п»ї 安倍氏亡き後に金融正常化政策の誤り 修正に10年 『山田厚史の地球は丸くない』第259回 | ニュース屋台村

安倍氏亡き後に金融正常化
政策の誤り 修正に10年
『山田厚史の地球は丸くない』第259回

3月 22日 2024年 経済

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山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

「アベノミクス」とも呼ばれた「異次元の金融緩和」に終止符が打たれた。

日銀は3月19日の金融政策決定会合で、マイナス金利を解除。長期金利の上昇を力づくで抑えていたイールドカーブコントロールを止める。先進国の中央銀行ではどこもやってない「株の買い支え(上場投資信託の買い取り)」も打ち切った。

日銀の植田和男総裁は記者会見で「これからは普通の金融政策を行ってゆく」と述べた。これまでは「普通ではない金融政策」だったということである。

◆日本経済の底辺まだ温まっていない

高額回答が相次いだ春闘の賃上げが、政策転換のテコになった。連合のまとめでは、大手労組の賃上げ加重平均は5.28%。33年ぶりの高い伸び率。「物価と賃金の好循環」という言葉が聞かれるようになった。物価上昇で賃金が上がる、消費が刺激され内需が活発になる、企業の売り上げが増え、賃金上昇につながる、とう循環だ。

そんな好ましい循環が起こるのだろうか。

昨年の賃上げもバブル以来の高額回答、といわれた。大手の平均で3.8%。ところが23年は、終わってみると賃上げは物価の上昇に追いつけなかった。23年の実質賃金は、なんと2.5%のマイナス。

なぜこんなことになったのか。実は、政府統計によると、勤労者の所得は1.2%しか上がっていなかった。一方、消費者物価(CPI)は3.8%の上昇。差し引き2.5%のマイナスである。23年の春闘も「高額」とされた。それはひと握りの大企業のことで、中小零細企業は賃上げさえできず、全体でならすと、大手の賃上げの3分の1にも届かなかった。

中小企業の賃上げ交渉はこれから始まる。大手の高額回答に引っ張られ、去年より弾むのではないか、という見方もあるが、城南信用金庫の川本恭治理事長は「取引先の企業で賃上げできるところは半分ぐらいではないか」という。

城南信金は3月15~16日、東京と神奈川の取引先811社にアンケート調査をした。「賃上げする」は36.0%、「賃上げの予定はない」が30.9%、「検討中」が33.0%だった。

人手不足もあり賃上げしないと従業員を確保できない、という事情があるが、「賃上げの原資がない」という企業が多かった。

海外取引のある大手は円安で外貨収入が膨らみ、市場空前の利益を上げる企業が目立つ。これまでの儲けで内部留保も膨らんでいる。一発で満額回答、という企業が続出した。

だが、中小企業は売り先が国内市場というところが多く、資材や燃料などコストの高騰に苦しんでいる。特に厳しいのが飲食店だという。

「借金がかさんだコロナがやっと明けたと思ったら、食材や電気ガス代が上がり、補助金も終了ということで廃業に追い込まれる店舗が少なくない」と川本理事長はいう。

今年の春闘は経団連が岸田政権の要請を受け、高額回答をそろえたが、給与が増えるのは上場企業に代表される一部の企業。上層だけ熱い湯船のようなもので、底のほうは冷たいままだ。昨年のように勤労者全体の給与増額は大手の3分の1としたら、全体の賃上げは2%に達しない。これでは物価上昇に届かず、今年も実質賃金はマイナスになる可能性もある。

日銀は「物価と賃金の好循環が見えてきた」として政策転換に踏み切ったが、日本経済の底辺はまだ温まっていない。

◆異次元緩和で進んだ財政「覚醒剤中毒」症状

異次元の金融緩和は2013年4月、黒田東彦(はるひこ)日銀総裁が安倍晋三首相(当時)の要請に沿って断行した。「デフレは市場に出回る通貨が少ないから起こる。マネーを潤沢に供給すれば、インフレ期待が起こり、物価が上がる」という学説から始まった。「リフレ派」と呼ばれる系譜の考えで、学会では少数派だった。これに安倍氏が飛びついた。「輪転機をぐるぐる回して日銀に無制限にお札を刷ってもらう」と主張し、首相になると、賛同する黒田氏を総裁に据えた。

「通貨供給を2倍にして2年で物価を2%上げる」。黒田総裁はそう公約して、異次元の金融緩和を始めた。銀行が保有する国債を買い上げてマネーを市中に注入する。総裁は短期決戦を考えたようだ。年間50兆円もの資金を銀行に注ぎ込めば、これは劇薬だ。「インフレが起こる」と人々は感じ、瞬く間に物価は上がる、2%くらいになったら打ち止めして収束を、という作戦だった。

