п»ї フランス人は10着しか服を持たない『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第53回 | ニュース屋台村

フランス人は10着しか服を持たない
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第53回

8月 28日 2015年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住17年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

私の若い頃、フランスは憧れの国であった。マネやピサロなどパリ市内や郊外の風景を光と共に表した美しい絵画は(それまでの重苦しい宗教画と大きく異なり)、青春時代の希望に満ちた若者の心を打つものであった。

エディット・ピアフやバルバラの暗くけだるいシャンソンの響きには、歌詞の意味も分からずに酔いしれた。映画の世界も「太陽がいっぱい」「シェルブールの雨傘」「男と女」「さらば夏の日」などフランス映画全盛の時代であり、アラン・ドロンやカトリーヌ・ドヌーヴの美しさに圧倒されたものであった。

しかし戦後の日本は米国の影響を大きく受けており、生活様式や文化、また、ものの考え方まですっかり米国流となり、いつの間にかフランスは私にとって遠い国となっていった。

◆フランス人の優雅な暮らしぶり

今年4月の日本出張の際、たまたま立ち寄った東京駅のブックストアに棚積みされていた『フランス人は10着しか服を持たない』(ジェニファー・スコット/著、大和書房)という本を見つけて、思わず衝動買いをしてしまった。フランス人という響きに胸が高鳴ると共に、そのフランス人の生活様式に興味を持ったからである。

本の内容はアメリカ人である著者スコットがフランス人貴族の家に留学し、あまりにも米国慣習と違うフランス人の暮らしぶりに驚き、その違いを書き記したものである。彼女は幾つもの違いを実例をもって書いているが、私が面白いと思ったのは以下のものである。

1.3度の食事に全力を傾けて楽しみ、間食はしない

⇒ アメリカ人はベッドに横たわりながら、だらだらとテレビを見ながらポテトチップスなどを食べる

2.毎回小まめに買い物に出かけ、普段から体を動かす。ジムには通わない

⇒ アメリカ人は自動車を多用。そのくせダイエットを気にしてジムで体を動かす

3.自分の定番のスタイルを見つけ、洋服は質の高い服を10着しか持たない。また普段からこの洋服を着る

⇒ アメリカ人はちょっとでも気に入った服はすぐに購入し、クローゼットに山のように保管している。そのくせ普段はTシャツとGパンで暮らす

4.一番良い持ち物(家具、食器、洋服など)を普段使いし、家の中はいつも片付いている

⇒ アメリカ人は安物(時にはプラスチック製)のナイフとフォークを使い、いつ失っても良い準備をしている。家中にこうした安物の家具や食器、食べ物が乱雑に置かれている

5.新しいものに興味を持ち教養を身につける。このためには本や新聞を読み、美術館や劇場に足を運ぶ

⇒ アメリカ人はテレビを見ながら食事をする。ファッション雑誌をよく読むが読書はあまりしない

私にはフランス人の知り合いがいないわけではない。この10年来、同じバンコクのアパートに住み、時々声をかけあうフランス人の知り合いがいる。このご夫婦はともに太っておらず、洗練された洋服をいつも着ている。しかし私がフランス人に関して知っているのはそこまでである。フランス人の生活の内実については全く知らない。

一方、アメリカには10年暮らして彼らの生活ぶりは見てきた。著者のスコットがフランス人の生活ぶりと対比して述べたアメリカ人の生活は、私にとってはなじみ深いものである。ソープオペラと呼ばれるアメリカ人の中・下流家庭を描いたドラマにもスコットが述べるアメリカ人の生活そのものが出てくる。そしてこの「アメリカ人の生活ぶり」は「日本人の生活ぶり」と置き換えてみても全く違和感が無い。アメリカから輸入した大衆消費社会の生活様式にどっぷり浸かってしまった日本そのものである。

それにしてもフランス人は本当にこんな優雅な生活を送れているのだろうか? 何ともうらやましい生活スタイルである。「私もこんな生活を満喫したいものだ」。こんなことを考えながらも、一方でフランス人がこんな生活をしているか半信半疑であり、私の脳裏からは次第にこの本のことは消し去られていた。

◆歩いて楽しいパリの美しい街並み

ここ数年まとまった休みを取ったことが無いのを半ば自慢にしていた私だが、今年の夏、休暇をとってヨーロッパ旅行を挙行した。私にとっても妻にとってもほぼ初めてのヨーロッパである。

