п»ї コロナも悪いことばかりじゃない?-新年の抱負『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第209回 | ニュース屋台村

コロナも悪いことばかりじゃない?-新年の抱負
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第209回

1月 07日 2022年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

o バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住24年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

2022年もコロナとともに始まった。コロナと「共生」してもうすぐ2年になる。いつになったらこのコロナは収まるのであろうか? 「ニュース屋台村」でも以前ご紹介したが、20年9月時点の欧米のインターネット上の論文を分析したところ、「コロナの感染収束時期について政治経済の専門家は21年、医療関係者は22年、感染症専門家は23年が大勢」であった。人間はついつい自分に都合の良いほうに物事を解釈する「正常性バイアス」という性質を持っている。このためコロナ収束についても楽観的見通しが多く存在した。しかし現在は楽観論だけでなく、コロナ収束にあと数年かかるという慎重な声も聞こえてくるようになった。

かくいう私は、コロナについての見解・予見には全く自信がない。コロナ発生当時は、耳学問ながら簡単なロジックを使ってコロナ予防策などについて一定程度の理屈を構築していた。しかし「感染力の強いデルタ株・オミクロン株の登場」や「日本での急速な感染縮小」など感染症の基礎知識のない私には理解のできない事象が頻繁に起きる。いや、私に限った話だけではない。感染症の専門家と言われる人たちまでが、新型コロナの知見を十分に構築できているとは思えない。

ついこの間まで、「人間は科学の力を借りて神になった」つもりでいた。イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは、人間は「幸福」「永遠の生」と「神(世界の支配者)になること」を求めて生きている、と看破した。しかし私たち人間は新しいウイルスの前でひれ伏し、生物界の頂点にいるかについてさえ疑念が生じている。コロナはまた、「科学によって私たち人間が知りえていることなどごくわずかである」とも教えてくれている。それでも、私たちが世界を理解するうえで持っている武器は科学しかない。まだ稚拙なレベルにある私たちの科学力を使ってコロナを乗り越えていくしかない。

新型ウイルスとの闘いに劣勢な私たちは、現在いくつかの自由を奪われている。「外出の自由」「移動の自由」「面談の自由」「食事の自由」などである。こうした自由の喪失によって私たちは猛烈なストレスを感じている。私自身の話をさせてもらえれば、「お客様や友人と会えない」「レストランでおいしい食事を食べられない」「旅行に出かけて新しい発見をすることができない」「歌や音楽を自由に表現できない」などの欲求不満がたまっている。だが今回のパンデミック(世界的大流行)で仕事を失い、満足な生活ができなくなった人たちに比べれば私など十分に幸せである。

それでもストレスはたまっていく。新型コロナは、人間本来の欲望である「生存の欲求」「安全への欲求」「社会帰属欲求」「他者からの承認欲求」「自己実現欲求」(アブラハム・マズローの欲求5段階説)のいずれも阻害しているからである。さりとて、「無いものねだり」をしても欲しいものが手に入るわけはない。どれだけねだっても手に入らないならば、開き直って現在の環境を受け入れるほうが得策である。不自由だからこそ手に入ったもの――私がこの2年間で手に入れたものを紹介したい。

◆新しい知識の習得

タイで最初のロックダウンが始まったのが20年3月。外出してもスーパーマーケットと薬局以外は開いていない。それ以来、私が没頭し始めたのが読書である。以前から、日本出張に際して友人である細田衛士教授(元慶応大学経済学部長)にお勧めの本を聞き、書店で購入してバンコクに戻るのが習慣であった。ロックダウンが始まると早速、細田君に電話をしてお勧めの本を聞き、日本から取り寄せた。コロナで時間が十分に取れるようなったので、哲学や歴史学の本から読み始め、心理学、脳医学、進化学、地質学など理解に時間がかかる本をじっくり読み込んだ。さらに最新の経営学やGAFA関連の本も加えると、1年間に80冊ぐらいの本を読んだことになる。

ちなみに私の読書法をちょっとご紹介したい。私は大切な本に巡り合うと、その本を3回読み込むのである。最初はその本の重要な指摘や気になる箇所に線を引きながら読み終える。2回目はその線を引いたところだけを読んで、その本の論旨がつながっているかを確認する。3回目はその線を引いた個所をノートに書き出すのである。このぐらいしないと、私は本の内容が理解できない。こうした読書法はタイに赴任したころから始めており、かれこれ20年以上になる。今ではノートの分量も膨大なものとなっている。今回、ロックダウン以降に始めた集中的読書により、私の中には多くの知識が蓄積された。こうした新たな知識に基づいた記事を「ニュース屋台村」でも紹介させていただいている。

◆日本食と音楽を通じたタイ人との交流深耕

在タイ生活が24年にも及ぶと、仲の良いタイ人の友人が何人かできる。これまでタイ社会の中では「日本ブランド」は特別な輝きを持っていた。残念ながらこれも過去のものになりつつある。いまやタイの中での中国のプレゼンスは日本以上に大きくなってきている。少なくともビジネスの世界ではそうだ。それでもタイ人の日本好きは変わらない。こうした利点を生かして、私はタイで成功を収めた方々と付き合う際は、彼らの胃袋を捕まえる努力をしてきた。おいしい日本食を振る舞うのである。このため私はバンコクのおいしいレストランを発掘し、裏メニュ―の情報などもせっせと集めている。コロナ禍の影響で日本が大好きなタイ人の方たちは日本に旅行できない。またロックダウンで日本食レストランにも行けない。こうした時に私はおいしい日本食や日本菓子などをタイ人の方たちにデリバリーでお届けした。

