п»ї 金融裏面史を疾走した男国重惇史 破茶滅茶な生涯『山田厚史の地球は丸くない』第237回 | ニュース屋台村

金融裏面史を疾走した男
国重惇史 破茶滅茶な生涯
『山田厚史の地球は丸くない』第237回

5月 05日 2023年 経済

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山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

40年余の付き合いがある国重惇史(くにしげ・あつし)が帰らぬ人になってひと月になる。「イトマン事件」を告発し、住友銀行を闇の勢力から護(まも)った金融界のヒーロー、と言えばかっこいいが、たびたびの「不倫」で出世や地位を棒に振った破茶滅茶な男だった。銀行員に収まりきれない熱血漢で、内部告発や大蔵省への工作など危ない橋を渡り、銀行を離れた後もネット証券、ネット銀行など先端分野で道を開いた。スキャンダルで家族から見放され、「進行性核上性麻痺(まひ)」という完治の見込みがない難病を患いながら、好きな女性に守られて4月4日、あの世に旅立った。

◆「住友に国重あり」異色のMOF担

国重と出会ったのは1981年、新米の記者として大蔵省(当時)を担当した時だった。当時、朝日新聞の大蔵省担当は4人。キャップはロンドン特派員を経験したベテラン記者、その下に税制を専門とする主税局担当、予算を追う主計局担当が控え、新米は「その他雑局担当」ということで、理財局、国際金融局、関税局、銀行局、証券局を1人で受け持たされた。大蔵省の実務など全く知らない素人がそれぞれの局・課をひたすら回り、課長や課長補佐を見つけては、雑談を絡めて役所の関心事を探っていた。

銀行局でよく見かけたのが国重だった。童顔の彼は同じ年くらいに思えた。昼休みになると、局長・審議官の秘書を誘って食堂で談笑するなど役所への食い込み方は尋常ではない。取材先とこれほど親しい関係を作れる記者は珍しい。どこの社だろう、とてっきり新聞記者だと思っていた私に「彼は住友銀行のMOF担だ」と教えてくれたのは銀行課長だった。

MOFとは「Ministry of Finance=大蔵省」を表す金融界の隠語、MOF担は大蔵省と銀行をつなぐ「連絡係」である。銀行の中枢である企画部の若手が担当し、大蔵省銀行局に日参する。エリートぞろいのMOF担で国重は異色だった。自然体で愛嬌(あいきょう)があり、高級官僚に受けがいいだけでなく、ノンキャリと呼ばれる職員や女性職員に好感を持たれていた。MOF担の仕事に情報収集は欠かせない。大蔵省には銀行に漏らしてはならない情報がたくさんあるが、国重はそんなマル秘、例えば他行に対する銀行検査の結果までつかんでいた。

情報交換と称してお茶や酒を共にしたが、こちらは圧倒的に「貰(もら)う立場」だった。そのようにして彼は役所やメディアと関係を深め、「住友に国重あり」という評価を固めた。役所やメディアと良好な関係をテコに守備よく運んだのが「平和相互銀行買収」だった。平和相銀を「危ない金融機関」と世間に印象付け、救済合併の手を差し伸べた住銀は大蔵省とともに金融秩序を守す、という構図を作り上げた。

◆「イトマン事件」告発、住銀護る

「住銀の天皇」とされた磯田一郎会長(当時)にとって首都圏進出は悲願だった。平和相互の内紛からオーナー家が手放した株を買い取ったのが、中堅商社・イトマン。社長の河村良彦は磯田子飼いの元住銀常務。大手柄で発言力を増した河村がバブルに乗って暴走したのがイトマン事件だった。銀行から融資を引き出して投機的事業に注ぎ込み、不良債権の山をつくった。

国重はいち早く危機を察知したが、河村の後ろ盾になっている磯田の存在は重く、住銀上層部は強い措置に出られない。業を煮やした国重は「内部告発」に出た。大蔵省・日銀の幹部あてにイトマンの内情を伝える文書を「イトマン有志」の名で頻繁に送りつけ、大蔵省を誘導した。同時に日本経済新聞の記者に情報をリーク、取材させることで銀行と当局に圧力をかけた。

銀行内では、上司だった西川善文企画部長(当時)に働きかけ、磯田会長の責任を追及した。一介の銀行員でありながら、監督官庁・メディア・銀行上層部まで手のひらにのせた。イトマンは事件になり、河村社長逮捕、磯田会長退任をいう筋書きに沿った流れを演出した。住銀は2000億円の損害を被ったが、事件の裏にはバブル不動産を食い物にする暴力団の介在もあり、対応が遅れれば、損害は更に大きくなるところだった。

