小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住24年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。私には3人の子供と4人の孫がいる。大変ありがたいことに3人の子供たちはすでに独立し、それぞれ伴侶を得て自分たちの家庭を築いて生活している。昨年末に68歳になった私はとっくに子育ての年齢を終えている。 現在は私の子供たちが自分の子供(私の孫)たちの子育てに精いっぱい頑張っている。私の友人の中には「孫に対しては責任がないので、どんなことでも許せてすごくかわいい」と宣(のたま)う人がいる。
残念ながら私はそういう気分にはなれない。孫を見ていてもついついその教育法に口を挟みたくなるが、じっとがまんをしている。私もこの年までだてに生きてきたわけではない。わざわざ自分の子供に嫌われるような「私の教育論を押しつけること」は控えるように心がけている。
それにしても孫の成長を見ていると、自分の子供を育てていた時には全く分からなかった多くのことに気付かされる。もっと早くそうしたことに気づいていればよかった。私がいまだに「子育て論」に興味があるのは、自分の子供たちの教育に十分な時間を割かなかった悔恨の念を引きずっているからかも知れない。私は「朝7時に家を出て夜中の2時まで働く」銀行員生活を30年以上続けてしまった。平日に子供たちと顔を合わせる時間は全くなかった。実際、子供の教育はすべて妻任せであった。子供たちが立派に育ったのは、妻と子供たち自身の努力の結果である。
そんな私が今更ながら子育て論を論じるにはあまりに虫がいい。しかし最近になって「心理学」「人体構造学」「脳医学」などの本を読むようになり、人間が成長していくメカニズムにもちょっとは理解が深まってきた。今なら少しまともな子育てができるかもしれない。今回はそんな私の身勝手な独り言をお許し願いたい。
◆山中・成田両教授の子育て論
バンコク市内の書店で先日、面白そうな本がないか物色していると、『山中教授、同級生の小児脳科学者と子育てを語る』(山中伸弥・成田奈緒子対談、講談社+α新書、2021年)という本を見つけ、すぐに買ってしまった。山中教授は言わずと知れたiPS細胞でノーベル生理学・医学賞を受賞した医学博士である。2017年から放映された「NHKスペシャルー人体 神秘の巨大ネットワーク」で7回にわたり、タモリと共にわかりやすく人体に関する新たな知見を説明していた。番組の中で自分の知らない事実を「知りませんでした」と正直に話す物言いに深く感銘した。山中教授は現在59歳。私より若いとはいえ、普通に考えれば子育ては終わっている年齢である。そんな山中教授が今ごろになって子育て論を語るのである。私は興味津々で1時間余りでこの本を読み終えてしまった。共著者の成田奈緒子教授は神戸大学医学部で山中教授のクラスメート。そんな関係のため和やかな雰囲気の中で多少脱線しながら話が進んでいく。自分たちの幼少期の生活環境や自分の子供たちへ実践してきた子育てを具体的に話しているため内容に説得力がある。対談のため話はいろいろな視点に立ち多岐にわたっていたが、私なりに2人の対談内容を以下の通りまとめてみた。
第1に子供の教育方針である。「どのような人間を育てるか?」ということである。2人が考える、人間が持つべき素養は①自立心②感謝の心③レジリエンス(逆境を乗り越える力)――の三つのようである。「人間が生きていく上でどのような能力が必要か?」という問いを私はしばらく見かけなかったような気がする。現代はノウハウの習得にあまりにも重点が置かれ、面と向かって人間の生き方を議論することは少ない。「子育て論」はこうした本質的な議論を抜きにしては語れないということに気付かされる。
それではこれらはどのようにたら、この三つの素養が身につくのであろうか? 自立心については「ほったらかし」がキーワードのようである。親の過度な干渉が子供の自立心を奪う。子供が自分の好きなことを見つけ、自分でやることが重要である。次に「感謝の心」である。感謝の心をもたせるためには「ありがとう」「ごめんなさい」の言葉を日常的に子供たちに言わせることが肝要だとしている。最後のレジリエンスは成田教授が特に強調した能力である。人間が逆境の中にあっても打ちのめされることなく這(は)い上がることは極めて重要である。古来より「七転び八起き」という諺(ことわざ)があるが、長い人生のうち七回ぐらい苦しい局面があっても不思議ではない。自分中心で好き勝手に生きてきた私など、何度も逆境に遭遇した。それを乗り越える能力こそがレジリエンスである。
