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地球上の生命の歴史を紐解く鍵になる?発見(中)
『時事英語―ご存知でしたか?世界ではこんなことが話題』第38回

5月 21日 2019年 文化

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SurroundedByDike(サラウンディッド・バイ・ダイク)

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前回の第37回に続き、米誌ザ・ニューヨーカー(4月8日)の記事「The day the dinosaurs died(恐竜が死んだ日)」を紹介します。筆者はアメリカ自然史博物館のライター兼編集者のダグラス・プレストン氏で、前文(リード)には「ひとりの若手古生物学者が、地球上の生命の歴史で最も重要な出来事の痕跡を発見した可能性がある」と書かれています。この種のテーマはおよそ門外漢の私ですが、話の内容が衝撃的で興味を持ち、つい引き込まれてしまった形です。

原文記事(本稿末尾にリンク先を明示)には興味深い写真も何枚か掲載されており、ぜひご覧いただくようおすすめします。なお、原文記事はかなりの長文にわたるため、今回は計3回のうち、前回の第37回に続く「中」を紹介します(以下、抄訳)。

隕石粒子らしきものがついに見つかる

「これは大変なことだ。隕石の粒子のようだ」と、デパールマ氏はその日のことを振り返る。隕石粒子はガラスの小さい固まりで、それは衝突時に、燃え溶けた岩がいったん大気中へ爆風で飛ばされたあと、細かく凝固し雨のように地球に降り注いだものである。その現場には何百万単位の隕石粒子があると思われた。

デパールマ氏が上部にある地層を丹念に掘り出したところ、異常にもろいけれども素晴らしく保存状態の良い驚くべき化石が列をなして現れはじめたのである。彼はそのときのことを思い出しながら言った。「そこには驚くべき植物が、すべて互いに絡み合ってほどけない状態でとどまっていた。木くず、糸杉の根っこの束に押し付けられた魚、琥珀(こはく)の斑点をとどめた木の幹などが見つかった」

化石はたいがい、上にかぶさる石に押しつぶされ平らになって見つかるのが普通だ。しかし、ここでは掘り出される魚を含めて全部、同時に堆積物に箱に閉じ込められた状態でつぶされず、すべてが三次元の形状を保っているのだ。「学術的にいまだ知られていない種の魚の表皮を見ることができ、その背びれは文字通り直立している」と言う。

彼は掘り進むにつれて、今遭遇している出来事の途方もなさがだんだん分かってきた。もし現場が、彼が期待する通りのものであることが明らかになるのなら、新しい世紀における最大の古生物学上の発見を成し遂げたことになるのだ。(抄訳続く)

ティラノサウルスの歯の化石を発見 

2013年、デパールマ氏は米国科学アカデミーの会報への寄稿論文で少し注目を浴びた。彼はその4年前、ヘルクリークで助手のロバート・フィーニーと共同で、口がカモノハシ状のハドロサウルスの尻尾に巻きついている、二つの癒着した脊椎(せきつい)の化石だと後に判明した、変わった形のずんぐりした白亜紀の化石を見つけた。

デパールマ氏は最初、それは異物を巻き込んで包み成長した動物の化石だろうと思った。彼はそれをカンザス州のローレンス記念病院へ真夜中に持ち込み、技術者にただでCTスキャンをしてもらった。異物と思われた塊の中身はティラノサウルスの欠けた歯だった。つまり、ハドロサウルスはティラノサウルスにかみつかれたが逃れたのだ。

この発見は、畏敬(いけい)すべき古生物学者、ジャック・ホーマー氏がよみがえらせた「ティラノサウルスは死肉をあさるだけの恐竜だった」とする古い仮説を否定することになった。ホーマー氏はティラノサウルスを、ほかの動物を捕食するには、動きが遅く、腕(前足)も小さく、視力も弱すぎる、と論じていた。デパールマ氏の発見が全米のメディアに取り上げられた際に、ホーマー氏はそれが「憶測」に過ぎず、「(特に意義のない)一つの情報」と退けた。

彼は、その発見について別のシナリオを唱えた。ティラノサウルスは、寝ていたハドロサウルスが死んでいると勘違いしてその尻尾にかみついたが間違いに気づいてやめたのだ、と。デパールマ氏はロサンゼルス・タイムズの紙上で反論した。「そんな説は全くばかげている。死肉をあさる動物が、エサに遭遇して初めて突然それが生きていたのだと分かることなどありえない」と。

ホーマー氏も最後には、ティラノサウルスが生きた動物を捕食していたことを受け入れた。しかしこのほど、ホーマー氏にデパールマ氏の名を挙げて話を聞こうとした際には、彼の名を覚えていないとの反応だった。「我々の世界では個々の学生のことなどそんなに関知していない」と話した。

