п»ї 四方八方異論の矛先-屋台村軒先余聞 | ニュース屋台村
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タイ富裕層の訪日旅行で知るニッポン
「足るを知れ」自らへの戒めも
『四方八方異論の矛先-屋台村軒先余聞』第9回

11月 22日 2023年 社会

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元記者M(もときしゃ・エム)

元新聞社勤務。南米と東南アジアに駐在歴13年余。座右の銘は「壮志凌雲」。2023年1月定年退職。これを機に日本、タイ、ラオス、オーストラリアの各国を一番過ごしやすい時期に滞在しながら巡る「4か国回遊生活」に入る。日本での日課は3年以上続けている15キロ前後のウォーキング。歩くのが三度の飯とほぼ同じくらい好き。回遊生活先でも沿道の草花を撮影して「ニュース屋台村」のフェイスブックに載せている。

タイ東北部に住む妻の親せき一行がこのほど、観光と買い物のため来日した。いつも家族や弟妹、親せきら大人数で旅行するので自らのグループを「ビッグファミリー」と称し、移動手段や行き先、食事など、出発から帰国まですべてオーダーメイドのプライベートツアーを組んで世界中を旅している。日本はすでに北海道から九州までたびたび訪れており、来日回数は数え切れない。一行のオーナーは妻の従妹の夫で、私と同い年。アメリカ西海岸の大学を卒業後タイに戻り、父親から受け継いだ製糖工場などを経営している。私と妻は今年6月から7月にかけてタイとラオスを回ったがその際、彼の息子2人の出家式に参列して以来の再会だった。 記事全文>>

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中国が仕掛けた罠から逃れられないジレンマ
「4か国回遊生活」ラオス再訪編
『四方八方異論の矛先-屋台村軒先余聞』第8回

8月 23日 2023年 国際

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元記者M(もときしゃ・エム)

元新聞社勤務。南米と東南アジアに駐在歴13年余。座右の銘は「壮志凌雲」。2023年1月定年退職。これを機に日本、タイ、ラオス、オーストラリアの各国を一番いい時期に滞在しながら巡る「4か国回遊生活」に入る。日本での日課は3年以上続けている15キロ前後のウォーキング。歩くのが三度の飯とほぼ同じくらい好き。回遊生活先でも、沿道の草木を撮影して「ニュース屋台村」のフェイスブックに載せている。

妻の生まれ故郷のラオスはこの時期、雨期に当たる。しかし日本の梅雨のような降り方ではなく、昼間だと激しい勢いで短時間降ったかと思うと、見る見るうちに雲が散って再び強い日差しが照りつける、ある程度先行きの予想がつくわかりやすい天候だ。

ラオス滞在中にこうしたスコールにたびたび遭ったが、何度か経験するうちに雨が降りだしそうなタイミングがわかるようになった。地面をたたきつけるような激しい雨は、汚れた道路をデッキブラシで一気に洗い流すような勢いで、雨上がりは深呼吸したくなるほどすがすがしい。熱帯モンスーン気候特有のこの時期の気象は、時に50度近くまで気温が上がる暑期や乾期より、私は好きだ。 記事全文>>

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新たな発見と感動の連続
「4か国回遊生活」タイ再訪編
『四方八方異論の矛先-屋台村軒先余聞』第7回

8月 16日 2023年 社会

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元記者M(もときしゃ・エム)

元新聞社勤務。南米と東南アジアに駐在歴13年余。座右の銘は「壮志凌雲」。2023年1月定年退職。これを機に日本、タイ、ラオス、オーストラリアの各国を一番いい時期に滞在しながら巡る「4か国回遊生活」に入る。日本での日課は3年以上続けている15キロ前後のウォーキング。歩くのが三度の飯とほぼ同じくらい好き。回遊生活先でも、沿道の草木を撮影して「ニュース屋台村」のフェイスブックに載せている。

