小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住24年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
3月3日に日本に戻ってきた。2年ぶりの一時帰国である。タイに赴任して24年が経過したが、こんなに長く日本の土を踏まなかったの初めてである。もちろんコロナ禍が理由である。今年1月7日付の拙稿第209回「コロナも悪いことばかりじゃない?-新年の抱負」では、この2年間で私の中に身についた「読書による新しい知識の習得」「音楽会を通じたタイ人との親交」「個人練習による音楽技術の向上」「ビデオ電話などによる家族の絆(きずな)」などについて、えらそうに語らせていただいた。
そのことにうそはない。しかし正直に言えば、この2年間、私は明らかに停滞した。異なった領域で多くの方たちとの人脈を持っていることが私の強みである。しかしコロナ禍によって人に会えず、私の強みは封印された。また、日本とタイを行き来することによって両国の違いを比較・分析するのが私のやり方だった。同じようにそれも使えなくなってしまったのである。
さすがにこのままではまずい。自分が自分でなくなってしまう。そんな焦りから一時帰国を決断した。今回は、タイ出国前から成田到着、そしてその後のことなど、一時帰国の顛末(てんまつ)をご紹介したい。
◆「タイにしばらく帰れない」と覚悟
今回の一時帰国は、昨年末から計画していた。そもそも「日本に一度帰国したら、タイへの再入国が許されず仕事に支障をきたすかもしれない」という恐れから2年間、日本に帰国しなかったのである。逆に言えば、しばらくタイに帰れなくても私自身が困らない状態を作らなければならない。もとより、コロナ禍で仕事は停滞中である。私自身「観光関連」や「産学連携分野」などでいくつか会議を主宰していたが、メンバーの方たちには休会の旨を連絡させていただいた。また、今年1月から開講している新人行員向けの講習会は前半の導入部分を終わらせる必要がある。このため私のタイの出国日を3月前半に定めて航空券の手配をした。
「コロナ禍もこの先どうなっていくのかわからない。最悪タイに戻ってこれない可能性も考えておかなければならない」。自分にこう言い聞かせてタイから持ち帰る荷物を整理した。本当に重要な物は郵便などを使って日本に送り返した。タイにある物は最悪誰かに処分してもらえばよい物ばかりにした。銀行口座も整理した。バンコック銀行に預金口座を保持したままコロナ禍で2年以上タイに来られず、預金の処分ができずに困っておられるお客様を数多く見てきた。私がそうならないとも限らない。ATM(現金自動出入機)カードの複数枚作成、インターネットバンクの整備とそれに伴うタイの電話回線も保持した。
◆成田到着便の乗客わずか30人
出発2日前にPCR検査の「陰性」証明を入手し、出発当日を迎えた。タイ航空の深夜便を利用するため夜9時には空港に着いた。さすがにスワナプーム空港にはほとんど人がいない。それでも空港内の一部の免税店は開いていた。買い物をする人たちは少なく、店員は手持ち無沙汰の様子。私も買い物をする気などさらさらなく、タイ航空のラウンジで日本への入国書類を準備しながら出発時間を待つことにした。
日本政府指定の入国書類の作成をしていたが、ふと周りを見渡すと、ラウンジはマスクをしていない西洋人らしき人でいっぱいである。発着案内を見ると、スウェーデン行きのフライトがキャンセルになっている。スウェーデンに戻れず空港で足止めを食らった乗客がいっぱいいるようである。その数はざっと見積もっても100人以上。この人たちに食事を用意するためラウンジを開放したようである。
タイは昨年11月から、エリアを限って観光を推進する「サンドボックス方式」でプーケットの観光を再開したが、これほど多くの北欧人がすでにタイに来ているとは思ってもみなかった。スウェーデンは国策として「積極的にコロナに感染して自然免疫を獲得しよう」とした国である。どうもスウェーデン人にはマスクをする習慣がないようだ。しかし、こちらは今まで感染を恐れて生きてきた人間である。私と妻は早々にラウンジから退散した。
私たちが乗る飛行機は翌朝7時半に成田空港に到着した。私たちが搭乗したタイ航空のビジネスクラスには5人の乗客しかいなかった。フライト全体でも30人しか乗客がいなかった。今年3月からは「ワクチンを3回以上接種したタイからの入国者」は日本での隔離措置が免除されるようになった。このため日本への渡航者はかなり増加していると予想していたが、あに図らんや、である。隔離免除措置が発表されてまもないため、渡航者が少ないのも仕方ないことかもしれない。
◆乗客の多くは技能実習生ら?
