマネジャークラスでも朝食は始業前に屋台で買ってきた料理を職場で食べ、夕食は会社に売りに来る弁当を家族分購入して帰る毎日である。
こんな生活習慣であるため、一般のタイ人は料理を作るための食材をスーパーマーケットで買いに行くことなどほとんど無い。現に職場の女性たちに聞いても、作れる料理はせいぜいカオパット(タイ風焼飯)か目玉焼きぐらいである。
これがタイの上流階級になると、少し様相が違ってくる。上流階級の女性も家族経営の会社の役員をするなど夫婦共働きは一緒である。しかし、上流階級の家にはメード(お手伝いさん)やコックなどが数人いて、家事をやらせている。こうした家庭では家で料理を作るが、絶対数としてはそれほど多くはない。
私がタイに初めて赴任した1998年当時はまだ、在留邦人数は現在の3分の1(約2万4000人)程度であった。日本人の駐在家族は更に少なく、現在のような日本人専用アパートなどまれであった。
バンコク着任後、私は後から来る家族のためにアパート探しをした。特に妻のために使い勝手の良い台所のあるアパートを探し求めたのである。しかし、いくつかのアパートを見て回って驚いた。タイ人向けアパートには台所がないのである。よしんば、あったとしてもベランダを挟んでメード部屋に隣接したような不便な場所に設置されていた。
そんな中で、ようやく一定程度の広さでしゃれた台所つきのアパートを見つけた。しかし入居してまたびっくりした。入居する前は気づかなかったが、台所だけ空調設備が付いていなかったのである。やはりタイ人の金持ちは自分では台所に立たないのだと、改めて気づかされたのである。
◆日本食はきわめて限定的なマーケット
日本人の誤解の2点目は、「タイは日本食ブームであるが、日常的に日本食を食べているわけでない」ということである。
タイ人は他の外国人と比べても日本食が好きである。国内に2000店以上ある日本食レストランに行っても多くのタイ人の方が来られている。しかし、しょせんは2000店である。一店舗あたり平均30席かつ1回の食事で顧客が2回転すると仮定しても、一食あたりで日本食を食べる人は12万人でしかない。6400万人のタイの人口のうち、0.2%にしか過ぎない。こう考えると、タイにおける日本食はブームとは言え、きわめて限定的なマーケットなのである。
こうした環境の中で、日本の食品をタイに輸出するのは簡単なことではない。まずタイで一般的に調達できる農産物や水産物などは、輸送コストなどを考えると日本食材が選ばれる可能性は少ない。
食材の最終購入者がレストラン経営者、屋台店主、メードであり、これらの人は商品の質よりもコストを優先する。日本食レストランにおいてさえ、一般食材は安いタイ産の物を使う。一部高級レストランなどで希少価値として日本産牛肉、さらにはカニ、ホタテなどの水産物を使うが、量的には限定されてしまう。
日本の地方自治体の方が当地に来て「農産物とともに是非売りたい」といわれる日本酒(焼酎を含む)はどうだろうか?
残念なことに、タイ人の方はほとんど日本酒をお飲みにならない。タイでは、日本酒は日本食レストラン向けに売られるものがほぼ全てと言っても良いであろう。そして、お飲みになる方もほぼ日本人である。
では、当地の日本人はどのような日本酒を飲みたいのであろうか? それは日本で話題となっている日本酒である。蔵元や地方自治体の方は、タイに来て日本酒の売り込みを図るよりは、日本でその銘柄を有名にすることのほうが早道である。
◆新しい文化を創るという息の長い作業
果物や菓子は、家庭で調理しなくても食べられる食品である。こうしたものはデパートやスーパーマーケットで売って一般家庭が購入する可能性がある。そうは言っても、日本から輸出するとなると商品価格はきわめて高くなる。商品価格が高くなれば必然的に量は限られてくる。量は少なくても、高級食品として商品差別化をして、粗利益率を多く取ることが可能であれば勝算は出てこよう。そうでなければ、タイに進出して現地生産を行うことが次の策となる。
こう考えてくると、日本食品をタイへ輸出することは八方ふさがりのように思えてくる。しかし、真剣に事に当たれば何事も道は開けるというのが私の信念である。
バンコック銀行では系列のバンコククラブで7月24日に、日本ワインの試飲会を催す。バンコククラブで毎月行われている各国別のワイン試飲会に日本ワインを加えてもらったのがそもそもの発端である。日本大使館やジェトロにご後援いただき、山梨、北海道、宮崎から5か所のワイナリーの協力を得て、計12種類のワインを出展する。またこれらの日本ワインに合わせる特別料理を、当地の高級日本食レストランに考えていただいている。和食と日本ワインのコラボレーションである。多くのタイ人の方(バンコククラブ会員)に試飲していただこうと思っている。
「食は文化なり」という言葉がある。「生命維持のための食料獲得方法の違いが文化の違いを生み出した」ということから発生した言葉のようである。日本産ワインをタイ人に飲んでもらうということは、新しい文化を創るという息の長い作業である。そう自分を励ましながら、日本の地域振興に少しでも資するよう日本の食品輸出の手助けをしていきたいと考えている。
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