デパールマ氏からeメールを受け取った後、ヘルクリークへ行く準備をした。そして3週間後にボウマンへ行った。ヘルクリークに点在する荒れ地は別世界の様相をつくりだしていた。そこは広大な牧場であり、農場の土地である。草原とヒマワリ畑が地平線まで伸びていて、空を見上げれば、西部アメリカの巨大な青空がドームのように覆い被さっているのだ。

道路は、トラック向けのドライブイン、教会、モーテル、住居そしてトレーラーハウスなどを擁する小さな町々を結び、町と町の間には寂しく広大な土地が続いている。そこかしこに見捨てられた農家の家屋が地面に崩れるように傾いていた。

何百年もの時を経て、ヘルクリークの地層は激しく侵食され、残滓(ざんし)のみをとどめており、それらはおびただしい数の朽ちた歯のように突き出ていた。これらの、生物がいないビュート(山頂は平らでまわりが絶壁の孤立丘)や峰はベージュ、チョコレート、黄、栗、赤褐、灰そして白などの色の帯状の模様を見せていた。化石は雨風によって緩み、それらの丘や峰の両脇斜面にこぼれ、垂れていた。

我々がデパールマ氏の発掘現場に着いて眼前に現れたのはこんな景色だった。荒涼とした灰色のこぶ状に盛り上がった土と割れた地面がサッカー場2面ほどに広がっていた。そこはまるで月の一部が地面に落ちてきているように見えた。堆積物の一面は砂に洗われて削られたかあるいは干し上がった川床のように見受けられた。堆積物のもう一つは、低い急斜面にとどめられていた。現場は約90センチの深さで縦20センチ幅12メートルの長方形の穴である。2フィート×4フィートの2枚の板が、サンプルを取り出すための様々な掘削工具や金属パイプと並んで、もう一方の、穴の端に立てかけられていた。(抄訳続く)

ヘラチョウザメの化石から判明した新事実

彼は発見の瞬間を思い出す。その夏の初め、最初に取り出した化石はおよそ1メートル50センチの長さの淡水ヘラチョウザメである。ヘラチョウザメは現在でも生息している。濁った水中のエサを探すのに使う長くて硬いくちばしを持っている。

デパールマ氏がその化石を取り出した時、その下に海水に棲息(せいそく)する巨大肉食爬虫(はちゅう)類のオオトカゲの歯も一緒に発見したのだ。不思議だった。どうして、淡水魚と海生爬虫類とが、最も近い海から少なくとも5~6キロは入り込んだ内陸の堤防の同じ場所で見つかったのか?(それらの棲息当時には西部内陸湾と呼ばれる浅瀬が原始のメキシコ湾から北米の一部にまで延びていた)

発見の翌日、彼はもう一つ別の海水魚の60センチ超の幅のしっぽを見つけた。それは魚体から激しくもぎ取られたように見えた。「魚が死んでから少しの時間でも経過していたなら、しっぽは腐敗し原形をとどめていなかったはずだ」と、デパールマ氏は言う。しかし、見つかったものは完全に元の形を保っていた。「だから、それは死んだ瞬間あるいはその直後に運ばれてきたことが分かる。海生オオトカゲの歯と同様に、元いた海から何マイルも内陸で発見されたのだ。それに気づいたとき思った。そんなことどう考えてもおかしい」と、デパールマ氏は話す。その発見は、にわかに受け入れられない、ある途方もない結論を示唆するものだった。

「その時点で私は98%確信した」。翌日、デパールマ氏は堆積地層に、ある異物が含まれているのに気づいた。直径約3インチ(約7.5センチ)ほどのクレーターが、何らかの上空からの落下物が泥の中に落ちてできているように見えた。あられが泥の表面に当たってできる類似の現象が化石記録の中に以前見つかっている。

デパールマ氏が地層をさらに下に削り、クレーターの断面を観察しようとした際、あられではなく小さな球状の物質をクレーターの底に発見した。それは「テクタイト」と呼ばれるもので、古代の隕石衝突の衝撃によってできた直径約3ミリの物質である。

さらに掘り続けると、底にまたテクタイトが出てきた。そしてまた一つまた一つと続々と掘り出された。ガラス状の物質は数百年の時を経て粘土に変質するが、見つかったテクタイトも粘土化していた。

しかし、そのうちのいくつかはガラスのような核をまだ内部にとどめていた。彼が以前に見つけた微細なテクタイトはその場所まで水によって運ばれたのであろうが、ここで見つかったものは、デパールマ氏が信じるところの大災害が起きた、まさにその日に降下してその場にそのまま閉じ込められたのだ。(抄訳続く)

