п»ї タイへの投資拡大を今こそ考えよう 『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第221回 | ニュース屋台村

タイへの投資拡大を今こそ考えよう
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第221回

7月 01日 2022年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

oバンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住24年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

コロナ禍とウクライナ戦争によって、世界のビジネス環境は一変した。『ファクトフルネス』の著者であるスウェーデンの感染症学者ハンス・ロスリングや、『サピエンス全史』の著者ユヴァル・ノア・ハラリはそれぞれの著書の中で、人類滅亡の危機となる要素として「感染症・戦争・地球温暖化・極度の貧困」と喝破しているが、私たちは今まさに、この感染症と戦争による人類の危機に直面している。新型コロナウイルスとウクライナ戦争は次元の異なる災害だが、これらによって私たち人類の分断は明らかに進行した。

コロナ禍によって人々の往来は制限され、飲食業や観光業は大きな打撃を被った。物流も大きく混乱し、半導体不足から自動車や家電製品などの生産に影響を与えた。ウクライナ戦争では、資源国であるロシアとウクライナからの穀物や石油資源などの輸入が実質不可能となり、世界的な物価高騰を招いている。

こうした状況はいつ収束するのか予測できない。私たちは新しい環境に備えた新しい体制整備が必要である。そして私は、その一つの方策が「タイへの投資拡大」ではないかと考えている。円安環境の中では「日本国内への投資拡大」が今までのセオリーだった。それゆえに唐突な提言だと思うかもしれないが、「ニュース屋台村」の前回第220回でも指摘した通り、タイでは日系企業の投資拡大や新規進出の話が出始めている。日系企業が「今こそタイへの投資拡大を考える」べきその理由について以下、述べたい。

◆新常態下の新たな世界観

今年3月に一時帰国した際、60人ほどの顧客や銀行関係者、友人らと面談した。そのうちの1人が、日本貿易保険の黒田篤郎(あつお)社長である。黒田さんが2004年にジェトロ(日本貿易振興機構)・バンコク事務所の所長に就任して以来のお付き合いである。その黒田さんが私に示してくれた新しい世界観が「Just in time からJust in caseへ」というものだった。

分断化社会への対応方法を語った言葉で、「言い得て妙」の表現である。思い起こせば1989年の「ベルリンの壁」崩壊によって、米ソの冷戦が終結し、米国1強時代に突入した。米国は軍事部門が保有していた分散型コンピューターシステムの技術を民間に開放。90年代にはパソコン、2000年代に入ってインターネット技術が飛躍的に進展し、ロシアの安価な資源や中国の効率的な工場システムを使って、世界で「グローバル資本主義」を謳歌(おうか)した。このグローバル資本主義の下で世界分業が進み、企業は最も効率的な生産様式を追求した。まさにグローバルな「Just in time 」である。

ところが、コロナ禍とウクライナ戦争がこの生産方式を不可能にしてしまった。「新常態」の中で私たちが考えなくてはいけないのは、「何か起こった時でも耐えられる体制の構築―すなわちJust in caseである」と、黒田さんは指摘するのである。具体的には、コロナ禍によって発生した部品不足や物流の混乱、さらにはウクライナ戦争で起こったエネルギーや資源不足に耐えられる生産体制の確立である。そのためには少々のコスト上昇にも目をつぶる必要がある。そして、日系企業がこうした生産体制を構築するのに最も適した場所の一つがタイなのである。

その第1の理由は、日系企業の集積の厚さにある。ジェトロ・バンコク事務所の調査によれば、20年時点での在タイ日系企業数は5856社に上る。これは中国の1万3646社(20年1月)、米国の6702社(20年11月)に次いで第3位で、日本企業の進出の多さを物語っている。また、日本には大企業の分類となる製造業の会社が1961社あるが、このうちの約55%に相当する1071社がすでにタイに進出している。私がタイに赴任した24年前には、非公式ながら在タイ日系企業数は1800社とされ、過去24年の間に日系企業数は3倍超と、タイへの進出ラッシュが起こったのである。

現在は日本企業が得意とする自動車、オートバイ、建設機械、エアコン、プリンター、精密部品など多くの産業がタイに進出している。ジェトロ・バンコク事務所が毎年実施している「タイ日系企業進出動向調査」では、日系企業が抱える一番の問題点として長年「(日系)競合他社との競争」が挙げられるが、裏を返せば、それほど日系企業の集積は厚いものがある。それでも、タイの100%ローカルコンテンツで生産が完了する製品はほとんどない。この欠けているピースをタイに持ってくれば、世界の分断化が進行しても、日系企業の生産はタイで完結するのである。

◆経済規模拡大が期待できるASEAN

日系企業にタイへの投資拡大を勧める第2の理由は、ASEAN(東南アジア諸国連合)経済の規模にある。世界銀行の資料によると、ASEANの20年の人口は6億6700万人と、日本の約5.3倍もある。ASEANの中で人口が一番多いインドネシア(2.7億人)は35年まで、また2番目に多いフィリピン(1億人)は50年まで、人口が増加すると見込まれている。GDP(国内総生産)についてはASEAN域内全体でも日本の60%弱しかないが、これも以下の経済学の公式を使えば、今後増加していくことが見込まれる。

経済成長=労働投入量×資本投入量×全要素生産性(効率性の改善など)

