小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住23年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。コロナ渦で世界の先進諸国との対比で経済力や技術力の劣化が顕在化してきた日本の「コロナ敗戦」。その「コロナ敗戦」から立ち直るため、前回の拙稿第196回「人事部と企画部を解体して『コロナ敗戦』から立ち上がろう」(6月18日付)で、人事部門と企画部門の撤廃を提言した。そもそも経営者の職場放棄と人事・企画両部門の自己増殖機能で、日本独自の形態で人事部と企画部が強大化してしまったのは既に論じてきたとおりである。私が勤務経験のある米国、タイとも、会社内に企画部は存在しない。また日本の影響力の強いタイでは、日本型人事制度も導入されているが、日本の会社のように人事部が人事権を持ち強大化していることはない。オーナー経営者が大半のタイ企業にあって、経営者の権限をおびやかすような組織は成立しないのである。
さて、今回はコンサルタントと「人事部」「企画部」の人間によって日本に導入されてきた「間違った日本の人事政策」について正していくとともに、抜本的な改革を提言していきたい。今回は人材の採用方針である。
◆日本の採用基準は大学、成績、協調性……
私は東海銀行に勤務していた20年前まで、国内勤務をしていた時は毎年人事部からリクルーターとして採用の手伝いをさせられた。私のような国際畑の人間は学生向けの「客寄せパンダ」のようなもので、学生受けが狙える。私も面談した相手の評価をつけることが求められたが、それがそのままその人材の採用基準として使われることはなかった。
私のうがった見方であるが、当時の日本の大企業の新入社員の採用基準は「出身大学」「学業成績」「協調性」「従順性」であり、とくに体育会系出身の学生が好んで採用された。1人の学生が幾つもの会社から採用内定をもらうなど、私から見れば日本企業の採用基準は横並びであった。また証券会社最大手のN証券や旧関西系S都市銀行(現在は合併により名称変更)は「会社内はどこを切っても金太郎あめ」と揶揄(やゆ)されるほど、社員洗脳教育を行っていた。当時、この揶揄に表わされるとおり、社員の個性を潰し、「働きバチ」化させるのが良い会社であるとされてきた。
これと対極をなすのが、米国の最先端企業である。まずアマゾンを見てみよう。『Amazonで12年間働いた僕が学んだ未来の仕事術』(PHP研究所、2020年)の著者であるパク・ジョンジュン氏によれば、アマゾンでは採用にあたって「誠実・正直」「能力」「多様性」が最も重要視されるという。同様にグーグルは「能力」と「多様性」、ネットフリックスは「公平・誠実」「能力」「個性」であることはそれぞれの会社について記述した書籍からわかる。
◆採用試験から人事部を排除せよ
米国の最先端企業を代表するこれら3社の採用方針はよく似ている。昨今は日本の会社も同じようなお題目を唱えている。しかし、私には日本の会社と米国最先端のこれらの3社の採用方針には大きな開きがあると思っている。
具体的に中身を見てみよう。まず「能力」である。その人材が持つ能力を「採用時の面接試験」や「短期間のインターン制度」だけで判断するのはかなり難しい。少なくとも私にはその能力がない。大半の人たちも私と大同小異ではないだろうか?
