小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住15年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
最近の在タイ日系企業の動きを見ていると、気になることがある。2008年のリーマン・ショック以降、日本や米国での業績が悪化した中で、多くの日系企業がアジア、特にタイの業績に大きく依存するようになってきた。「タイ一本足打法」と当地で呼ばれる現象である。
各日系企業のオペレーションで、タイ拠点が重要視されるため、日本からの派遣者が急増。00年以降は2万人強だった在留邦人数が、直近では6万人まで増えてきたのである。
社内に日本人が増えたことにより、社外との付き合いが減少。一方、タイ拠点の位置づけが高まることにより、日本本社からのタイへの締め付けが厳しくなってきている。
さらに一部の企業では、本社からいわゆるエリート社員が送りこまれてくることとなり、これらのエリート社員は日本本社の顔色をうかがいながら仕事をするようになってくる。日本企業衰退の危険な兆候が、私には見える気がするのである。
◆アジア経済危機を生き抜いた現地法人社長
日系企業がタイに進出してくる理由は時代によって変遷してきた。1990年代は主に日本の生産コスト上昇に伴い、コストの安いタイでの代替生産が理由であった。
しかし、98年に日本の生産可能人口(15~65才)がピークを迎えると、その後、日本は総需要の減退が徐々に進行していった。これに合わせて日本企業も成長のためには海外での販売に注力せざる得ない状況が生まれたのである。
97年のアジア経済危機で破綻したタイは、こうした日系企業の潜在需要をうまく取り込み、復活を成し遂げてきた(8月23日付の拙稿「今だから問うアベノミクス(下)-タイとの比較」をご参照下さい)。
一方、そのアジア経済危機で存亡危機に直面した当時のタイの現地法人の社長たちは、新たな市場獲得に向け、タイや東南アジア諸国連合(ASEAN)のマーケットの市場ニーズに真正面から取り組んだ。
また、日本本社に対し一部製品の引き取りを依頼しなくてはいけなかったことから、それまで半ばお座なりであった品質向上への努力を懸命に行った。そこにはまさに、たかがタイの現地法人の日本人派遣社長ながら、真の経営者と呼ぶにふさわしい人々が数多く育っていったのである。
◆企業活動をがんじがらめにする日本流コンプライアンス
「市場のニーズに合った良質な製品を安く作る」という理想的な形態がタイの日系企業にあった。しかしタイ拠点が大きくなる中で、日本本社の関与が高まると、タイやアジア固有の事情やニーズが顧みられなくなる。
さらに悪いことに、最近の日本本社は「コンプライアンス」を金科玉条として海外拠点を管理しようとする。本社社員の目的は、顧客第一主義でも利益重視でもなく、自己権力増長のための「管理」になっているのである。そして、その管理を行っていく上で、紋所(もんどころ)となっているのが、コンプライアンスなのである。
今や「コンプライアンス違反」と言われれば、誰もが恐れて従順になる日本の企業文化である。誰かがそれを振りかざせば、それ以外の人はリスクを避けて何もしなくなる。
しかし、リスクが無くて企業活動が成り立つのであろうか? さらにたちが悪いのは、そのコンプライアンスの基準が日本流に進化し、企業活動そのものをがんじがらめにしてしまっているのである。そんな硬直的なコンプライアンス基準をタイに持ち込んできて、日本本社の人間がタイの企業活動を邪魔するのである。
いくら優秀な人間が送り込まれてきても、こんな状態では日系企業は負け戦となる。日本本社では、タイの日系企業に自由裁量権を与え、のびのびと企業活動をさせることが使命と考えて欲しい。さもなければ、このタイの地においてもひたひたと迫ってくる中国企業や韓国企業に勝てなくなる日が来るかもしれない。
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