成田教授によれば、そのレジリエンスには更に三つの要素があるという。それは①自己肯定力②社会性③ソーシャルサポート――である。「自己肯定力」は先天的要素が強いようであるが、「社会性」はコミュニケーション能力の向上によって獲得できる。コミュニケーション力は経験値が物を言い、特に海外に居住すると大きく向上すると述べている。レジリエンスを向上させるもう一つのものが「ソーシャルサポート」である。成田教授によれば、ソーシャルサポートを受けるためには自らが「助けて」というメッセージを発信しなければならない。このメッセージが発生できるか否かは、常日頃から「お陰様で」という周りの人に助けられているという気持ちを持っているかにつながっているのだそうだ。ここに「感謝の心」がつながってくる。
◆子育てについての私の方針
それでは、親はどのように子供に接すれば良いのであろうか? これまで述べてきた「子育ての方針」に基づき子供に接することであるが、具体的には子供に良い習慣を身につけさせることのようである。例えば「早寝・早起き・朝ご飯」「感謝の気持ちを口にさせる」「他人のせいにしない」「自分で考えさせる」などである。
この他にもう一つ重要なことがある。親は常に子供の人格を認めてあげることである。子供が一番認めてほしいのは「親」である。成田教授によれば、親に本音が言えない子供がたくさんいるとのこと。親の過度な押し付けが子供に悪い影響をあたえる。
振り返って私は、自分の子供たちにどのように接してきたのであろうか? 私は先述のように、平日は仕事に明け暮れ、子供たちの顔をほとんど見なかった。しかし週末・休日は家庭に仕事を持ち込まず、自宅で子供たちと過ごした。子育てらしい子育てはしなかったが、一丁前に子育て論は持っていた。子供に対しては次の3点をいつも言い聞かせていた。
①自分のことは自分で決定し責任を取る
②自分の好きなことを見つけそれを伸ばす努力をする
③社会を生きるためのルールは自分で吟味し一旦納得したルールは必ず守る
山中教授と成田教授の子育ての方針と比較すると、自立心とレジリエンスについてはかなりいい線を行っていたようである。私はこの本を読むまでレジリエンスという概念を全く知らなかった。しかし私の言うところの「自分の長所を生かすこと」はレジリエンスの一つの条件である自己肯定力につながる。また海外生活が長い私の子供たちは、結果としてコミュニケーション力がつき、ソーシャルサポートの獲得ができたのであろう。
私は子育てにほとんど関与しなかったが、子育ての方針については、著名な山中教授などに近い見解を持っていたようで誇らしい。ただ3点目は全く異なっている。私は「感謝の心」を持つことも、積極的に「ありがとう」と言うことも子供たちに教えなかった。これは私の大きな失敗であったかもしれない。ただ現在、私の子供たちが誰に対しても「ありがとう」や「ごめんなさい」と言っているのを聞くと、内心とてもうれしくなる。妻が子供たちにこうしたことを教えたのかもしれない。または子供たちが私を「反面教師」として自ら学んだのかもしれない。今は自分の子供たちが「感謝の心」を持ったことに感謝している。
山中教授たちは触れていないが私が重視しているものに「社会的ルール」がある。私は「与えられたルールを盲目的に守れ」などと言っているのではない。ただ人間が社会的動物であり続けるためには最低限守らなければならないルールがある。キリスト教やイスラム教の聖典である「旧約聖書」にある「モーゼの十戒」、仏教の律蔵に収められている「五大罪」などに共通する人間としてやってはいけない行為がある。
①人を殺す。あるいは傷つけること
②うそをつくこと
③人のものを盗むこと
④姦淫(かんいん)する(不健全な肉体関係を持つ)こと
現生人類であるホモサピエンスは宗教を通じて社会を構築したことで、食物連鎖の頂点に立つことができた。私たち人類が社会を構成していくためには、四つの倫理規定が最低限必要である。日本や中国を除く世界の大半の国では、こうした倫理は幼児期の宗教教育で培われてきていた。宗教的環境のない日本では人間としての最低限の倫理は家庭で教えなければいけない。「道徳教育が軍事教育につながった」という批判があるが、人間として最低限の義務を守ることが出来なければ民主主義も成立しない。倫理を教えることは親の責任である。
◆子育てに正解はない
さて、ここまで書き進めてくると、「子育て」はテクニックではないことに気付かされる。ここまで語ってきたものは「私の子育て論」である。しかし子供は一人ひとりそれぞれの個性があり、異なる性格と能力を持っている。また、子育てを行う親の側もそれぞれ違う。同じ組み合わせは二つとない。であれば、「子育て」に単純なノウハウなどない。親は子供一人ひとりの個性を理解し、愛情を持って自分の人生観を真摯(しんし)にぶつけていく。これしかないようである。子育てにはどうも正解がないようである。
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