山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
2022年2月11日付の拙稿第206回で「大川原化工機」(本社・横浜市)を巡る冤罪(えんざい)事件を取り上げた。警視庁公安部が、液体を粉末にする機械を作る町工場を「軍事転用できるハイテク機器を中国に輸出する怪しい企業」に仕立て上げた。社長らを逮捕したものの、見込み捜査は見事に外れ、起訴が取り消されるという、お粗末極まりない冤罪事件となった。その顛末(てんまつ)は前回書いた通りだが、大川原化工機の社長らが起こした損害賠償訴訟の法廷で、驚くべき事態が発生した。捜査に関わった公安部の警部補が「事件は捏造(ねつぞう)」と言い放ち、もう1人の警部補も「(幹部は)捜査のマイナス情報を取り上げなかった」と証言した。
警察官が自ら関わった捜査の不当性を裁判の場で証言したのである。上司が指揮する捜査を部下の警官が公然と批判する「下剋上(げこくじょう)」である。一体、警視庁の内部で何が起きているのか。
◆「捏造」と証言した警部補
事件を担当したのは、警視庁公安部外事一課。テレビなどで人気が高まっている「外事警察」だ。その中で「問題国への不正輸出」に目を光らせているのが第五係。大川原化工機への強制捜査は第五係長の警部が指揮を執り、上司である管理官や課長と相談して捜査を進めた。
「捏造」と証言した警部補は「なぜ捏造までして事件を作るのか」と法廷で問われると、「欲でしょう、歳を重ねると自分がどの辺までいくか見当がつくので」と答えた。階級社会の警察はどの地位で退職したかで退職金や再就職先の待遇が大違いだ。事件の立件後、外事一課は組織として警察庁長官賞と警視総監賞を受賞。第五係長は警視に昇格した。
公判での捜査批判は「爆弾発言」のように取り上げられたが、大川原化工機の経営者や弁護士には予想された成り行きだった。2人の警部補を証人申請した段階で、捜査批判が出ることはほぼ分かっていた。弁護士は公安部の内部に捜査批判が燻(くすぶ)っていることを知っていた。
「内部告発」があったからだ。警視庁の封書で届いた手紙は「地方公務員法違反に問われる恐れがあるので匿名をお許しください」とあり、捜査が不当に行われ、この件については部内で異論を述べている人物がいる、とその実名を記し、「会社にとって有利な情報を得ることができるだろう」と接触を勧めた。警察の捜査の秘密を超え、不正をただそうという義憤に駆られた通報だった。
◆崩れた「中国向け不正輸出」のシナリオ
冤罪の瓦解(がかい)はここから始まった。公安部が作り上げた「中国向け不正輸出」のシナリオは、捜査員たちの証言によって崩れていった。
「外事一課の第五係は、近年めぼしい成果が上がらず、このままでは人員を減らされる恐れが出ていた」という内情が伝わってきた。事件は完全に作られたものだった。禍(わざわい)のタネは、食品や薬品を粉末にする噴霧乾燥機。不正に輸出され細菌兵器の製造に使われている、という荒唐無稽(こうとうむけい)な話を作り上げ、従業員90人ほどの大川原化工機を標的にした。
後に逮捕される常務が、任意取り調べの段階で「うちがどんな犯罪を犯したというのですか」と捜査官に問うと、「あってはならない機械が中国のあってはならない場所にあった」と答えた、という。驚いた常務が輸出した乾燥機の所在地を全て調べたが、軍事転用されるような場所にないことを確認した。「どこにあったか言ってくれ」と迫ると、捜査官は「まだ捜査中」と答えた、という。そんなやりとりの末に逮捕され、いわゆる「人質司法」の拘束を受け、捜査官が書いた「社長と共謀して不正輸出をしました」という調書に署名を迫られた、という。
◆止まらなかった強引な捜査
事件の流れを時系列で追うと、こうなる。
