山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
3年3か月ぶりに日中外相会談が開かれた。北京を訪れた林芳正外相は、中国の秦剛(しんごう)国務委員兼外相にこう言われた。
「米国はかつてイジメのような手段で日本の半導体産業を残酷に抑圧し、今では中国に同じ手を使っている」「日本はいまだに深い傷を負っている。虎の手先になってはいけない」(4月3日付、日本経済新聞)
なにかとギクシャクした関係になった日中関係を安定軌道に戻そうというのが外相会談の趣旨だった。日本はその直前に「半導体製造装置の輸出規制」という中国を刺激する政策を打ち出した。右手で握手を求め、左手で殴る。そんな外交を、中国にやんわり咎(とが)められた。日本は、なにをやっているの、あんただって痛い思いをしたでしょ、と。
◆「米中覇権争い」で米の意に沿う日本
林外相は「特定の国を狙った輸出規制ではない」と釈明したが、中国の「半導体技術封じ込め」を急ぐ米国に同調したことは隠しようのない事実だ。米国は昨年秋、「中国は安全保障上の脅威」として技術移転を防止する輸出規制を開始、半導体製造装置で高い技術を持つ日本とオランダに同調を求めていた。
「米中覇権争い」は、台湾を巡る軍事的緊張だけでなく、産業競争力を支える技術にまで広がり、日本は米国の意に沿って動くようになった。
中国から見れば、言いがかりでしかない。技術を競い合うのは市場経済の根幹であり、半導体技術の開発はどの国でも自由のはずだ。中国の躍進が目覚ましいからと言って輸出を規制して潰しにかかる、というのは自由な国際貿易を謳(うた)ったWTO(世界貿易機関)の精神にも反する。
アメリカという国は、「自らの優位性を脅かす者は許さない」という態度で一貫しているように見える。
「台湾有事」が語られるようになったのも、太平洋地域で軍事力を拡大する中国を意識したからだ。2021年6月、米軍制服組トップのマーク・ミリー統合参謀本部議長が上院の歳出委員会で次のように発言した。
「中国は今世紀半ばまでに米国より軍事的な優位性をもつ考えを公言している。強力な経済力をもち、徹底的に資源を投資するつもりだ。米国は平和と抑止を続けるために軍事的な優位性を維持しなければいけない。失敗すれば、将来の世代を大きなリスクにさらすことになる」
覇権を巡る争いに米国が競り勝つ重要性を述べたもので、日本列島からフィリピンに連なる「第一列島線」に沿ってミサイルを並べることは、米国が軍事的優位性を維持するため欠かせない戦略とされる。
◆対中輸出規制は国家的「自傷行為」
沖縄の南西諸島でミサイル配備が問題になっているが、半導体製造装置の禁輸は、同じ構造にある。
米軍の優位性を維持するためミサイルを配備される石垣島や与那国島の住民は「戦争に巻き込まれる恐れがある」と心配する。では、半導体製造装置を作っている企業はどう受け止めているのか。
日経新聞によると、回路を書き込む成膜装置を手がける東京エレクトロンや洗浄装置のSCREENホールディングスなど10数社が影響を受ける、という。輸出の可否を政府に握られているだけに表だった政府批判は出ていないが、「規制の基準が曖昧(あいまい)で、どう運用されるか不安」という声が上がっている。輸出の4割は中国向けとなっているだけに、業界に打撃は避けられない。丸紅中国の経済調査担当者のコメントが次のように紹介されている。
「製造装置メーカーにとって日本国内に有望な半導体市場がないことが弱み。海外輸出の規制強化は、日本企業の市場開拓をむしばみ、規制という側面から確実に競争力を低下させる」
日本の半導体製産業は弱体化し、製造装置の売り先は海外だというのに、輸出規制で売り先が狭められる、政府が自国産業の競争力を低下させてどうする――という業界の苦吟(くぎん)が聞こえるようだ。対米重視の外交だが、かろうじて優位性を保っている産業を犠牲にしてまで米国に同調する必要はあるのか。対中輸出規制は、国家的「自傷行為」である。
◆「日本叩き」だった半導体交渉
中国の秦剛外相が「イジメのような手段」と表現した日米半導体交渉を振り返ってみよう。この交渉は、メイド・イン・ジャパンが世界市場を席巻した1980年代に米国で巻き起こった「日本排斥」の一環だった。1986年の半導体市場は世界のNo.1がNEC、2位日立製作所、3位東芝。かつて世界の首座だった米国勢は4位にモトローラ、5位テキサスインスツルメンツ、6位にフィリップスへと後退。7位は富士通、8位パナソニック、9位三菱電機、10位インテルだった。
「われわれが切り開いた半導体産業を日本に奪われる」という危機感が米国に広がっていた。80年代初頭には日米自動車摩擦が起きていた。石油ショックと環境汚染を機に小型車ブームが起き、日本車が市場で快走していた。「次は半導体か」という焦燥感から米国は高圧的な態度で日本を半導体交渉の場に引きずり出した。2次にわたる協定(1986年―1996年)で、①日本メーカーによるダンピングの防止②日本の半導体市場で外国製シェアを20%以上に―が明記された。
日本は「ダンピングではない」と主張したが、受け入れられなかった。米国は独自に製造コストを算定し「公正市場価格」を決めた。これ以下で売ったらダンピングと認定する、という身勝手なルールを日本は飲まされ、競争力を弱めた。日本市場では外国製=米国の半導体が20%に達しなければ、報復措置としてパソコンやテレビの関税を100%にする、という脅しをかけて、日本側の責任で達成を迫った。
市場での競争に勝てない国家が、政治力で自国産業を後押しする。相手国に数字目標を課すという自由貿易と相いれない国家権力の発動で、日本を押さえ込んだ。
その結果は数字に表れた。まずNECが首位から滑り落ちた。代わってインテルがトップに立ち、93年には世界市場で米国が日本を追い抜いた。公正市場価格は法律ではなく、日米交渉の「密約」によって決められたため、交渉の枠外にいた韓国のサムスン電子が有利な立場となり、DRAM(メモリー半導体)市場で日本を追い抜いた。日本の半導体産業は、その後凋落(ちょうらく)の一途をたどり、今や見る影もない。
「イジメのようなやり方で日本の半導体産業は抑圧され、いまも深い傷を負っている」という中国の外相の言葉はその通りだろう。
資源も食糧も乏しい日本は、自由貿易によって世界とつながること抜きの繁栄はない。中国という勃興(ぼっこう)市場は日本にとって最大の貿易相手国、生産拠点であり、製品やサービスを売る市場である。
米国には「覇権を争うライバル」である中国は、日本にとっては大事なお得意様だ。日本と米国の「国益」はそれぞれ違うし、腕力でもめごとを解決したがる米国と日本は「国柄」も違う。
戦争の空気が広がる中で「経済安保」という言葉が一人歩きし、公正な市場経済のルールが後退する。経済活動に不可欠なサプライチェーン(交易ネットワーク)を潰していけば、巡り巡って社会、地域、個人の衰退をもたらす。日本政府は米国の意向に付き従うのか。中国に言われるまでもなく、日本人が考えることだろう。
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