古川弘介(ふるかわ・こうすけ)
海外勤務が長く、日本を外から眺めることが多かった。帰国後、日本の社会をより深く知りたいと思い読書会を続けている。最近常勤の仕事から離れ、オープン・カレッジに通い始めた。
◆ 本稿の狙い
前々稿と前稿では、資本主義の批判者としてのマルクスの思想をみてきた。本稿においては、その今日的意味を考えたい。
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海外勤務が長く、日本を外から眺めることが多かった。帰国後、日本の社会をより深く知りたいと思い読書会を続けている。最近常勤の仕事から離れ、オープン・カレッジに通い始めた。
前々稿と前稿では、資本主義の批判者としてのマルクスの思想をみてきた。本稿においては、その今日的意味を考えたい。
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前稿では、資本主義の最大の批判者であったカール・マルクス(1818〜1883)の思想をとりあげた。急速な産業化・近代化が進展していた19世紀英国において、労働者は貧困に苦しみ、階級間の不平等は大きく、循環的な不況が多くの人々の生活をさらに悲惨にした。こうした労働者の悲惨な状態を変えようと考えたマルクスは、それまでの空想的「社会主義」を脱し、経済学の理論を用いて「社会主義」を現実的な資本主義の諸問題の解決策として人々に示したのである。
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わたしたちは、資本主義の時代を生きている。資本主義は経済成長を可能とし、物質的な豊かさをもたらしたが、同時に貧困、不況、不平等(格差)を生んだ。前回まで、こうした資本主義の諸問題を「近代」という歴史概念の中に探ってきたが、本稿からその解決策について考えてみたい。
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戦後70年を迎えた年に、「世論調査で見る日本人の『戦後』」と題してNHKが世論調査を行った(*注1)。それによると「全体としてよい時代だった(「どちらかといえば」を含む)」と答えた人は85%に上った。また、「戦後築いてきたと思うもの」という質問に対する答えのトップは「戦争のない平和な社会」であり、圧倒的大部分(87%)の人々の支持を得ている。そうした「肯定的な戦後」の象徴が平和憲法である。
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日本はこの150年間に、「開国」と表現される国を挙げての「近代」の導入を2度経験している。最初が、黒船の来航を契機とした幕末・明治期であり、モデルはヨーロッパであった。2度目が敗戦後で、モデルは米国であった。前稿に引き続き、本稿では、占領期を米国からの「近代」の導入という視点から考えてみたい。
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年末年始にかけて、企業経営者の新しい年への抱負が雑誌や新聞をにぎわすのが恒例だ。大企業経営者に共通するのは、「グローバル競争は激化している」「世界中のあらゆる産業で起きている革新の波は止められない」という現状認識だ。この背後には「社会は進歩する」「技術革新は人間を幸せにする」という思想がある。そして、日本が世界と戦っていくためには「変わらなければならない」「社会の進歩を創造する側に回らなければならない」という結論が導かれる。こうした考え方は、現代のグローバル資本主義の基底にある合理主義と科学技術の無限の進歩への信仰という「近代主義」思想にもとづいている。
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前回まで日本の「近代」を考えてきたが、実は屋台村発起人の小澤さんから「日本の近代化はわかったがアジアの他の国についてはどうなのか」という質問を頂いていた。興味深い視点だと思ったが、私の知識の及ぶところではなく答えられずに終わった。ただ、中国については自分なりの答えを準備する必要があると感じていた。なぜなら、前稿の『日本の「近代」とは何であったか』でみたように、日本の「近代」は、中国抜きには語れないからであり、さらに当時の日中関係が現在につながっていると考えたからである。
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来年福井県で開催される国民体育大会(以下国体)の名称が、「明治150周年記念 第73回国民体育大会」に決まったことに反対が出ているという新聞記事(*注1)を目にした。識者の見解として「国体は戦後の日本社会にふさわしい国民のスポーツの祭典として創設された。明治を冠すると戦後のシンボルとしての国体の意味が吹き飛んでしまう」と紹介している。国体が生まれた経緯を考えて、よりふさわしい名称にすべきという意見は理解できる。しかし、名称論争の背景には、明治という時代に対する基本的な考え方の相違があるようだ。この記事によると、県労連や県高教組などが主張する反対理由は「明治は当初から対外膨張的な志向を強く持った時代であり、それがアジア太平洋戦争の惨禍に結びついた」としている。この150年を戦前と戦後に分け、戦前を戦争と結びつけ否定的に評価する一方、戦後は民主主義と平和と豊かさの時代として肯定的に捉える考え方である。
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『日本の「近代」とは何であったか』(三谷太一郎著)という本を道標に日本の「近代」への歩みを見ている。本書の四つの視点のうち、「政党政治」「資本主義」「植民地帝国」を終え、本稿では最後の「天皇制」について考えてみたい。
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現在の私たちが抱える諸問題の原点は、日本の「近代」の始まりにあると考え、この春に出版された三谷太一郎氏の『日本の近代とは何であったか―問題史的考察』(岩波書店、2017年)を読んでいる。同書は、日本の「近代」の概念把握の試みであり、その視点として「政党政治」「資本主義」「植民地帝国」「天皇制」の四つが示される。本稿では、「植民地帝国」の視点から、日本近代を考えていきたい。
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