山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
臨時国会が始まり、岸田首相の顔を頻繁に見かけるようになった。演説も答弁も、紙を読んでいる。抑揚をつけ、句読点で区切りながら、丁寧に読むが、言葉が伝わってこない。官僚作文に頼るからか。無味乾燥なのはそれだけではなさそうだ。掲げる政策や政治の方向に岸田文雄の魂がこもっているように思えない。「こんな政策、やるつもりはなかった」というような、どこか醒(さ)めた思いが表情や口調ににじんでいる。典型が「所得税減税」だ。
これから増税が始まる、と多くの人は身構えている。防衛予算を倍増してGDP(国内総生産)の2%に引き上げる。人口減少に対処するため少子化対策に力を入れる。介護・子育ての充実、教育や職業訓練など、税金の投入先は膨らむばかりだ。財源を本気で考えるなら増税は不可避――。そんな状況の中で「所得税を減らします」というのだから、世の中にどよめきが起きた。
◆「大入り袋」に冷ややかな世論
岸田首相は26日、政府与党政策懇談会で「1人当たり4万円の減税を」と指示した。世帯主だけでなく扶養家族も同額。夫婦と子供2人なら4×4で16万円の減税となる。低所得で税金を払っていない非課税世帯には1人7万円の給付金を配る。来年の6月に行う1回限りの措置だ。
税収が予想より多かった。2021・22年度を合わせると、所得税で3.5兆円の「上振れ」があった。そこで「増収分を国民に還元する」という。「大入り袋」である。
「国民の負担増の検討が避けられない状況にありながら、減税をするのは、著しく整合性を欠く」。読売新聞は社説でかみついた。「首相は場当たり的な人気取りより、何が国民の利益につながるか、政策の全体像を示して語る必要がある」。どちらかといえば政権に理解のある読売ですら、こう指摘するのだから、世間は「大入り袋」に冷ややかだ。
突然の減税は政府が直面する財源探しと「整合性を欠く」。並の政治家でも分かっている。首相だって「場当たり的な人気取り」であることは、承知の上だろう。「ホントはこんなことやりたくない」と心のどこかで思っているに違いない。それが口調や表情に出る。
「防衛予算の倍増」も同様だ。5年間で43兆円。空前の軍事予算が財政を圧迫する。その多くが米国からの「兵器爆買い」だ。国民の税金がアメリカに流れ、国内景気の活性化に必要なカネが失われる。
岸田首相の派閥「宏池会」は、創設者の池田勇人から大平正芳、宮澤喜一まで、軍事にカネをかけず民生を重視する「軽武装」を国策としてきた。岸田は「防衛戦略の大転換」を決めたが、この路線は安倍晋三首相の時代に敷かれ、背後には米国の強い要請があった。
党内最大の派閥「安倍派」、日米同盟という事実上の主従関係に逆らうことはできない、と岸田は無抵抗に受け入れたのである。
◆「なる」ために「する」はどうでもいい
丸山眞男は、著書『日本の思想』の中で、日本人の行動様式を「『である』ことと『する』こと」に分け、地位や職責を目指し「〇〇になる」という「である」の行動様式ではなく、たとえば政治家として「〇〇をする」という能動的な態度が民主主義社会に必要であることを説いた。
「やりたいことが分からない」と言われる岸田だが、もとより理念や政策を掲げる政治家ではなかった。
家父長的な政治家一族で育った岸田は「政治家になる」を宿命づけられ、政界に出れば「首相になる」という一本道を目指した。
「政治家として〇〇をする」という思考回路は希薄だ。「なる」ために「する」はどうでもいい。軽武装の系譜にありながら軍拡に抵抗しない。財源が逼迫(ひっぱく)していても、選挙に勝つには「減税」を平気でする。公金を使って有権者を誘導するのは「買収」と変わらない。「需要の喚起」「所得の底上げ」など後付けの理屈を口にしながら、言葉に力がこもらないのは、「買収減税」であることの本質が頭にちらつくからではないか。
世間も分かってきた。岸田文雄は「来秋の総裁選で再選されることが全て」という「であるの政治家」だということが。物価は上がり、賃金は追いつかない。先が見えない不安定な暮らし。そんな時に自分だけを可愛がる首相――。そんな空気が支持率の低下を招いている。
◆支持率は「危険水域」、離れる人心
朝日新聞の10月の調査によると、政権の支持率は前月より8ポイント下がり28%だった。30%を下回ると「危険水域」といわれる。不支持率は7ポイント上がって60%になった。
政党支持率は自民27%、立憲4%、維新6%、公明3%、共産3%、国民2%だった。「支持政党なし」は45%、無回答は8%あった。無党派は過半数の53%もある。第1党は「無党派」が今の日本だ。魅力的な政党がない、政治に期待しない、投票に行かない、自分たちの政治と思っていない。悪循環が続いている。
そうした状況の中でも、第1党の無党派が選挙でどこに流れるかが、政局を大きく変える。その一端が、22日に行われた二つの国政選挙に現れた。衆院長崎4区と参院高知徳島で与野党が一対一で対決した補欠選挙だ。結果は長崎では自民党が辛勝、高知・徳島では野党が圧倒した。一勝一敗の痛み分けのように見えるが、中身は「自民敗北」である。
長崎では自公が支持した金子容三氏が7000票差で勝ったが、NHKの出口調査では無党派票の36%しか取り込めず、63%が敗れた末次精一候補に流れた。史上最低だった投票率(42%)がもう少し上がれば逆転していた可能性がある。
高知・徳島で無党派の票の82%が勝った野党候補に流れ、敗れた与党候補には17%しか来なかった。
この日行われた埼玉県所沢市の市長選では自公が担ぐ現職が立憲・共産が支持する野党候補に敗れた。宮城県の県議選では自民党が8議席減らし、自公過半数だった構図が揺らいでいる。
「岸田首相が模索してきた年内解散は壁にぶつかった」という空気が自民党内に広がっている、という。
年内が無理なら、通常国会が終わった後の「来年の夏」という筋書きが持ち上がり、そこに照準を合わせた「買収減税」が動き出した。
こうした「場当たり的な人気取り」で政権にしがみつく首相に人心が離れている。
◆政治不信と無党派の自民離れ
政治不信と無党派の自民離れが同時に起きている。
東京で小池百合子都知事の「都民ファースト」が浮上し、関西では「維新の会」が上潮だ。どちらも自民党政権に飽き足らない有権者の支持を惹(ひ)きつけた。だが、中身を見ると、自民党と同根の政治家が目立ち、伸び悩んでいる。
一方で、自民党保守派に近かった作家の百田尚樹氏らが日本保守党を立ち上げた。自民党に飽き足らない右派も苛(いら)立っている。
一度は政権交代を成し遂げた民主党は3年で自滅し10年が過ぎた。保守バネを効かせて政権に復帰した自民党は再び迷走を始めた。政界は新たな秩序に向かって動き出したようだ。今は過渡期である。無党派の増大はその予兆ではないか。
大きな引き潮の後には大波が来る。民意をつかむのはどこか。次の時代を担うリーダーは、いまどこで、なにをしているのだろうか。(文中敬称略)
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