「ハッピーバースデー」

バンコク近郊のスワンナプーム空港に到着後、両手の指紋のチェックなどを終えて入国審査官からパスポートを戻された妻は、こう声を掛けられた。私が16年ぶりにタイに入国したその日は、妻の誕生日だった。思いがけないお祝いの言葉にうれしそうな妻の表情を見て、これは幸先のいいスタートだと思った。退職後の念願だった「4か国回遊生活」の第一歩は、こうして始まった(前回第6回「見たい、知りたい、感じたい―『4か国回遊生活』への道」ご参照)。 記事全文>>

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見たい、知りたい、感じたい
「4か国回遊生活」への道
『四方八方異論の矛先-屋台村軒先余聞』第6回

8月 09日 2023年 社会

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元記者M(もときしゃ・エム)

元新聞社勤務。南米と東南アジアに駐在歴13年余。座右の銘は「壮志凌雲」。2023年1月定年退職。これを機に日本、タイ、ラオス、オーストラリアの各国を一番いい時期に滞在しながら巡る「4か国回遊生活」に入る。日本での日課は3年以上続けている15キロ前後のウォーキング。歩くのが三度の飯とほぼ同じくらい好き。回遊生活先でも、沿道の草木を撮影して「ニュース屋台村」のフェイスブックに載せている。

私は2023年1月の満65歳の誕生日を機に、新聞社を退職した。通信社時代も含めると40年以上、文字周りの仕事に従事してきた。大学生の時はマスコミ業界に就職する者が多かった、今も続く「マスコミ研究会」に所属し記者をめざしてせっせと文章を書き綴(つづ)っていた。もっと遡(さかのぼ)ると、兵庫県赤穂の行き止まりの寒村の分校にたった1人入学した小1の時に当時、先生が淡いピンク色の紙にフェルトペンとボールペンで枠と縦の線を引いて作ってくれた原稿用紙に、Bの濃さの鉛筆で祖父のことを書き、頑固で一本気なところがあった祖父本人からたいそう褒められたことを今もはっきり覚えているから、書くことは小さい頃からずっと苦にならなかったようだ。 記事全文>>

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集まり散じつ仰ぐは同じき理想の光
「屋台村」開設10周年余話
『四方八方異論の矛先-屋台村軒先余聞』第5回

8月 02日 2023年 社会

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元記者M(もときしゃ・エム)

元新聞社勤務。南米と東南アジアに駐在歴13年余。座右の銘は「壮志凌雲」。2023年1月定年退職。これを機に日本、タイ、ラオス、オーストラリアの各国を一番いい時期に滞在しながら巡る「4か国回遊生活」に入る。日本での日課は3年以上続けている15キロ前後のウォーキング。歩くのが三度の飯とほぼ同じくらい好き。回遊生活先でも、沿道の草木を撮影して「ニュース屋台村」のフェイスブックに載せている。

「ニュース屋台村」に執筆いただいている方々、そして執筆を考えていただいている方々へ。けさの東京は、この冬一番の寒さで、わが家の前の神社の境内の水場にも氷が張っておりました。まさに身が引き締まりますが、少々たるんだオヤジの心身にはちょうどいい感じです――。

私たちのニュースサイト「ニュース屋台村」が酷暑のこの夏、開設10周年を迎えるに当たり、開設当初前後の自らの文章を検索していたら、開設後まもない2014年の厳寒の正月に執筆陣や読者の方々に向けて書き送ったものが出てきた。2013年7月にサイトを立ち上げてからちょうど100本目の記事をアップロードしたタイミングに、「ぜひとも引き続きご寄稿ください」と暗に催促したものだ。当時、サイトを立ち上げたはいいがわずか半年で集まる原稿の数は目に見えて減り、開設当初からずっと編集に携わってきた者として「サイト閉鎖前夜」の悲壮感を抱きながら、冷静を保つふりをしつつその実、「なんとかしないと早晩閉村に追い込まれる」とかなり焦っていた。