巨大組織である銀行は、39歳の行員の「個人技」によって救われた。当時、国重は業務渉外部の部付部長。イトマンは守備範囲ではなかった。

◆頭取レースで一時は最有力に

1994年、取締役に推挙される。同期で奥正之(後の頭取)ら3人が第一選抜としてボードメンバー入りしたが、頭取レースの最有力は国重と見られていた。だが「突出」は必ずしも好感されないのが銀行という組織だ。国重は3年で解任され、系列の証券会社に出された。不倫が露見したからだ。相手は磯田会長の秘書だった。妊娠して結婚を迫られ、妻と別れ再婚した。頭取候補にあってはならないスキャンダルだった。イトマン事件の活躍は、不倫相手から経営中枢の情報を得ていたことがバレ、事実上の「解任・放逐」である。

銀行員として終わったが、国重はへこたれなかった。小さな証券会社が大手に対抗するには時代の先端に立つしかない、とネット証券に狙いを定め、2年後、DLJディレクトSFG証券を立ち上げ、オンライン取引を始めた。これが当たった。ネット証券ビジネスを軌道に乗せ、楽天グループに合流した。次はネット銀行、楽天銀行を創設。通販・証券・銀行をネットで連結するビジネスモデルを構築した。銀行時代、親分格だった西川は頭取になっていた。

財界に足場のない三木谷と西川を結び付けるなど、楽天グループの軍師のような働きぶりで2014年、楽天副会長となる。その直後、週刊新潮に人妻との不倫が報じられ、辞任する。新潮に情報を持ち込んだのは不倫相手だった。どろどろの痴話げんかが表沙汰(ざた)となり、どん底からの再生を支えた2度目の妻に三行半(みくだりはん)を突きつけられた。

◆筋肉が弛緩する難病に

家庭も地位もプライドも全て失った奈落の底で書いたのが『住友銀行秘史』(講談社、2016年)だった。イトマン事件を巡る住銀の内部抗争をドキュメンタリー風に再現し、話題の書として売れ行きは好調だったが、住銀中枢部の動きを日記に書き留めたメモは、会長秘書の協力があったことを天下に晒(さら)した。印税は全て前妻のものとなった。

国重はYouTube「デモクラシータイムス」の私の番組に出演し、裏話を披瀝(ひれき)した。その時、もらった名刺には「リミックス証券社長」という肩書があった。仮想通貨絡みの会社という説明だった。時代の先端をゆく「2匹目のドジョウ」を狙ったが、今度はネット証券のようにうまくはいかなかった。危ない輩(やから)と組んで詐欺まがいのことをやっている、という噂(うわさ)を耳にしたこともある。

音信が途絶えていた2019年の12月、携帯に電話があった。細い声で、「病気になった。会いたい」という連絡だった。東京・千駄ヶ谷の病院に入院していた。げっそり痩(や)せ、車いすに頼っていた。筋肉が弛緩(しかん)する難病だという。

唯一の肉親である母親が亡くなったことがきっかけで気力が衰え、病気が進んだという。家族を失い、病院を訪れる人もいないようだが、何度か見舞ううちに、身元引受人のような女性がいる、ことがわかった。女性関係は華やかだったから、仕事絡みで知り合った誰かがたまに面倒をみているのだろう、とちょっと安心した。

2020年になるとコロナがはやり、面会できなくなる。4月に連絡をすると、「国重さんは別の施設に移った」という。また音信不通となり、病気が進行して人知れず亡くなったのでは、とも考えた。それが、2021年秋、彼の面倒を見ている女性から連絡が入った。東京・玉川上水近くの老人施設に入居していた。立派な施設である。費用はどうしているのか訝(いぶか)しく思ったが、楽天の三木谷浩史が援助してくれているという。

◆「憎めない男」との別れ

驚いたことに「面倒を見ている女性」は、週刊誌にどろどろの不倫をバラした本人だった。楽天を辞め、落ちぶれ、難病にかかった国重を見捨てることはできず、施設を探し、面倒を見ていた。国重に代わってフェイスブック(FB)で近況を発信し、ネット空間で国重とつながる人の輪を繋(つな)いでいた。

栄光とどん底を繰り返した破茶滅茶人生に住銀も楽天もかつての家族も絶縁状態だったが、縁あって友達になった人たちは「憎めない男だった」とFBでは語っている。組織から切られても人として繋がっている。愛嬌と才覚で道を開いた野心家で無類のおんな好き。そのサガが浮世の正常軌道から逸脱する結果を招いたが、それが国重惇史の生き様だった。

4月10日、東京・五反田の斎場で、喪主も弔辞も読経もない通夜が営まれた。ネットつながりの約200人が故人を偲(しの)んだ。翌日、骨を拾ったのは国重を看取った「最後の愛人」と、小学校時代の「初恋の人」。最初と最後の女性2人が、煩悩の塊をあの世に送り出した。享年77。(文中敬称略)

※『山田厚史の地球は丸くない』過去の関連記事は以下の通り

第80回「『住友銀行秘史』は他人事でない」(2016年10月28日)

https://www.newsyataimura.com/yamada-103/

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