またタイでコロナの感染対策が緩和されていた20年夏から21年4月ごろまでは少人数のサロン音楽会が頻繁に行われていた。音楽好きなタイ人上流階級の人たちが自宅を開放して音楽会を行い、若い音楽家たちを支援する。聴衆は20人から40人ぐらいで、参加者からのカンパで音楽家の活動を支援する。私の知る限り、コロナ禍の中で3軒の家でこうした音楽会が定期的に開催されていた。タイの社会は、昔からのタイ人と華僑の人たちは分断されている。こうした音楽会を開いていたのはタイ人の上流階級の人たちで、職業は軍人、官僚、大学教授、医者などが多かった。私はこれまで仕事柄、華僑の人たちとの付き合いが多かった。しかしこのコロナ禍によって、伝統的なタイ人社会の人たちと深くお付き合いすることができた。これもコロナ禍のおかげである。

◆音楽の特訓によるレベルアップ

私の余技が音楽であることは、「ニュース屋台村」の筆者紹介にも書いてある通りである。クラシック歌唱は小学校の低学年に個人レッスンを始め、大学時代も2人の先生に習った。米国勤務時代には、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で活躍したイタリア人のプロのバリトン歌手に師事した。ロサンゼルスで個人リサイタルを開いたあと日本に戻り、ジャズの歌も歌い始めた。タイに移り住んでからは51歳の時に、アマチュアのジャズバンドを結成してアルトサックスを始めた。またバンド解散後の59歳の時から、フルートも習い始めた。

飽きっぽい性格の私は何でもやりたがるが、声楽も楽器も満足できるレベルには達していない。ところが今回は時間が十分にある。まず全くものになっていなかったフルートだが、コロナ禍の中での練習成果もあり、習い始めて8年の年月が経ってようやく満足できる音が出るようになってきた。尺八の世界には「首振り3年、ころ8年」という言葉があるが、ころころという良い音が鳴るようになるまで私のフルートは8年かかってしまった。それにしても毎日2時間の練習をスタジオにこもって1年半にわたって続けてきたわけである。フルートの良い音を出す練習によって腹筋が強化された。毎日の発声練習とフルート練習による腹筋の強化により、クラシックの歌唱でも従来の「バリトン音域」よりさらに高音の「テノール音域」が少しずつ出るようになってきた。

まだ本格的なテノールの歌曲では使いものにはならないが、バリトン歌曲の高音域は無理なく歌えるようになった。このため現在、シューベルトの「美しき水車小屋の娘」というリード歌曲全20曲に挑戦している。フルートはクラシック曲20曲の暗譜演奏、アルトサックスはボサノバ10曲の暗譜演奏、ジャズ歌唱も30曲の暗譜に挑戦中である。毎日の練習は必ず録音して、家に帰ってから何回か聴き直し、翌日の練習に反映させる。こうした反復練習により遅々としてではあるが、音楽のレベルは確実に向上してきた。

◆家族の絆

私は昨年末に68歳の誕生日を迎えた。もうすでに老後の生活を迎えていてもおかしくない年齢であるが、何とか現在も職をいただいている。そうはいっても遅かれ早かれ、「妻と2人で自宅で過ごす生活」が待っている。今回のコロナ禍は、こうした老後生活の環境を強制的に実現せしめた。自宅で妻と2人で過ごす時間は従来に比べて圧倒的に増加した。食事もほとんど妻と2人である。コロナ発生以来2年の時間を経て、こうした妻と2人の時間が当たり前のものとなった。老後生活の準備完了である。

子供たちとの絆(きずな)も深まったような気がする。自由を奪われたコロナの時代だからこそ、おいしいものを食べることは無上の喜びとなる。便利なことにタイからもインターネットでいろいろなものが注文でき、日本各地に配送できる。このシステムを利用して、私たちが今までおいしかったと思うものを注文してはせっせと子供たちに届けた。子供たちからは「救援物資」とも呼ばれたが、コロナによってちょっとは親らしい支援ができ、子供たちからも感謝された。またインターネット回線を利用したビデオチャットで頻繁に孫たちと会話をしている。小さな孫たちも自由に外出ができない中でフラストレーションがたまっているようである。ビデオチャットを通して「かくれんぼ」や「おままごと」などをしているが、少しは孫たちの遊び相手になっているのではないだろうか。コロナ禍になって孫たちとの絆もかえって深まったようである。

◆与えられた環境を前向きにとらえて

こうして見てくると、「コロナも決して悪いことだけではない」と思えてくる。各種の自由を奪われたからこそ、「じっくりとモノに向き合う時間」が増える。各種の自由を奪われたからこそ、相手のことを真剣に考えて「より強い絆」を築くことができる。

新しい年が「コロナ撲滅の年」になるか「コロナとの共生の年」になるか、私にはわからない。しかし与えられた環境を前向きにとらえ、活路を見いだせば必ず良い結果が出てくる。今年は何ができるのか? 今から楽しみである。

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