小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住16年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
日本企業の競争力が徐々に失われてきている現状について前回説明させて頂いた。今回はその原因などについて分析してみたい。
「デザイン家電、なぜ日本は作れない?」。日経ビジネス2014年9月15日号で、このテーマのスペシャルレポートが掲載された。大変示唆に富んだ記事である。「最近日本ではデザイン家電が売れ行きを伸ばしている。だが市場の中心にいるのは米アップルや英ダイソンなど海外勢ばかり。日本の家電メーカーはせっかくうまみある市場で存在感を打ち出せていない」(日経ビジネスより抜粋)。
◆デザイン―ターゲットをしぼり消費者ニーズを洗い出せ
こうした言葉で始まるレポートは、日本の家電メーカーが外国勢に勝てない理由として以下の4つを挙げている。
①デザインよりも「機能重視」で製品が売れた過去の成功体験を捨てられない
②定量的に優劣の判断ができる「機能」をデザインより重視する日本人の生真面目な国民性
③会社内でデザイン部門の評価が低く、デザイン重視を打ち出せない
④家電量販店が「デザイン家電」については既に海外勢を優先しており、日本メーカーに期待していない
大変説得力のある議論であるが、残念なことに日経ビジネスが問題提起しているのはデザインの問題だけである。大手家電メーカーを広告顧客として持つマスコミとしては、日本製品の敗北を前面に打ち出すことは出来ないのであろう。
しかし、現在日本企業が直面している問題は、日本製品の競争力そのものの低下である。そしてその競争力を構成するものはデザイン以外に、顧客ニーズの把握力、技術力、コスト、販売力など複合的なものである。
それではそれらの要素を一つ一つ見ていこう。第一に問題となるのは、顧客ニーズの把握力であろう。どうも日本企業は日本的視野から抜け出せていない。日本では重要視される軽量、コンパクト、静寂性、機能性、安全性が世界標準の顧客ニーズなのであろうか?
例えば私が赴任したばかりの1990年代終わりのタイ。貧富の差もあり大型冷蔵庫を買える層は上流階級の人たちであったが、そもそも家庭では料理を作らないタイ人である(2014年7月18日付「ニュース屋台村」の拙稿第25回をご参照下さい)。
大型冷蔵庫はメードの働くキッチンに置くのではなく、調度品としてリビングルームに置かれるものであった。ところが日本の大型冷蔵庫のふれ込みは、「一般冷凍、冷蔵、野菜庫の分かれた便利な機能と自動製氷装置」なるもので、前面の扉には幾つもの機能が向き出しとなっている。一方韓国製品は、「重厚な木目デザイン」で立派な家具と見間違うほどのもの。これでは最初から勝負になっていない。
日本は1998年に生産年齢人口(15歳~64歳)がピークアウトした以降、経済規模はしばらくの間縮小してきている。こうした中で日本企業は「待ったなし」に世界に打って出なければならない時期に来ている。
しかし世界で売るためには世界のニーズを知らなければならない。そして「世界」と一言で言っても地域や国によって事情は異なる。
20世紀までは世界の消費市場は米・日・欧の3地域だけに限られていたと言っても過言ではない。そして米国、日本とも第2次大戦以降、中流階級が台頭してきており、日本製品はこの中流階級向け商品とし最適なものであった。
しかし21世紀に入り、米国も貧富の差が拡大。一方、中国、東南アジア、中近東など中進国と呼ばれる購買意欲の強い国が台頭してくると、日本製品はこれらの国の購買層のニーズに合わなくなっているのである。
繰り返しになるが、地域や国によって社会構成、収入、生活習慣、文化が異なり、消費者ニーズも異なるのである。今一度原点に立ち返り、ターゲット地域をしぼり、その地域の消費者ニーズの洗い出しが必要である。
◆技術力―国は過保護行政をやめ規制緩和を
技術力については、総合的には日本はまだ劣っていないであろう。しかしこの技術力についても、私が危惧する事が3点ある。
第一に、技術の海外流出である。「サムスンには日本の家電メーカー出身者が500人以上働いている」という記事を経済誌で目にした。これらの人材を獲得するにあたってサムスンは欲しい技術をしぼり、それを知っている人材にあたりをつけ、一本釣りをしていくと書いてあった。
