内村 治(うちむら・おさむ)
オーストラリアおよび香港で中国ファームの経営執行役含め30年近く大手国際会計事務所のパートナーを務めた。現在は中国・深圳の会計事務所の顧問などを務めている。オーストラリア勅許会計士。
アジアの主要な都市で生活する上で、最近の公共交通の充実は目を見張るものがあります。特筆すべきは、その安価さ、利便性などこの地域の経済発展の重要な基盤の一つになっていることだと思います。今回は各地で急速に伸びている配車サービスの未来について、シンガポールに拠点を置いてトヨタとの幅広い提携にも着手した東南アジア域内での配車サービス最大手のグラブ(Grab)社に焦点を当て、その現状の課題と今後に関しての検討を行い、個人による「白タク」サービスを認めていない日本での今後について私なりの考えを示したいと思います。
◆中国や東南アジアで急成長
1300万人の人口を抱える中国の成長都市・深圳市の場合、ほんの15年前にはほぼ無かった地下鉄網が整備され、総営業距離が約300キロに近く通勤、通学など市民の重要な足になっています。現在ある8路線が2020年には11路線になる予定です。他にも、中国全土とつながるといっても過言でなく、最近では一国二制度の香港ともつながった中国版新幹線の高速鉄道網、EV(電気自動車)化が進んだ公共交通バス、昨年開設された深圳市北部地域を走る路面電車(深圳有軌鉄道)、さらには一時期のブームは去ったものの市内の至るところで見るシェア自転車、ほぼEV化されたタクシー(出租車)、そして中国全土で展開するスマホ・アプリを利用したディディ(DiDi、滴滴出行)による配車サービスなど、利便性と環境保全にも意識された様々な交通手段が整備されています。
中国発のディディは2012年に北京で設立されて以来、急速に拡大し今では深圳を含めて中国国内の数百都市をカバーし、4億人以上のユーザーに支えられています。タクシーや私用車による配車サービスだけでなく、その事業はスマホ・アプリを利用した乗り合いを促すライドシェアやお抱え運転手サービスなど多岐にわたっていて、深圳の新たな交通手段として利用が進んでいます。
シドニーなどオーストラリアの主要都市では、米国発のウーバー(Uber)社を中心として配車サービスが急速に普及しています。ライドシェアは一般的に「乗り合い」を意味しますが、厳密にはウーバーなどは専用アプリを介して自社の運営会社が利用者のために登録車両を手配するライドヘイリング(Ride hailing)を行っており、サービスは細分化しているようです。
東南アジアでは、冒頭に挙げた最大手のグラブが中国のディディと同様に東南アジアの8カ国168都市で成長を続けています。ほかに、インドネシア発のオートバイのライドシェアから始まったゴジェック(GO-JEK)社、インドで成長するオラ(Ola)社などあります.
◆グラブとはどんな会社?
グラブ(正式にはGrab Taxi Holdings Pte. Ltd.)は2012年に現在の最高経営責任者(CEO)のAnthony TanとTan Hooi Lingの両氏によってマレーシアで創業され、その後シンガポールに本拠を移しています。未上場ながら10億ドル以上の企業価値のあるスタートアップ企業で、米国発のウーバーやリフト(Lyft)社などと同様、世界有数のユニコーン企業として知られています。
ウイキペディアによれば、グラブは東南アジアの97%のタクシー配送サービスと72%の私用車配送サービスの市場占有率を持ち、1日あたり350万回の乗車を、200万人を超える登録運転手がサービスしています。一方、シンガポールの政府系機関の報告によれば、2017年の東南アジア地域の配車サービスの市場規模は52億米ドルで、25年には201億ドルまで成長するとしています。こうした流れの中で、去年3月に競争関係にあったウーバーの東南アジア事業を買収し、グラブの企業規模は一段と拡大しました。
日本ではあまり馴染みはないもののソフトバンク、本田技研、トヨタ及びそのグループ企業である豊田通商、ヤマハ発動機が出資するなど日本企業も既に提携するなど注目されています。このうち、トヨタはシンガポールのグラブ登録車両についての自動車保険やメンテナンスサービスを含めて協業を深化させるとの発表をしています。
グラブは、衛星利用測位システム(GPS)の位置情報を利用してタクシーや私用車を仲介手配し、この利用者(乗客)にサービスを提供することで乗車料の一部を手数料として徴収するというのが基本的なビジネスモデルだと思います。ちなみにタイでは乗車料金の25%程度で、スマートフォンを登録運転手に提供したり、使い方の研修などを行ったりしています。最近では、配車サービスだけでなく、食品配達、宅配、購入代行などプラットフォームを利用したサービスや金融サービスなど多角化しています。
◆従来のタクシーとどう違うのか?
