小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住24年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
ロシアがウクライナへ軍事侵攻を始めてから2か月以上が経過した。核を保有する軍事大国であるロシアがウクライナ侵攻を決行したのが2月24日。「軍事力で全く劣勢にあるウクライナは大国ロシアの前に1か月も持たないのではないか」。こうした大方の予想を裏切り、ウクライナ側の抵抗は続く。日本のマスコミは連日、ロシアの極悪非道な戦争犯罪を糾弾する。また政府・自民党からはウクライナ戦争の教訓として「軍事費の増額」や「自衛隊の活動領域の見直し」などの議論が出ている。
こうした議論の方向性を見ると、「またしても日本人は重大危機に際して思考停止状態に陥ってしまった」としか私には思えないのである。誤解を招くといけないので、あらかじめ宣言をしておこう。私は決して「不戦論者」でも「理想主義者」でもなく強烈な「愛国者」である。だからこそ日本が間違った方向に進むことに強い危機感を持っている。「第3次世界大戦」や「核戦争」が実際に起こる可能性すらある現在のウクライナ戦争。私たちはこの戦争から何を学び、何を準備するべきなのだろうか? 今回はウクライナ戦争について、マスコミではあまり取り上げられない視点での論考を試みたい。
◆経済力が左右する戦争の行方
戦争の勝敗の行方を語るとき、一般的には「軍事力」が比較される。戦争突入時点での兵力や兵器によってどちらが優勢か、が語られるのである。短期的にはその比較は決して間違いではない。
しかし戦争が短期間で終わる事例は少ない。戦争が長期化すれば勝敗を握るカギは「経済力」に移行する。過去2度の世界大戦は経済力に勝(まさ)った陣営が勝利した。もちろん局地戦ではそうならないケースも存在する。ベトナム戦争やアフガニスタン紛争では圧倒的な国力を有する米国が敗北した。そもそも戦争には膨大な戦費が必要となる。「膨大な戦費を支出してまで戦争を遂行する経済的メリットがない」というのが戦争をめぐる現代の一般的な理解である。ベトナム戦争などにおいても「膨大な戦費を支出し続ける経済的な余裕がなくなった」ことが米国の撤退を決定づけた主要因である。こうしてみると、経済力が戦争を遂行する上で最も重要な要素となる。
また、経済力の重要性を別の観点から考えてみよう。1989年11月9日のベルリンの壁崩壊以降、ソビエト連邦を中心とする東欧の社会主義陣営は崩壊した。この冷戦構造の崩壊後、ポーランドやチェコスロバキアなど東欧諸国は雪崩を打って西側民主主義陣営につき、多くの国がヨーロッパ連合(EU)に参加した。これもまた経済力の勝利である。東欧諸国は民主主義陣営に入ることにより、豊かさを享受できたのである。ロシアは次第に友好国を失い、今回のウクライナ戦争によって失地回復を狙った。こうした経済力の重要性を歴史に求めると枚挙にいとまがない。古くは古代ローマ帝国が現在のヨーロッパの大半を領地として占有したが、これは「経済的繁栄」を植民地に輸出したからであった。
「すべての道はローマに通ず」という有名な言葉がある。この整備された道によって、ローマの豊かな物資がヨーロッパ全土に送り届けられた。ローマによって整備されたものは道だけではなかった。ヨーロッパ各地にはいまだにいくつもの水道橋が歴史的遺産として残る。この水道橋に示されるように、古代ローマ帝国はヨーロッパ各都市に水道網を整備し、植民地の人々にも健康で豊かな生活を保障したのである。
◆乏しい日本の情報収集力
翻って現代の日本。1990年代後半の日本は世界の国内総生産(GDP)の15%を占める世界2位の経済大国であった。ところが現在、その割合は5%までに凋落(ちょうらく)し、中国の後塵(こうじん)を拝することになってしまった。経済力の衰退は産業競争力や技術力の衰退によって生じる。いまやアジア各国は日本よりも中国の言うことを聞く。当たり前である。そのほうがアジア各国にとってメリットがあるからである。まかり間違って日本と中国の間で戦争が起こっても、日本につく国は少数である可能性が極めて高い。日本は「軍事力強化」うんぬんの前に「経済力強化」を打ち出すべきなのである。ウクライナ戦争の報道から日本の経済力の向上を求める議論は、ほとんどお目にかかったことが無い。
次に日本が考えなくてはいけないのは「外交能力の向上」である。外交能力というと「相手に自分の意見をしっかりと伝えること」と考える人が多いと思う。日本の政治家や官僚の中にはまともに英語を話せる人材が少ない。それがゆえに日本は外交能力が低い、と結論付ける人がいる。それもあながち間違いではない。
しかし外交はそれほど単純ではない。各国間の利害はほとんどの場合相反関係にあり、妥協を伴った難しい交渉力が必要となる。具体的には「情報収集能力」「分析力」「情報発信力」、そして「交渉能力」などが必要となる。「相手国が本音で何を考えているのか?」。こうした情報を取ってこなければならない。ところが相手国にだって複雑なパワーバランスがある。自国の方針を下すにあたっては多くの利害関係者が存在し、事態も流動化する。こうしたことを網羅するためには多くの情報源が必要となる。
私には日本がこうした情報収集に力を入れているとはとても思えない。ウクライナ戦争にしても、両国の歴史や主要な人物の経歴などを掘り下げて報道したものをほとんど見ない。ところが、米国やヨーロッパの報道はこうした問題意識にあふれている。日本全体として、こうした問題意識が欠如していると思える。十分な情報収集がなされていなければ「分析力」も発揮されるわけがない。