その後も幾度となく閉村の危機に直面しながら、「ニュース屋台村」は今年7月17日に開設10周年を迎えた。この間、私も含めて計35人の執筆陣がのべ1572本(8月2日現在)の記事を公開してきた。たかが10年。しかし私には「されど10年」の思いが強い。この10年は、記者を生業(なりわい)とし、一貫して文字周りの仕事に従事してきた私にとって、本業を離れてまさに「真剣勝負」「格闘」の孤独な作業の日々だった。 記事全文>>

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手ごわい「リスキリング」と「アンラーン」
『四方八方異論の矛先-屋台村軒先余聞』第4回

3月 01日 2023年 社会

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元記者M(もときしゃ・エム)

元新聞社勤務。南米と東南アジアに駐在歴13年余。座右の銘は「壮志凌雲」。新型コロナ禍に伴う約3年の在宅勤務を経て、2023年1月に定年退職。現在の日課は3年以上続けている15キロ前後のウォーキング。いまのところ、歩くのが三度の飯とほぼ同じくらい好き。歩きながら四季の移ろいを体感しつつ、沿道の草木を撮影して「ニュース屋台村」のフェイスブックに載せている。

「キッシー」「スガチャン」「アベチャン」「アッソー」……。わが家族の専用のLINEには時折、歴代の首相の名前がこんな呼び名で登場する。愛称というより、明らかに侮蔑(ぶべつ)した言い方で、その先鞭(せんべん)をつけたのは、毎回最初に書く私である。いまだにスマホは持たず、愛用している4G機能付きのガラケーでもLINEは使えるが、いつも自宅備え付けのノートパソコンで打ち込んでいる。ほぼ毎日何かしら書いているが、自宅にいる時しか見ないし、見られない。そのせいもあって、毎日概ね朝方、新聞2紙とネットニュースをチェックした私の一方的な思いの吐露や主張に終わることが多く、ほかの3人からは「既読」のマークは付いても、私が提示した話題に乗ってくることはまずない。ところが最近、「リスキリング」と「アンラーン」について書いたところ、産休中だった長女が即座に鋭く反応し、久しぶりにやりとりが盛り上がった。 記事全文>>

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台湾有事と主治医C先生の帰境
『四方八方異論の矛先-屋台村軒先余聞』第3回

12月 08日 2022年 国際

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記者M(きしゃ・エム)

新聞社勤務。南米と東南アジアに駐在歴13年余。座右の銘は「壮志凌雲」。新型コロナ禍に伴う在宅勤務が2年以上続く現在の日課は、15キロ前後のウォーキング。いまのところ、歩くのが三度の飯とほぼ同じくらい好き。歩きながら四季の移ろいを体感しつつ、沿道の草木を撮影して「ニュース屋台村」のフェイスブックに載せている。

今年は、ロシアのウクライナ侵攻(2月)、ペロシ米下院議長の台湾訪問(8月)、中国共産党大会(10月)などを背景に、「台湾有事」という言葉がメディアでかつてないほど頻繁に飛び交った。ただ正直なところ、わが身への影響を考えると、しょせんは「他人事(ひとごと)」だと思っていた。だが最近、台湾有事がまるでバタフライ効果が逆流したように、私自身の日常に意外な形で影響する出来事があった。

「12月に台湾に帰ることになりました。予備役として軍事訓練を受けなければならないんです」

11月半ば、2か月に一度診てもらっているS病院の糖尿病内科部長C先生の診察室に入ると、いきなりこう切り出された。生まれも育ちも台湾のC先生は日本語がきわめて流ちょうである。

私はここ15年ほど血糖値が高めに推移し、2年前までずっとかかりつけの開業医S先生に診てもらっていたが、コロナ禍に伴う在宅勤務で食生活に油断が出たためか血糖値がさらに高くなってしまった。毎日服用している治療薬の処方箋(せん)だけもらおうとS先生のクリニックを訪れたところ、たまたま診察当番だった若いアルバイト医師から一方的に、「このままだと大変なことになりますよ。糖尿病内科のある大きな病院できちんと診てもらったほうがいい」と脅され(当時の私は脅迫されたような印象を持った)、紹介状のあて先として書いてくれたのが、C先生だった。 記事全文>>