フランス行きが決まった時、私はふっとこの本のことを思い出した。残念ながら私にはフランスに住むフランス人の友人はいない。しかし私にはパリに住む玉木林太郎君という強い味方がいる(拙稿2015年6月19日付ニュース屋台村「朋ありパリより来たる また楽しからずや」を御参照下さい)。今回のパリ旅行は玉木君ご夫妻に何から何までお世話になり、たいへん有意義な旅となった。

それにしても、まずパリに来てびっくりしたのは街の美しさである。凱旋門をはじめとして街のシンボルである場所を中心に、道が放射状に伸びている。この道が広く、必ず街路樹が植わっている。8月のパリは既に紅葉が始まり、まるで絵画の世界である。道に沿ってぴったりと建ち並ぶビルディングは形式と色が統一され、街の美観が際立つ。

ここには東京やニューヨークにあるようなわい雑な広告の類は見当たらない。道のところどころに机と椅子がせり出している。カフェである。カフェでは人々がコーヒーをすすりながら思い思いの時を過ごしている。こんな街なら歩いていても飽きない。道に沿ったビルディングの多くはアパートだそうだが、ビルそのものが古いため、アパートにはエレベーターもエアコンもついていない。エレベーターがなければ住人は階段の昇り降りをしなければならない。フランス人はあの本に書いてあった通り、街を歩くことを楽しんでいるに違いないと確信した。

しかしこの歩いて楽しいパリの街も、フランス人の文化の高さを反映して造られたのかと言えば、必ずしもそうではなさそうである。そもそも19世紀の半ばまでは、パリは木造の建築物が並ぶ生物(なまもの)や汚物にまみれた汚い町であった。こんな汚い町で1789年のフランス革命以降もナポレオンなどの王制と市民勢力の戦いが頻繁に行われていた。

汚く入り組んだ街並みは市民勢力による市街戦に有利に働いた。これに手を焼いたナポレオン3世が1853年にセーヌ県知事となったオスマンに命じて行ったのがパリの街づくりである。非衛生的であったパリに「光と風を入れる」ために直線的な大通りを設置。この道路はあわせて軍隊の移動と市民勢力によるバリケード構築を阻止する役割を果たした。

伝染病を防ぐ手段として新鮮な空気を確保する公園が必要との理由で、パリの街中に多くの広場や公園が造られた。新たに造られた市内の幹線道路沿いでは土地収用法を活用して、高さや窓の形、壁の色などを統一した建物を新たに造っていった。

この築後150年ほどの建物が現在のパリを美しく見せているのである。このほか、治安向上のために街路に照明をつけると共に上下水道の設置などをオスマンは行った。20世紀に入ると、この上下水道網を利用して電気、ガス、電話なども地中に設置されたのである。

オスマンの先見性は大いに褒められるところであるが、そもそものパリの街づくりの動機はフランス人の文化の高さから来たものではないことは明らかである。それでもフランス人はこうして出来たパリの街を長い間、有効に活用しているのではないだろうか。

◆歴史の必然から生まれたもの

振り返ってスコットが指摘したフランス人の生き方はこのパリの街並みが大きく影響しているように思える。今から150年ほど前に出来たアパートだからこそ古く狭い居住空間しか確保できない。こうした居住空間だからこそ、本当に良いものだけを選別して日常の中でこうした良いものを大切に使うのであろう。

狭いアパートだからこそ、食料の買いだめもせずフランス人はせっせと毎日買い物に出かける。現にパリの街なかにはスーパーマーケットが沢山ある。きれいな街並みだからこそ、フランス人はその街並みにあった服装をして散歩やお茶を楽しむ。祖先から代々引き継がれた良質な家具や食器に囲まれているから、これ以上金を浪費する必要もなくぜいたくに食事を楽しむ。

玉木君に何軒かフランス人しか行かないレストランに連れて行ってもらったが、フランス人たちはぜいたくでボリュームのある料理を前に、家族や友人、恋人達の会話を楽しんでいる。これではポテトチップスなどのジャンクフードが入り込む余地はない。どれもフランス人にとっては必然の生き方のような気がするのである。

振り返って日本人。我々にも歴史の必然から生まれた建物、街づくり、文化などがあるはずである。こうしたものの見直しこそが日本再生の手がかりなのかも知れない。

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