しかし、この領域も日本人が苦手とするものである。第2次世界大戦での日本軍の敗北の要因を分析した『失敗の本質-日本軍の組織論的研究』(戸部良一他、1991年、中央公論新社)の中でたびたび指摘されているが、日本軍は集めた情報を冷静に分析・共有していなかったことが敗戦の大きな要因の一つであった。
◆情報発信力も備わっていない日本
科学的分析とは古典的には「帰納法」と「演繹(えんえき)法」の活用である。「帰納法」は多くの対象を空間軸、時間軸の中で比較することから始まる。ところが島国で他者との比較を日常的に行っていない日本人は、この「帰納法」が苦手である。さらにスーパーコンピューターの登場によって複数の主体要素を分析する「複雑学」が可能となっている。これ以外にも画像認識装置の発達によって、対象となる人間の本音まで浮き彫りにされてしまうことが可能となった(ニュース屋台村2021年2月12日付拙稿 187回「あなたは誰かに操られている」ご参照)。こうしたあらゆる装置や科学手法を使って分析をしなければ相手の出方をつかめない。
情報発信力も日本人が苦手とする領域である。今回のウクライナ戦争を機にロシアは「北海道はそもそもロシアの領土の一部だ」と主張し始めた。日本人はこれを荒唐無稽(こうとうむけい)なことと笑い流す。しかしこれは極めて危険なことである。米国人の私の友人は「10年前までは尖閣諸島は間違いなく日本の領土という認識であったが、現在は中国の領土だと世界は認識し始めている」と言っていた。中国は尖閣諸島の領有権を声高々に主張するとともに、中国の軍艦や漁船を常駐させ実効支配に動いている。韓国の慰安婦問題もしかりである。「日本と韓国のどちらが正しいか?」の問題ではない。「日本と韓国のどちらが世界の支持を得ているか?」がより重要なのである。
「正しさ」は立場が違えば異なってくるものである。外交はいまや立派な戦争である。繰り返し言おう。「どちらの意見がより多く支持されているか」が重要なのである。ウクライナのゼレンスキー大統領は今回、SNSを使った情報戦において優位に立っている。そもそもロシアはこうした情報戦は得意だったはずである。ロシアはその卓越したハッキング技術により米国大統領選に介入し、トランプ氏の大統領当選に加担したといわれている。ところがウクライナの情報発信力はこのロシアの上を行くものであった。こうした情報発信力が日本に備わっているのだろうか? 日本政府は「沈黙は金」とばかりに、これまでほとんど何も発信していない。
◆今こそ戦争の可能性とその対応を考える時
最後に、国家と国民の在り方について問題提起をしたい。日本のマスコミ報道を見ていると今回も、「ウクライナ=善、ロシア=悪」という二元論に立ち、「勧善懲悪思想」を押し付けているように思える。さらに「8割のロシア国民が極悪非道な今回の軍事侵攻を支持していることが信じられない」と指摘する。そして、多くのロシア国民が軍事侵攻を支持する理由として「ロシア政府のプロパガンダに国民が騙(だま)されている」と結論付けるのである。
日本のマスコミは、その責任はプーチン大統領1人に押し付ける。無論、こうした側面もあるだろう。しかし日本国民はロシア国民と同じ状況になったとき、どのような行動をとるのだろうか? 第2次世界大戦開戦直前には、ほとんどの日本国民は戦争突入を支持した。東南アジアからのエネルギーの補給線を断ち切られた怒りから日本国民は米国との開戦を支持したのである。これと現在のロシアの状況がどれほど違っているのであろうか?
ウクライナ戦争を機に私たち日本人は自分たちの立場をロシア人もしくはウクライナ人に置き換えてよく考えてみたほうが良い。自分たち日本人は常に善良な行動をし、また正しい意見を国家に具申してきたであろうか? これまでもこのニュース屋台村で何度か紹介してきたが、映画監督兼脚本家である伊丹万作(1900-1946)が戦争に加担した日本国民を断罪した随筆「戦争責任者の問題」を是非お読みいただきたい(19年3月29日付拙稿140回「日本の変革の主体は誰か?」ご参照)。
一方で、日本人がウクライナ人の立場に立たされたら、どのような行動に出るのであろうか? 一部のマスコミからは「日本のために立ち上がろうという意識を持った若者が少ない」と非難めいた論調が出ている。しかし国民と国家は「持ちつ持たれつ」の関係だと思う。今の若者は日本国家から何か良いことをされているであろうか? 多くの税金は財政支出として老人や一部の利権者のために使われる。さらに日本政府は多額の借金を抱え、それらはいずれ若者が背負わされるかもしれない。若者だってこんな理不尽の状態に気が付いている。
だからこそ、多くの若者は「国家のために働こう」などと思っていない。こうした状況を作り上げたのは政治家をはじめとする一部既得権益者たちである。今、日本で戦争が起きたら、日本は持たない。私たち日本人がウクライナ戦争から学ぶべきことは軍事費の増額などではない。それは経済力の回復、外交能力の向上、そしてまともな国家運営への回帰である。ウクライナ戦争は私たちに「いつ、いかなる時にも戦争が起こりうる」ことを教えてくれた。私たちは真剣に戦争の可能性とその対応を考える時が来た。
※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り
第187回「あなたは誰かに操られている」(21年2月12日付)
https://www.newsyataimura.com/ozawa-48/#more-11585
第140回「日本の変革の主体はだれか?」(19年3月29日付)
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