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ICT社会を抗いながら生き抜く
『四方八方異論の矛先-屋台村軒先余聞』第2回

7月 21日 2021年 社会

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記者M(きしゃ・エム)

新聞社勤務。南米と東南アジアに駐在歴13年余。座右の銘は「壮志凌雲」。新型コロナ禍に伴う在宅勤務が1年以上続く現在の日課は、夜明け前から歩き始める10キロウォーキングと夕方の5キロ程度の散策。不要不急の外出は控え、休みの時は動画配信サービス「ネットフリックス」で見る韓国ドラマにどっぷりハマっている。

「ニュース屋台村」はfacebookのアカウントを持っている(https://www.facebook.com/newsyataimura)。新着の論考を公開する折に、より広範な読者の関心を集めたいと開設したもので、一部を除いて毎回、日本時間午前6時のアップロード公開の直後に、その時期の旬の花の写真を載せている。実はこの写真の大半は、筆者が毎日、夜明け前後に行っている10キロウォーキングの途中で目に入った花をガラケーのカメラで接写し、帰宅後にパソコンに移してアップロードしたものだ。時に刻一刻と変化する朝焼けの濃紺、青、オレンジ色などのグラデーションを楽しみながら、いつも歩いている江戸川沿いの遊歩道のそばに咲く花もあれば、民家の軒先で見つけた花、わが家の庭の花もある。つい先日、百日紅(サルスベリ)が今年最初の白い花をつけた。残念ながら解像度がイマイチなのは、ガラケーのカメラ性能におのずと限界があるからだ。

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東京五輪「中止」は最後まで諦めない
『四方八方異論の矛先-屋台村軒先余聞』第1回

7月 14日 2021年 社会

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記者M(きしゃ・エム)

新聞社勤務。南米と東南アジアに駐在歴13年余。座右の銘は「壮志凌雲」。新型コロナ禍に伴う在宅勤務が1年以上続く現在の日課は、夜明け前から歩き始める10キロウォーキングと夕方の5キロ程度の散策。不要不急の外出は控え、休みの時は動画配信サービス「ネットフリックス」で見る韓国ドラマにどっぷりハマっている。

無料ネットニュースサイト「ニュース屋台村」は今年7月17日で創刊以来、丸8年となる。これまでに発表した論考は計1340本。売りは、多彩な執筆陣と高度な専門性。硬軟織り交ぜて、ニッチな領域にも積極的に取り組んできた。編集から運営まですべて手弁当。執筆陣の方々には「原稿料は儲かった暁(あかつき)に払いますんで」と空手形を切ったまま、「中年おやじの部活のノリ」で続けてきた。

筆者は創刊以来、主に編集面に携わり、これまでに寄せられたすべての論考に最初に目を通して校閲し、アップロード作業を委託しているタイの「バンコク週報」に送信するまでの工程を担当してきた。この先いつまで続けられるか、正直なところわからない。執筆陣はこの8年の間に集散を繰り返し、さまざまな「屋台」を出してきた。そこに通底するのは、われわれが創刊当初の「宣言」で謳(うた)った「日本や世界の将来を見据えつつ独自の座標軸を打ち出す」ことである。手前みそながら、創刊当初の論考を読み返すと、その主張や指摘が現在ある問題の本質を見事に突き、いっこうに色あせていないことに気づく。

創刊9年目に入るに当たり、「屋台村」の軒先で感じてきたこと、いま感じていることを綴(つづ)っていこうと考えた。筆者はすでに二つの「屋台」を出しているが、「本業多忙」を口実に取材を怠ってきたうえに読書量が激減し、のれんは戸口の内側にしまったまま休業の状態だ。加えて、新たな執筆陣が思うように集まらず、このままだと「シャッター屋台村」の事態に陥りかねない。少し気分を変えて、すっかり重くなってしまった腰を「ヨイショ」と上げて新たに出す三つ目の「屋台」は、窮余の一策でもある。

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