小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住24年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
3か月に及ぶ日本出張を終え、1週間ほど前にタイに戻ってきた。コロナ禍の影響で2年以上帰国していなかったため、病院通いや自宅の整理などで「あっという間の3か月」であった。それでも何とか病院通いの合間を縫って60人以上のお客様と面談した。日本は3月から人流が増加したようで、私が一時帰国後の自主隔離期間を終えて訪問活動を始めた4月には、ほとんどの方が面談に応じてくださった。やはり「百聞は一見にしかず」で、お客様などから直接話をうかがうと、新聞や雑誌などでは得られない生の情報が入ってくる。
コロナ禍の2年間、私はバンコック銀行の日系企業部の同僚に「資料を有効活用したオンライン面談」を積極的に行うようアドバイスしてきた。オンライン面談は「物事を遂行していく上での打ち合わせ」では、直接の面談よりも有効であるケースが多い。ただし「相手との信頼関係を深める」ことや「情報交換により新しい気づきの発見」などは期待できない。そもそも、私たちホモサピエンスは仲間を作り集団化することでほかの生物との競争に勝ち残り、食物連鎖の頂点に立つことができたのである。新型コロナウイルスは人間のこうした稀有(けう)な才能を封じ込めてしまった。
◆交通渋滞、通勤ラッシュも復活
さて、タイに戻ってきて1週間。こちらに戻ってからすでに20人以上の方と面談した。バンコクでは5月ぐらいから人々の動きが活発化したようである。バンコクの人は相変わらずマスクを着用しており、街中の景色は日本とあまり変わらない。ただし、3月時点と比べて交通渋滞はかなり激しくなっている。私は毎朝、健康維持のためバンコクの街を散歩しているが、一部の道路では朝6時半ごろから渋滞が始まっている。ついこの前まで、車がほとんど走っておらず安心して歩けた道が様変わりしている。
自宅と会社の間の通勤路も同様である。何もなければ15分ほどで着く道程が、下手すると1時間近く車の中に閉じ込められる。コロナ禍前は朝晩、通勤と帰宅にそれぞれ2時間かかっていたから、それに比べればかなりましだが、人流が戻ってきたことを感じる。電車も同様のようである。通勤ラッシュ時には満員で乗車を見送ることも多いと聞いた。繁華街のレストランもそこそこ混んでいる。お店の人に聞いても「客足は戻ってきている」という。街中には外国人旅行客の姿も多い。欧米人の旅行者はマスクをしていないのですぐわかる。タイに住んでいる欧米人はタイに同化してマスクをする傾向が強い。中国語や韓国語を話すスーツケースの旅行者も多い。中国本土は出国が厳しく制限されているはずなので、台湾から来た人たちなのであろうか? その割には体格の大きい人が多く、台湾人や香港人には見えない。
日本人の出張者も増えているようである。私が滞在しているホテルでも日本人出張者とおぼしき人たちがロビーで会議をしている。ホテルの従業員に聞くと、私の滞在するホテルの客室稼働率はすでに80%近くになっているという。このホテルのケースは特異な例なのかもしれないが、経済はかなり戻ってきている感じがする。
◆コロナ禍、ウクライナ情勢……影響さまざま
私がこの1週間、お客様や同僚から聞いたタイの産業界の現状を総括すると、以下の通りとなる。
①自動車産業は1-3月は好調だったが5月以降半導体の入手ができず、生産調整に動いている。年間を通じては昨年以上の生産台数が予定されている。
②エアコン関連は相変わらず好調だが、一部メーカーではワイヤハーネスの部品が欠品して生産が遅れている。また、ウクライナ戦争の影響から欧州の天然ガスを使ったビルの全館空調が使えず、エアコンへの代替需要が出ている。
③建機もウクライナ戦争による復興目的などで引き合いが多く来ている。
④プリンター産業を含めて総じてタイの日系企業の主要産業は、生産目標がコロナ禍前の水準まで戻ってきている。ただし、原材料と輸送費の上昇により利益水準は厳しい。
⑤ホテル、飲食業界では人手不足が深刻である。人材の引き抜きが横行。工場地帯ではアユタヤ方面でこうした傾向が出始めているが、最低賃金の高いチョンブリ、ライヨンの両県ではまだ深刻化していない。ただし、今年は1999年生まれの「人口の崖」が大卒採用に影響を与えており、新規大卒が採りにくい状況となっている。また過去2年間、大学の授業がオンラインで行われてきたため、学生の水準が総じて低いとされる。
⑥最近になって、設備投資を考えている企業が増加している。日本の労働者不足による日本からの生産移管、米中対立の深刻化に伴う中国からの生産移管、タイの労働者不足を先取りしたファクトリーオートメーション需要など理由はさまざまだ。また、ここ数年途絶えていた日本からの新規進出の打診も出てきている。工業団地では相変わらず中国企業、欧州企業からの引き合いが多いが、日系企業も少しずつ購入を検討し始めている。
◆中国企業に押され気味の日本企業
このように、在タイ日系企業の活動も少しずつ再開したようである。しかし注意深く見ると、タイにおける日系企業の活動は必ずしも順風満帆ではないように感じる。
つい10年ほど前までは、タイに投資する外国企業はほぼ日系企業に独占されていた。ところが2013年にタイとの貿易量で日本は中国の後塵(こうじん)を拝すると、中国の存在感が徐々に増してきた。タイへの直接投資件数(申請ベース)も19年には一時的に中国に抜かれてしまった。タイにとって最も大事な国がいまや、日本から中国に代わるかもしれないのである。それが証拠に、タイの新聞には中国企業の代表者がタイ政府の要人と会見している写真が頻繁に登場する。その頻度は日本企業よりも多いと思われる。
さらに私にとって気になる話があった。私が一時帰国中の3月23日から4月3日まで行われたバンコク国際モーターショーで、会場の一番良い場所に陣取ったのが中国のMGM社だったようである。タイにおけるMGM社のパートナーがタイ最大企業であるチャルーンポカパン(CP)グループであったことを差し引いても、これまでトヨタの定位置であったメイン会場が中国企業に取られたことはショックである。
今からさかのぼること20年前、タイの家電量販店ではメインの売り場がパナソニック、東芝、日立などの日系企業からサムスン、LGの韓国企業に徐々に取って代わられた。それからさらに10年たつと、日本の家電量販店でも日本企業の売り場は隅に押しやられていた。日本企業はすっかり放逐されてしまったのである。
家電業界で起こった「悪夢」が自動車業界で起こらないという保証はない。同じ轍(てつ)を踏んでほしくないものである。
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