こうして海外企業に再就職していく人を非難する声はある。しかし日本社会は結果平等の社会であり、「有能な人も無能な人も」また「働く人も働かない人も」ほとんど差がつかない社会である。
優秀な技術者にとっては、高報酬で自分のやりたい仕事をやらせてくれる職場に転職することに逡巡(しゅんじゅん)はしないであろう。これにもまして問題なのは、日本政府が推し進める海外企業への技術移転・技術供与である。
日本の中央政府や地方政府の外郭団体が「地域のすそ野産業育成」をお題目として日本の製造業の技術者をアドバイザーとしてせっせと送り込み、中国にほぼタダ同然で技術供与をしてきた。
結果として日本企業は中国企業に対し、技術優位を失いつつある。中国だけでは懲りず、今同じことをアフリカ諸国などでもやろうとしている。フォルクスワーゲンなどドイツ企業は海外工場ではノックダウン生産中心であり、技術を海外に持ち出すことには慎重に対応している。日本は国として技術の保護をどうすべきか再検討すべきであると考える。
技術力についての2点目は、日本企業の設備更新の遅れである。韓国、台湾、中国の企業が後発国のメリットとして最新の機械を導入し、製品性能の向上とコスト削減を果たしてきている中で、日本企業の設備更新が遅れている事例が出てきている。機械設備からくる技術力の低迷も、一部業種については危険な領域となっている。
3番目の問題点は、新技術への対応である。日本からの技術供与と新設備の導入などにより韓国、台湾、中国の企業の製品が日本企業が得意としていた大衆向け市場を席巻してしまった。
一方で、世界全体では階級社会化が進行している。こうした中で富裕層向けの市場をターゲットとするならば、圧倒的な新技術が必要となる。こうした新技術の開発を積極的に押し進めようという企業が今日本にどのくらいあるのだろうか?
「必要は発明の母」である。国は過保護行政をやめ、規制緩和により企業が新技術を開発しなくてはいけない環境に追い込むべきである。一方で、社会全体でこうした新技術を追求する積極的なムードづくりが必要だと思われる。
◆販売力―負けを認め競争力を取り戻す気概を
競争力を構成するコストやデザインについては既に触れてきたので割愛し、販売力について述べたい。現在の日本企業で「顧客ニーズの把握力」と共に一番大きな問題は販売力である。
なぜこんなことを指摘するかと言えば、日本企業に本当に商品を売る気があるように思えないからである。
今や会社の中で権力を握るのは企画部やコンプライアンス部。経営陣も従業員のミスやコンプライアンス違反から起こる社会批判を恐れ、リスクを取らず販売責任は営業部門に丸投げ。会社全体の支援がなくて本当に商品が売れるのであろうか? マニュアルにがんじがらめになった営業部員は課せられたノルマに精いっぱいで、社是にある「顧客第一主義」などはどこかに飛んでしまっている。
今から10年ほど前にバンコック銀行のお客様から聞いた話だが、韓国ポスコ社はその当時タイ子会社に6人の韓国人営業部員がいた。全員が日本語を話せ、月1回はそのお客様の所に来て熱心に売り込みを図っていたとのことである。ポスコ社はタイにいながら売り込みのターゲットを日系企業にしぼり、日本語を話す営業員を送り込んできたのである。
更に、この営業員たちは必死に顧客の要望をかなえようという姿勢でいたため、私共のお客様も材料の納入先を日系からポスコ社に替えたのである。今、日本企業はこの韓国企業の姿勢に学び、真摯(しんし)にどぶ板営業から始める時だと私は考える。
ここまで書いてくると、私は冒頭で紹介した日経ビジネスの記事の内容と妙に符合することに気づく。デザインについてだけではなく競争力一般についても、日経ビジネスの分析は説得力を持つ。日本の製造業が競争力で劣位になりつつある原因は、以下の4つに集約されるかもしれない。
①日米欧が経済的覇権を持っていた時代に中流階層向け商品として成功した過去の成功体験から抜け切れない
②顧客ニーズの把握がされておらず、企業内で定量的評価の出しやすい「日本的機能」重視の開発に傾注してしまった
③コンプライアンスなど管理部門の力が強くなり、社内にチャレンジする空気がなくなった
④会社全体として営業に本気にならず、営業部員まかせとなっている
そして今、我々が一番やらなくてはいけないのは「日本の競争力の負けを認め、競争力を取り戻そう」とする気概を持つことである。
(筆者注=本記事は日本の産業全般を述べたもので、個別の産業や企業の中には該当しないケースもあります)
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