山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
「顧客に不利益を与えた疑いのある契約は改めて調べると18万3000件ありました」
郵政グループ3社の社長は7月31日、そろって記者会見し、深々と頭を下げた。全国の郵便局が舞台となった、かんぽ生命の「不適切な勧誘」は底なしの広がりを見せている。
テレビでは、認知症の御老人に20件を超える保険に加入させていたケースが紹介されるなど、ここまでやるか、と思うようなえげつない勧誘の事例が明らかにされた。「現場の暴走」は確かにあっただろう。
だがこの問題を、「過剰なノルマを設定した経営者と報奨金欲しさに客を食い物にした現場」という図式で捉えると、事の本質を見誤る。
「不適切な勧誘」は国策の失敗と無関係ではない。市場万能主義を政策にした郵政民営化とアベノミクス第一の矢である異次元の金融緩和がもたらした超低金利。二つの国策が郵政事業を暴走させたことを指摘したい。
◆「不適切営業」の背景に日銀の異次元緩和
カネを扱う銀行・証券・保険などの金融ビジネスでは、客の無知につけ込み、売り手が一方的に儲ける「騙(だま)しの営業」がしばしば起こる。業者側が商品知識を独占する「情報の非対称性」や、日頃お世話になっているという「信頼」を逆手に取った商売が、職場モラルの崩壊を伴って集団的に起こることは珍しくない。
「低金利が長く続くと、金融モラルの劣化が始まり、どこかでおかしなことが一斉に起こる」
三重野康(みえの・やすし)元日銀総裁がふと漏らした言葉である。5度にわたる金利引き下げに関与し、バブル経済を発生させた責任の一端を担った三重野氏は、低金利の長期化がもたらす弊害の一つに金融モラルの崩壊を挙げていた。
今回、「不適切営業」が拡大した背景には黒田東彦(はるひこ)日銀総裁が始めた異次元の金融緩和がある。
郵政グループは郵便事業の拠点である郵便局を母体にする組織だが、収益を見ると稼いでいるのは、ゆうちょ・かんぽの金融事業が圧倒的だ。へき地・離島を含め全国一律のサービスを義務付けられた郵便は、コストに見合う収入が無く「収益性に問題があり」とされ、民営化のお荷物のように扱われてきた。
郵政組織は民営化を進めるため4社に分割された。日本郵便を除く3社、すなわち、ゆうちょ銀行(金融業務)、かんぽ生命(保険の販売)、日本郵政(持ち株会社)は2015年、株を公開して東京証券取引所に上場した。全国2万4000の郵便局を抱える日本郵便は「上場は無理」と判断され、日本郵政の100%子会社になった。
市場経済に馴染まない、という理由だが、経営が赤字になれば日本郵政の足を引っ張り、株価を押し下げる。稼ぐ力が弱い日本郵便は黒字を維持するため「副業」で利益をひねり出す仕組みが必要とされている。
ゆうちょ銀行、かんぽ生命の業務を請け負い投資信託や保険を売る、という副業だ。2019年3月期は、ゆうちょ銀行から6006億円、かんぽ生命から3581億円の受託手数料を得た。儲からない郵便事業を、貯金・投資信託・保険という金融商品を売って支える、という構造だ。
郵政グループ全体を見ても、金融が収益源となっている。郵貯で集めた180兆円、かんぽの保険料残高75兆円。この巨大な資金を金融市場で運用して利益を出すことで郵政グループは生業をたてて来た。従来は、おおむね国債で運用していた。貯金や保険で集めたカネで国債を買えば、利ザヤを稼げた。ところが超低金利が状況を一変させた。
新規に発行される国債はマイナス金利。満期まで持っていれば損が出る。運用対象を外国の債券や株に変えるなど四苦八苦しているが、利ザヤは確実に薄くなっている。この現象は郵政だけでなく、地方銀行など全国の金融事業を痛めつけている。資金運用が苦しくなったゆうちょ・かんぽは「手数料稼ぎ」に重点を移した。
◆報奨金というアメ、研修・叱責というムチ
経済成長が鈍化し、人々の貯蓄は伸びない。老後の蓄えとして残っている金融資産を「乗り換え」させて販売手数料を確保するという営業戦略に舵(かじ)を切った。
「入院初日から5日分の入院費がもらえる新保険が出ましたよ」などというセールストークで古い保険を解約させ、新しい保険を売る。「利回りのいい投資を始めませんか」と貯金を解約させ、投資信託を買わせる。お客の貯蓄データを握っている郵便局は、客の資産を回転売買させれば、そのつど販売手数料が会社に入り、報奨金(成功報酬)が職員の収入になる。
「超低金利の長期化で金融商品の魅力が低下し、従前通りの営業推進が困難になっていたにもかかわらず、営業施策や推進体制が旧態依然となっていたため、お客様に不利益を生じさせる契約乗り換えを増加させた」
日本郵便の横山邦男社長は記者会見で語った。低金利でゆうちょの魅力は無くなり保険も予定利率が下がり、商品力が落ちた。ノルマで職員の尻を叩き手数料収入を増やすことで難局突破を図ったが、顧客無視を招いてしまった、という反省である。
持ち株会社の日本郵政にも責任がある。長門正貢社長の任務は郵政グループの株上場を首尾よく行うことだ。2022年までに株の放出を終え、売却益で復興財源1・2兆円を稼ぎ出すことが与えられた使命だ。株価を高い水準に保ち、市場の期待を煽(あお)る必要がある。そのためには、金融環境が悪くても好決算を続けなければならない。事業会社3社の利益や売上目標を決める。株価―収益―売上という一連の目標数字から各部門・各郵便局・職員に至るノルマが決まる。達成すれが本給に上乗せされる「インセンティブ」と呼ばれる手当(報奨金)が商品・サービスごとに決められている。報奨金は営業推進のためのアメ。ノルマを達成できないと研修・叱責というムチが入る。
全国一律のサービスを保証する郵便事業を維持しながら、そのコストは金融事業の儲けで埋める。これが郵政民営化の青写真である。ゆうちょやかんぽでカネを安く仕入れ、国債などで運用すれば利ザヤが稼げる、という仕組みが前提となる。
◆郵政の経営者たちも「ノルマ」の犠牲者
アベノミクスによる超低金利の登場で事情は変わってしまった。だが郵政の経営者は「利益を上げ、株価を維持し、売り出して民営化を成功させる」という成果を挙げなければならない。「低金利だから出来ません」という言い訳は出来ない。「民営化請負人」として、首相から任命された人たちだ。いかなる状況であろうと郵政民営化をスケジュール通りに進め、復興財源に見合う規模の売却益を国庫に差し出す。出来なければ失格である。
株価を維持するための無理が、現場のモラルを荒廃させ、郵政の信用を失墜させ、株価下落という皮肉な結末となった。
日本郵政の第2次株放出は年内に予定されているが、とても実行できる状況ではない。郵政民営化のスケジュールにも影響が出かねない。悪手を打った経営者たちもまた、「ノルマ」の犠牲者かもしれない。
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