公安部の内偵が始まったのが2017年ごろ。翌18年10月の家宅捜索、社員に対する任意取り調べが始まる。20年3月、社長ら3人が逮捕・起訴。5月には韓国向け輸出で再逮捕。保釈は認められず、21年2月にやっと釈放されたが、2日後に相嶋静夫顧問が死亡。取り調べのストレスで進行性のがんを発病した。7月30日、突如「起訴取り消し」。9月8日、社長らが国・都を相手に損害賠償請求を提訴。23年6月30日、公安部の警部補が「捏造」を証言した。
事件が作られたのは、内偵が始まってから家宅捜査に着手するまでの1年だ。噴霧乾燥機は細菌の粉末化にも使える。ものによっては経済産業省への届け出と審査が必要となる。公安部は「大川原化工機は届け出が必要な機器を経産省の目をかいくぐって不正に輸出した、中国で生物兵器に転用される恐れがあることを知りながら」というストーリーを作った。
違法か否かは、経産省の基準(ガイドライン)で決まる。大川原化工機はこの分野では名の通った企業で、軍事転用を防止するガイドライン作りで経産省に協力した。輸出は民生品に徹していたが、公安部は「輸出基準に違反する製品を無届けで輸出した」として、外為法違反(不正輸出)だとした。
規制基準の一つに「装置内で殺菌ができる機器」がある。生物兵器なら乾燥機を開けた時、飛び散る粉末に細菌が生きていては困るからだ。大川原化工機は「うちの機械は殺菌機能がない」と訴えたが、公安部は「乾燥機の温度が高温になって菌は死ぬ」として「届け出をせず不正輸出だ」と容疑を固めた。
公安部は噴霧器を動かして内部の温度を測定し、「装置内は90度を超えた。殺菌機能がある」との報告書を作成。しかし、実験で温度が上がりきらない箇所があったが、測定データから外していた。こうしたデタラメな捜査が行われ、内部で問題視する声が上がったという。
それでも強引な捜査は止まらなかった。中国向け不正輸出の摘発は国策となった経済安保に沿うお手柄だ。警視総監まで上がる案件になり、「今更、事件になりませんでした」では済まない状況になっていたという。
◆不当な捜査を覆した警察官の勇気
検察が「起訴取り消し」を決めた背景には、捜査内部に燻る異論があった。それが裏ルートで大川原化工機側に伝わり、公判前の証拠整理の中で「大川原化工機の噴霧乾燥機を不正輸出に問えない可能性がある」と検察は判断した。
こうした一連の流れを追ったのが、NHKスペシャル「冤罪の深層~警視庁公安部で何が~」(初回放送2023年9月24日)である。会社に届いた告発状を手がかりに、冤罪がいかに作られたか、公安部の内部証言からたどった。冤罪を跳ね返した大川原化工機の人々の頑張りは立派だったが、内部規律を踏み越えて、外と手を組み、不当な捜査を覆した警察官の勇気には頭が下がる。
警視庁公安部は今ごろ、外事一課の誰がどのように秘密を漏らしたか、犯人探しをしているだろう。2人の警部補は公の場で上司の不当な捜査を非難した。覚悟の上の告発である。
警視庁は冤罪捜査という大恥をかいたが、かろうじて「半ば未遂」に終わった。勇気ある告発者が内部にいたことで、冤罪被害者を出さずに済んだ。さらに冤罪を生み出す組織の腐敗を見つけることができた。自分の栄達のため、無辜(むこ)の市民を犯罪者に仕立て上げる警察官が少なからずいるという事実に、警視庁・警察庁はどう向き合うのか。捜査の秘密を外部に漏洩(ろうえい)した「心ある警察官」をどう処遇(あるいは処分)するのだろう。
人事を含め、メディアの監視が必要だろう。そして、警視に昇格した第五係長や、捜査を決済した上司たちの責任を明らかにしてほしい。警察は強大な権力を持つ。冤罪を素直に認め、世間に対し、なぜこんなことが起きたのか、説明責任がある。警察は内向きで閉鎖的な組織だ。今はやりの「第三者委員会報告書」が必要かも知れない。警察組織の正体を、しかと見届ける良い機会である。
※『山田厚史の地球は丸くない』過去の関連記事は以下の通り
第206回「町工場の冤罪はなぜ起きた―『経済安保』を語る前に」(2022年2月 11日付)
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