労働力の投入については既に見てきたように、ASEAN全体としては今後も人口増加が見込まれ、労働投入量は増加可能である。また資本投入についても、これまでのグローバル資本主義の下で、ASEAN域内の多く国で貯蓄額が増加。一方で、資本ストックが少ないことから、これらの貯蓄が投資に回る可能性が高く、貯蓄と投資の好循環が見込まれる。さらに、外資による投資も期待できる。最後の生産性の向上だが、大企業型経営が不十分なASEAN諸国においては、企業規模が拡大するだけでこの部分の改善が期待できる。こうしてみると、ASEANは今後も経済規模が拡大する余地が十分に残っている。

翻って日本。今回の日本出張では、自動車関連や電機関連の企業幹部の方たちと面談する機会があった。部品不足や労働力不足を嘆く人がいる中で、日本の状況をより深刻に心配する人もかなりいた。人口減少、高齢化、給与所得者の所得減少(アベノミクスの8年間で年収変化520万円→440万円)の三つの要因で、日本人の購買力が大幅に低下していると指摘するのである。

1人当たりのGDPが世界25位前後まで落ち込んでしまった日本。今後日本人が自動車などの高額商品を購入し続けるか疑問が生じてくる。もしその商品が日本で売れないならば、その商品を日本で造る意味がなくなってしまう。今回お会いした人たちのうち何人かからは、こうした深刻な問題の提起があった。「製造はマーケットに近いところで行う」のは、製造業の鉄則である。この観点からすれば、日本の製造業の会社は徐々に生産拠点を海外に移すことになる。

◆地政学的有利とFTA網

タイへの投資拡大を勧める3点目の理由は「輸出拠点としての優位性」である。「米国・欧州」対「ロシア」「中国」といった形で分断化された世界の状況を考えると、タイは地政学的に有利なポジションにあると考えられる。タイは中国に地理的・民族的に近いとはいえ、直接的にこれらの関係国と国境を接しているわけではない。米国、中国、ロシアなどの当事国を直接の隣国にしている日本とは大きく異なる。

一方で歴史的には、タイは西欧や日本などからの侵略を「外交力」によって未然に防いできた知恵がある。いつの時代も世界のパワーバランスを巧みに読み取り、一方にだけ与(くみ)することはなかった。今回も同様である。大国間を上手に泳ぎ、一定の距離を取っている。「節操がない」とばかにする人もいるが、日本の政治家にはまねのできない芸当である。

さらに、タイには綿密に作り上げられた2者間経済連携協定であるFTA(自由貿易協定)網がある。タイもしくはASEANが当事者となって、世界の主要国との間で関税の引き下げに成功している。こうしたFTA網によって、タイは世界各国に対して有利な条件で輸出が可能である。

最近になって、日系企業だけでなく中国や韓国の企業も相次いでタイに進出してきているが、こうしたタイの優位性を活用しようとしている。米中の対立から、中国企業はタイに商品を売却し、その商品を米国に輸出する動きを見せている。このためタイの工業団地では、中国企業が土地を購入して倉庫を造っているという話を聞く。

岸田首相が日本の首相として初めてNATO(北大西洋条約機構)首脳会議に出席するなど、日本は最近になって急速に欧米陣営に傾斜し始めている。いつ何時(なんどき)世界第2位の経済大国である中国から締め出されるかわからない状況になってきている。しかし、タイに拠点を有していれば、こうした事態にも備えられるかもしれない。これも「Just in case」への重要な対応方法である。

◆円安下だからこその優位性も

最後に、「円安下でのタイへの投資」について考えたい。「円安であればタイで生産するよりも日本で生産したほうが得だ」という議論にはいくつかの前提条件がある。

その第一は「円安環境下のほうは生産コストが下がる」というものである。だが、日本は多くの生産財やエネルギーを輸入に頼っており、円安はこの面では不利に働く。実際に日本の電気料金や輸送コストは他国より圧倒的に高くなっている。労働力についても、日本の産業はこの30年間に外国人労働者に頼る構造になっており、円安は外国人労働者を集める上での障害にしかならない。

さらに、現状の為替相場を「円安」としてとらえてよいのか、という問題もある。日本の借金は22年3月末で1241兆円にまで膨れ上がっている。その大宗である国債は黒田日銀総裁が推し進めてきた金融緩和策によって、日銀がなんと5割以上保有している。

世界的にインフレが進行する中で、欧米各国はこれまで行ってきた金融緩和策を終息させる「テーパリング」を実施している。このため、欧米諸国と日本との金利差を生じ「円を売ってドルに投資する」資金流出が起こり、一方的な「円安」局面が現出している。しかし、政府・日銀は膨れ上がった借金の金利払い増加を恐れ、金融緩和策を終息させる考えはないようである。世界中のファンドはこうした日本の弱みにつけ込んでおり、今後円安がさらに進む可能性が高い。どこまで進むかわからない円安展開を考えると、なるべく早いうちに海外投資を行ったほうがいいかもしれない。

外国為替の予想については、ほとんどの専門家が当たらない。私もこれまで何度か為替予想は外してきたので、強気な発言はできない。ただし、すでにタイに進出している企業でタイ現地法人に十分な資金を貯めている企業は、その資金を使えば為替相場の動きに一喜一憂することはない。

コロナ禍とウクライナ戦争でつくられた「分断化された世界」という新常態。こうした新常態だからこそ、円安環境下でも「タイへの投資拡大」は重要な意味を持ってくるのである。

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