小惑星衝突のドラマを凝縮再現するKT境界層

彼は言う。「私はそれを見たとき、それは単なる洪水による堆積物ではないと思った。KT境界層に近い地層などではなく、それすべてがKT境界層そのものなのだ!」と。

問題の層を調査・分類の結果、デパールマ氏は仮説を立てた。巨大な内陸部分での水の隆起が河川峡谷や我々が今立っている低地をあふれさせた。そしてそれはおそらく、KT衝撃による津波であり、原始メキシコ湾を通り西部内陸湾を轟音(ごうおん)とともに逆流したためだろう。水の勢いが穏やかになるにつれて、その通りみちに出合ったものすべてを堆積していったのである。重い物体から先に、水面に浮かぶ軽いものまでを、である。

それらすべてが、がれきとして素早く閉じ込められ保存されていった。海水、淡水の棲息の別を問わず、ある生物は、瀕死の状態で、またある生物は死後に。植物、種子、木幹、根っこ、松かさ、松葉、花と花粉。貝、骨、歯そして卵。テクタイト、衝撃によってできた鉱物、小さなダイヤモンド、イリジウムが混じった粉塵、灰、石炭そして琥珀が付いた木――などである。堆積物が落ち着くにしたがい、最初は大きいものから、細かい塊まで粒子状になって雪のように降り落ちるまで、ガラス質の物体が泥の中に流れ込んだのである。

「これら堆積物の中にKT事象のすべてが保存されている。この貯蔵層がクレタケオスが滅んだ日に何が起きたかを教えてくれる」とデパールマ氏は言う。この現場におよそかなわない発掘現場だって見つかってはいない。そして、もしデパールマ氏の仮説が正しいとなったら、その新世紀を表す場所の古生物学上の科学的価値は計り知れない。

(本稿第37回で先述した)米国の著名な地質学者、ウォールター・アルバレス氏が昨年夏、発掘場所を訪れた際に仰天した。「本当に素晴らしい現場だ。隕石衝突の日に何が起きたかを説明するためには、これまでに発見された場所のなかで最良の一つに違いない」と私に書いてきた。堆積物は何十もの泥と砂の薄い層によってできていた。下の方にいくにつれ、砂と砂利の混ざった粗い帯状を呈する層が、より重い魚の化石、骨とサイズが大きいテクタイトを含んでいた。その層の下には、その大部分が洪水の力により削り磨かれている、本来の白亜紀の基岩が横たわっている。

デパールマ氏は幅が2インチ(約5センチ)ほどの円形の圧迫された跡を見せてくれた。彼はウニとかヒトデのグループを含んだ海洋生物を指して、「これは花びらか、あるいは棘皮(きょくひ)生物(の化石)だが研究室で調べいる」と言いながら、手際よくパレオボンド(古生物原形安定保存のための糊剤)と石膏液の中に収めた。

そして次に、彼は松かさの種の近くで完全な形をとどめている木の葉を見つけた。「白亜紀のマルチ(園芸用腐葉土)のようなもの」と、どこにでもあるものを軽蔑(けいべつ)するような口調だった。すでに多くの類似標本を手に入れているのである。彼はテクタイトの入ったクレーターをさらに三つ発見していて、それらを顕微鏡で観察するために薄く削り撮影した。

次にエグザクトナイフで小さな褐色の骨を取り出した。それは4分の1インチ(約6ミリ)に満たない長さのあごの骨だった。彼はそれを指の間に挟んでレンズで観察した。

「ほ乳類の骨です。これは埋まる前に死んでいた」と言う。数週間後、彼は研究室で、それがおそらく我々人類を含む霊長類の遠い親戚といえるほ乳類のものであることを確認した。

半時間後、デパールマ氏は大きな羽を見つけた。ここでは毎日がクリスマス(のように興奮の連続)だ。彼はその翼を念入りな動作で堆積土から取り出した。それは多分13インチ(33センチ)くらいの長さのもので、泥の層の中にくっきりと跡型を残していた。「これで翼は9本目だが、すべてヘルクリークで最初に見つかったものだ。私はこれらが恐竜の翼であると信じている。確かなことは言えないが、それらは原始的な翼でほとんどが1フィート(30センチ)の長さ。このように原始的な翼を持っていてこんなに大きな鳥は、ヘルクリークでは他に出土していない。その翼を持つ動物について、既知の種であって、一番可能性が高いのは(強じんな後ろ脚と握力が強い前脚を持った)獣角類であり、そのうちのおそらく猛禽(もうきん)類の一種と推定しておくことが無難だろう」。彼は続けて、「これらの翼の持ち主だった猛禽類が見つかるかもしれないが、私はそれを疑っている。翼は遠く離れた場所から水にのって運ばれてきた可能性がある」と説明した。

彼はエグザクトナイフを使って化石化した魚類のエラの端を掘り起こした。もう一つ別のヘラチョウザメが見つかったのだ。それは、6フィート(180センチ)近い長さであることが分かった。