グラブのCEOのTan氏は、友人からマレーシアを訪ねた際に経験した過大請求などのタクシー利用のサービス問題を聞いたことをきっかけに、このビジネスを思いついたといいます。確かに筆者もタイやマレーシアでタクシーに乗って過大請求やサービスレベルの低さに驚いたことがあります。グラブの配車サービスでは、個々の運転手の信用チェックなどを通じて信頼度も担保されているそうです。
利用は以下のような手順で行います。
①スマホで、乗車前に迎え先と行き先が確認済みでサービス料金が予約される
②待ち時間とどの車が配車されるのかも表示され、その時点での予約キャンセルも可能
③決済は、現金または事前に登録されたクレジットカードなどで行う
④利用するたびにスマホ経由で利用満足度調査と領収書として利用明細が届く
このように安全性がある程度担保されるとともに、安心して乗車できるという利便性の高いのが特徴です。英BBC放送で昨年4月、アジアの成功している起業家として紹介された際、Tan氏のビジネス哲学の中心は「サービス向上を図り、顧客などの満足度を追求する」というものでした。
では、私有車を利用する配車サービスにはどんな法的な課題があるのでしょうか?
オーストラリアでは現在、ウーバー、リフト、ディディ、オレなど合法的に配車サービスが乱立状態ですが、例えばシドニーのあるニューサウスウェールズ州では2017年に関連法が整備され、ライドシェアの運転手は配車サービス業務用の免許などを保有するとともに、GST(10%の付加価値税)などの登録が義務付けられています。また、安全面の対応もなされて、登録運転手は健康上の問題がないことを認証するとともに、使用車の安全性検査を年に1回受けなければなりません。
同様に、私有車配車サービスが普及しているシンガポールでも昨年、法的な整備がなされ、ライドシェア業務用の免許を取得することが求められ、健康チェックや研修などを受けることが義務付けられています。
これに対し、筆者の住むタイでは私有車配車サービスが普及しているにもかかわらず、このサービスの提供を認める法律はまだないようです。また、配車に使われる私有車や運転手についても、原則として業務用の免許が必要とみられますが、実際には無資格で営業しているようです。インターネットを通じて単発の経済行為を行うことをギグ(Gig) エコノミーと呼ぶそうですが、まさにギグエコノミーを実践する配車サービスの提供について、個人運転手に対するVAT(付加価値税)や所得税上の捕捉がどこまでできているかもよく分からないというのが実態だと思われます。
このように、タイではオーストラリアやシンガポールのような形で私有車配車サービスの法的整備が追いつかず、タイ政府が検討しているようです。事故などの場合の保険カバーも含めて配車サービスの法制面での検討・整備が必要で、利用者が安心して安全に乗車できるように改善されることを願っています。
◆グラブの業務拡大戦略の行方
グラブは昨年3月にウーバーの東南アジア事業を買収していますが,シンガポールを含めて、この買収によって東南アジアのかなりの地域で独占的な市場占有率を占めるに至っています。シンガポール消費者庁は、この買収によって市場競争が損なわれ消費者に悪影響が出るとして、両社に対してそれぞれ約650万シンガポールドルの罰金を科しています。独占禁止法的な競争を促す措置であり、グラブに対しては独占的な地位を利用して登録運転手に対する不当な条件を強いたりしないなどの条件も付けています。ウーバーはこれ不服として上訴しているようですが、シンガポールでは最近、ゴジェックの配車サービスも展開され始めたようで、この競争上の展開も今後の配車サービスの将来に影響を与えかねません。
◆自動車「保有から利用」の時代へ
ウーバーやディディなどが日本のタクシー会社やソフトバンクとの連携によって日本でタクシー配車サービスを展開するなど、ライドシェアに関する報道が最近よく目につきます。タクシーを利用した配車サービスを日本で合法的に行うのは大変意義あることだとは思いますが、タクシー運転手の人数的にも限界があり、また、中国などからの越境での配車サービスが問題になっているといいます。
日本では昨年11月、2019年度の政府税制改正大綱が発表されましたが、その中で今後の検討課題として、自動車の「保有から利用」への環境変化なども踏まえて、自動車関連税制のあり方を中長期的な視点に立って抜本的な改革も検討するとしています。誰もが車を持てる時代に、自動車の自己保有からシェアリングなどへの移行がこれから急速に進むのか。その中で海外のような更なる配車サービスに関する進展と、それに対する法的整備が進むのか気になるところです。
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