さて、いよいよ成田空港での入国手続きが始まる。「これからいったい何が起こるのであろうか?」。若干不安な気持ちで飛行機から降りる準備をしていた。飛行機のドアが開くと、ゲートの向こう側には防護服を着た10人ほどの空港職員が待ち受けている。いつもより念入りに飛行機到着時の書類の受け渡しが行われている。それが終わると、まずは他国への乗り継ぎ客を優先して降ろした。こうした乗り継ぎ客は日本政府が課しているような出国前のPCR検査を受けてコロナの「陰性」を確認しているのだろうか? 一瞬不安な気持ちに襲われたが、ビジネスクラスの客は全員日本に入国することがわかり、ちょっとだけ安心した。
いよいよ私たちは飛行機から降り、空港内に入った。乗客全員が一団となって降機場のわきにある通路に設置されたいすに座らされ、まずは入国書類の形式チェックが行われた。同じ時間帯に着いた別の便の乗客も少し離れた場所に一団となって座らされていた。
ここでまずびっくりしたことは、バンコクからのタイ航空の30人の乗客のうち、日本人とタイ人をあまり見かけなかったことである。私の横と後ろの座席にはバングラデシュやネパールの人が座っている。ずっと後ろを見回しても、タイ以外の東南アジアの人が目立つ。こうした人たちの中には日本政府が要求する入国書類を準備していない人たちも目立つ。一から書類作成である。ところが私の周りの外国人たちは英語もしゃべれない。空港職員が日本語で説明するが書類作成作業は遅々として進まない。英語やタイ語であるなら私も手助けできるが、私が全く理解できない言語の人が多くいる。
これらの人たちはどうやら、「技能実習生」や「語学留学生」という名の外国人労働者のようである。入国管理が緩和されてすぐにこれらの人たちが入国できるのは「何らかのコネクション」があるからに違いない。予想もしなかった光景に、思わずこうした疑念が浮かんだ。
◆手間取る入国手続き作業
入国手続きの作業は到着便単位の集団作業となっているようで、私たちはひたすら待ち続けるしかない。そうはいっても、私と妻も書類を1枚書き直しさせられた。隔離免除措置が導入されたため隔離免除対象者の書類が変更になったとのことだった。私はタイ出国直前まで日本政府のホームページで必要書類のチェックを行ったが、この新様式は記載されていなかった。隔離免除措置が発表されてからわずか1週間なので日本政府も手続き更改の対応ができなかったのかもしれない。しかし、日本の公務員の事務処理能力の高さを期待していた私にはちょっと残念であった。
私が乗った便の乗客の書類の形式チェックは1時間弱かかった。このあと唾(だ)液採取によるPCR検査、さらにスマートフォンのアプリ「My SOS」の登録作業が行われた。「My SOS」は自主隔離を含めた隔離期間中の入国者の行動管理のために使われるアプリである。アプリの登録作業には入国者1人ひとりにヘルパーが付く。私たち夫婦はすでにこのアプリを日本入国前にインストールしてあったが、実際にこれを使えるようにするためには多くの項目の入力が必要である。私を手伝ってくれたヘルパーはまだ若い中国人だったが、手慣れた手つきでほとんどの作業を彼がやってしまった。
ところが、妻に応対したヘルパーは日本人の女性で、この登録作業に慣れていない。最後は私のヘルパーが妻の分の登録も手伝った。当事者が何もしないで登録が終わってしまうのも問題のような気がするが、ヘルパーの日本人がこれらの作業につまずいているのを見ると、日本人のデジタル作業の感度の低さにびっくりする。少なくともこのヘルパーは携帯電話のアプリの登録のために採用されたはずである。
妻の登録作業を待つ間、中国人のヘルパーに入国措置緩和後の入国者の状況を聞いてみた。3月1日以降、中国人と韓国人の入国者が激増しているという。これも外国人労働者受け入れのためなのかもしれない。日本の経済は外国人労働者抜きには成り立たないところまできていると実感した。
◆空港業務を支える外国人労働者
携帯電話のアプリ登録作業が済むと、検疫関連書類の内容確認が行われた。あらかじめ厚生労働省の質問票に回答した内容をQRコードで読み取る作業、タイで行ったPCR検査結果やワクチン接種証明の提出などである。私たちはワクチンを3回接種済みのため隔離期間免除者たちの場所に通されて、成田空港で行ったPCR検査の結果を待った。
到着時のPCR検査は唾液からのコロナ菌の抽出、培養などで最速でも2時間程度はかかるとあらかじめ聞いていた。最終的にはこの場所で1時間半ほど待つことになったが、この待ち時間は致し方ない。むしろかなり迅速に対応していただいたことを感謝しなくてはいけない。しかし夜行便に乗って疲れた身体に1時間半の待ち時間はつらいものがある。
運動のためにトイレに行ったり飲料水を買ったりして待合所内を歩いてみる。すると、この隔離免除者の待合所にはタイ人が何人もいることに気づく。日本の航空会社の便で渡航した人たちも含まれるのだろう。タイでは3回目のワクチン接種が日本より進んでいる。そのため隔離期間免除者が数多くいるはずである。
もう一つ気づいたことがある。検疫作業を手伝う人たちの半分近くが外国人なのである。成田に早朝に着く便は東南アジアからの便が多い。インドネシアからの入国者がインドネシア人の空港職員と雑談をしている。こんな光景がいたるところで見られるのである。ここにも外国人労働者に頼った日本の実像が透けて見えた。
そうこうしているうちに、成田空港で受けたPCR検査の結果が判明。無事「陰性」の結果となり、検疫所での作業が完了した。この後、入国管理事務所での入国処理、機内預け入れ荷物の引き取りを終えて空港外に出たのが11時前であった。
◆一息ついたのもつかの間
3月初めの日本の空気はまだひんやりと冷たい。外の空気を吸ってようやく自分の気持ちが落ち着いた。成田空港での入国手続きの処理に3時間強かかったが、まずは上出来である。「これで無事に日本の生活が始められる」。ほっと一息をついたが、自宅に帰るとまだまだ大変なことが待ち受けていた。次回は、そのお話をしたい。
※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の参考記事は以下の通り
第209回「コロナも悪いことばかりじゃない?-新年の抱負」(2022年1月7日付)
[…] https://www.newsyataimura.com/ozawa-91/#more-12915 […]