デパールマ氏はその魚が沈殿物のどの位置にあるのかを正確に把握し、うまく摘出するため周りを探った。もっとその姿が分かるようになって、魚の2フィート(60センチ)近いくちばしの部分が圧力で折れているのがはっきり見えた。そして、それはおそらく、洪水による急な水位の上昇で、くちばしが沈んでいた南洋杉の枝にすごい力で押し付けられたためであろう。発掘場所で見つかったどの魚も口を開けて死んでいることが分かった。それは沈殿物がいっぱい含まれた泥水の中で窒息しあえいでいたことを示している。

彼は言う。「ほとんどの魚は、沈殿物の中で体を横に傾けることさえなく垂直の姿勢で死んでいる。そして、死後捕食された形跡はない。なぜなら、仮に何らかの生物が掘り起こしたとしても、自身もすぐに流されてしまったであろうからだ」と。彼は、ヘラチョウザメの周囲を削り、エラの骨と、そして完璧に認識できるウロコが付いた50セントコイン大の表皮とが現れた。

それらを彼特製のブレンドによる凝固剤に浸して処理を行った。化石は極度にもろいため、彼はフロリダにある研究室まで、沈殿物と一緒のまま、あるいは「型」に完全に収めてから運ぶのである。日差し、風そして乾気などの劣化要因から隔離された研究室の注意深く管理された環境の下、拡大鏡レンズの下で化石は調査のため放たれるのである。

デパールマ氏がヘラチョウザメを調べた過程で、短い、とがった針を持つさらにもっと多くの南洋杉が見つかった。彼は「この木は埋まるときには生きていた」と指摘する。そして枝にこびりつく金色の琥珀でできた模様を目撃した。琥珀は樹脂が保存されたもので、しばしばそれにはその時々の大気中の化学物質とか、時には昆虫とか爬虫類さえ閉じ込めて発見されるのである。「これは、白亜紀のハエ採り紙です。早く研究室に持ち帰りたい」と話した。

1時間後、彼は魚の周りを全部削り終わり、4インチの高さの岩の台座に支えられた型に収めた。「私はこれが学術上の新種発見だと確信している。柔らかい組織でも化石として残っているのだから、胃の内容物でさえ見ることができるだろう」と彼は言った。

彼は仕事を進めた。「石膏で固める作業です」。シャツを脱ぎ、5ガロン(19リットル)のバケツに入った石膏を手でこね始める一方、相棒のパスクーチ氏が麻布を剥(は)がす。デパールマ氏が1枚のツーバイフォー寸法の板を2フィートの長さの板2枚になるようノコギリで切り、それらを化石の入った沈殿物の両側に添え木として置いた。

彼は手で運ぶためのハンドルを取り付けて石膏で固めた。1時間後、石膏が固まった段階で化石の台座とした岩にノミで穴を空け、標本をさかさまにしてその下の部分が露出するようにした。研究室に戻り、石膏の覆いによって防御されている化石を取り出して調べるのだ。

ロープで作ったハンドルを使い、デパールマ、パスクーチの両氏は、おそらく200ポンド(約90キロ)の重さはあるその標本を引っ張ってトラックまで運び荷台に乗せた。デパールマ氏は後で友人の農場の作業場裏に保管するつもりである。その場所には、1シーズンを通して集めた石膏で固められた化石のすべてが防水シートに包まれ並べられているのだ。

デパールマ氏は再び発掘を始めた。突風で土ぼこりが舞い上がり、雨も降り始めた。雨が上がり、遅い午後の日差しが広く平原にこぼれた。デパールマ氏は今日もまた、そして今また発掘に没入している。

「これがキクイムシの痕跡を示す木です」と彼は言う。「衝突のあと、最初の数百年の地層から採取された植物化石にはこのような損傷を示すものはありません。昆虫はすべていなくなってしまったのです」。

隕石は秋に落ちたのだろうとデパールマ氏は推測している。若いヘラチョウザメと、成長速度およびふ化する季節が分かっているチョウザメとを比較してその結論に達した。彼はまた、針葉樹、イチジク、そして特定の花にそれぞれ属する種子を見つけたのだ。彼は「花粉とか珪藻土(けいそうど)を調べればもっと季節を絞り込むことができるようになる」と話す。

翌週、新しい手掛かりが現れた。さらなる翼、葉、種子と琥珀が、3~5フィート(90~152センチ)に及ぶ長さの数匹の魚、そしてテクタイトを含んだ十数個のクレーターを見つけたのである。(以下次回に続く)

※今回紹介した英文記事へのリンク

https://www.newyorker.com/magazine/2019/04/08/the-day-the-dinosaurs-died

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