労働の流動性が低く、一度採用すると解雇が困難な日本。こんな日本だからこそ、人材の採用に当たっては慎重な判断が求められてきた。結果的に、この「能力」を判断するに際して学業成績などの安全な基準に頼ってしまう。さらに前回提起した問題であるが、日本の大企業では新人採用は人事部に任されている。実務から離れている人事部の人間に、会社の各部門が現在必要としている人材の能力がわかるはずがない。会社の各部門によって必要とされている人材は異なるはずである。まず「採用試験から人事部を除す」ことがやるべき最初のことである。
◆女性の積極登用が多様性推進の第一歩
次に「多様性」もしくは「個性」についてである。これも明らかに日本企業は落第点である。多様性の最も身近な事例が男女格差であるが、世界経済フォーラム(WEF)の2021年ジェンダーギャップ(男女格差)ランキングで、日本は世界120位と低位置につけている。
まずもって、女性の積極的登用が日本の「多様性」推進の第一歩である。私は男女間に違いのあることを知っているつもりである(20年1月10日付拙稿第159回「男女の違い!それさぁ、早く言ってよ~」ご参照)。男女はその思考方法や行動様式に違いがあるからこそ、そのすり合わせを通して新しい発見が生まれる。男女の嗜好(しこう)や考え方のすり合わせだけではない。私たちホモサピエンスは言語や道具の発明、その他の科学の進歩などによりその活動範囲を広げてきた。活動範囲の広がりにより他民族との交流も増加し、新たな進化を生み出してきた。
「異質の文化の交流がイノベーションを創造し、人類の進化をもたらした」というのは現代の人類史の定説である。異なる①出身地②民族③言語④食生活⑤宗教観➅世界観――などの多様性を許容することが人類の進化を担保するものである。ところが、日本はもともと海に囲まれた島国であるため、他国との交流を行うのにハンディがある。「多様性」を生み出す土壌が乏しいのだ。日本人は同一性を武器とした協調関係に強みがあるが、多様性から生じる「新たな気づき」が弱くなる傾向がある。これが昨今の日本の技術力・産業力の低下につながっている。日本人は自らがよほど努力しない限り、この「多様性」を獲得するのが困難なのである。
◆うそをつかない
最後にアマゾンとネットフリックスが挙げる「誠実・正直・公平」である。これも日本企業に聞けば「自分たちもそうした人材を求めている」と答えそうである。しかし私からすると、その基準は全く異なって見える。日本企業にとって「誠実・正直・公平」は会社に対する従順さを表している。同一性傾向の強い日本社会において、組織内での協調性は極めて重要な価値基準である。
ところが、米国社会での「誠実・正直・公平」は神や自分に対してのものである。前述のアマゾンで働いていたパク・ジョンジュン氏も、その著書の中でわざわざページを割いてこのことを述べている。
「誠実さ(インテグリティ)とはアメリカで頻繁に使われている言葉だが『誰も見ていなくても正しいことをする』ということだ」(『Amazonで12年間働いた僕が学んだ未来の仕事術』39ページ)
「アマゾンの多くの人たちはうそをついて言いつくろうようなことはしない」(同38ページ)
日本には「うそも方便」という言葉があるが、組織や会社のためにうそもつくことが度々強要される。「組織や上司のためにうそをついた」事例は枚挙にいとまがない。昨今では国権の最高機関である国会において、国家の最高権力者である首相が「桜を見る会」前夜の夕食会の費用補塡(ほてん)疑惑に関し、野党から「虚偽答弁」と指摘されたり、財務省の高級官僚が「森友問題」で事実と異なる答弁を繰り返したりしている。さらに日本では「自分を殺してまで他人を助けた」などと美談になるケースまである。
ところが、これは世界の大半の国では許されない犯罪である。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の教典に共通して記載されている「モーゼの十戒」で「うそをつくこと」は人間として大罪である。タイの国教である上座部仏教においても、うそは「五大罪」の一つになっている。私はヒンズー教にはそれほど明るくないが、その最高経典の一つである「マヌ法典」でうそは大罪に挙げられている。世界の大半の国において「うそは方便でも許されないもの」と位置づけられている。
私なりの理解によれば、「うそをつかない」ことこそが多様性を許容していく根本原理の一つであるからだと思う。人類は民族、言語、宗教、生活様式など異なる人たちが交わって進化してきたが、これが可能となったのは互いに「うそをつかない」ことで相手の立場を理解してきたからであろう。
もちろん、人間は自分の身を守るため古来よりうそをついてきた。だからこそ各宗教でそれを罪と定め、うそをつくことを戒めてきたのである。アマゾンやネットフリックスがあえて採用方針としてそのことを掲げるのは、営利目的の会社であっても「うそをつかない」ことが会社発展の重要な要素であることに気がついているからである。
ここまで書いてくると皆さんはお気づきだろう。会社の採用方針とは、会社の運営方針そのものなのである。「コロナ敗戦」から脱却するためには会社の運営方針を変革しなければならない。そしてその第一歩こそ、人材の採用基準の変更なのである。
※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り
第196回「人事部と企画部を解体して『コロナ敗戦』から立ち上がろう(2021年6月18日)
第179回「『勝ち組』として生き残るための経営者の指針」(2020年10月16日)
第159回「男女の違い!それさぁ、早く言ってよ~」(2020年1月10日)
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