ところが、物価は上がらなかった。日銀がマネーを注入しても銀行融資は増えない。デフレで資金需要がない。国債を売って銀行が得た資金は、日銀に儲けた銀行それぞれの当座預金に留まったままだ。マネーを撒(ま)いても、カネはまた日銀に戻ってくる。物価は全く上がらない。政策の失敗は2年を待たず明らかになった。

「異次元緩和がインフレ期待を呼び起こす」という仮説が誤りとわかった時点で撤収すれば、今のようなひどい事態にはならなかったろう。日銀は570兆円もの国債を抱え込み、当座預金には530兆円の資金が貯まっている。急ピッチで金利を上げたら、国債の含み損が膨れ、当座預金の利払いは1%ごと5兆円余増加する。日銀がせっせと国債を吸い上げるので政府は「ほぼゼロ金利」で国債を発行できる。財政は借金まみれになり、国債残高は1100兆円に迫る。金利が上がったら利払い費が一気に膨張し、財政はにっちもさっちもいかなくなる。

異次元緩和が始まったころから、財務省や日銀の内部では危ぶむ声は少なからずあった。そして悲劇的な転期は2014年10月だった。

政策の失敗はあらわになっていたが、黒田総裁は「前進あるのみ」と異次元緩和を更に拡大した。「劇薬」の量を増やしたのだ。国債買い上げ額を年80兆円に拡大、株式市場テコ入れの上場投資信託の買い入れ額を倍にした。市場では「黒田バズーカ第二弾」などとはやされたが、一時のカラ騒ぎでしかなく、財政資金を国債に頼る「財政ファイナンス」は一段と進んだ。「財政は今や覚醒剤中毒」と言われる状況になった。

◆日銀、財務省「失敗した政策」やめられず

登場したのが、マイナス金利だ。銀行が当座預金にカネを貯めているから資金が世間に行き渡らない、ならば。当座預金に罰金(マイナス金利)を課せば、資金は出ていくだろう、という発想である。余分に積んだ預金に0.1%のマイナス1金利、1兆円で10億円の罰金という前代未聞の非常識である。

長期金利も抑え込む。金利が上がりそうになった日銀は市場の指標になる国債を買い支えた。株も同様である。無理な異次元緩和のほころびを、日銀は市場介入で封じ込めようと躍起になった。

植田総裁は、これまでの異次元緩和は「役割を果たした」から「普通の金融政策に戻す」と言ったが、立場上の発言である。本心は、「これまでの異次元緩和は誤りだった。やっと普通の金融政策に戻すことができた」だろう。

日銀でも財務省でも、実務者は「失敗した政策」をやめられないことを危惧(きぐ)していた。異次元緩和を停止することはアベノミクスを否定することに他ならない。日銀にとどまらず政治責任に直結する。2015年10月には黒田総裁も「誤り」に気づいていたと思う。「やめます」を決断でなかったのは、自分の失敗を認めるだけでなく、安倍首相の責任問題になることを恐れたのだろう。2018年の黒田総裁再任も同じ。成果が出ない総裁は退任が普通だが、ここで黒田氏が辞めればアベノミクス失敗が明らかになる。

◆積み上がった膨大な国債をどうする

岸田首相は総裁選で「新しい資本主義」を唱え、アベノミクスと距離を置いた。経済政策のブレーンともいえる参議院議員の宮澤洋一氏(自民党税制調査会長)は元財務官僚で日銀内部に精通し、異次元緩和のやめ時を探っていた。だが、弱小派閥の宏池会は自民党内で主導権は取れない。最大派閥の安倍派は「アベノミクス継承」を求めた。

状況が変わったのは2022年7月、参院選の最中に安倍元首相が凶弾に倒れたことだ。後ろ盾を失った黒田総裁の力は急速に衰え、「面従腹背」してきた雨宮正佳副総裁や内田真一政策担当理事が主導権を握るようになった。そして植田総裁の担ぎ出しへと進む。

植田氏は「金融正常化」を唱えていた。声高に自説を述べる人物ではなく、臆病と思えるほど慎重で、急速な利上げが景気の腰を折ることを心配する。日銀総裁人事は政治的案件である。安倍氏が生きていたら、アベノミクスに懐疑的な植田総裁の目はなかっただろう。

岸田政権は、安倍氏亡き後、バラバラになった安倍派の足並みの乱れに乗じて、総裁人事を敢行した。植田総裁の任務は「異次元緩和に終止符を打つこと」であることは誰の目にも明らかだった。春闘の高額回答は千載一遇のチャンスだった。賃金が上がる。これを逃して政策転換はあり得ない。

政策転換が発表された日、安倍元首相が顧問を務めていた党財政政策検討本部(本部長・西田昌司参議院議員)は「次期尚早」というコメントを出した。安倍氏がいなくなったことで、岸田政権も日銀も金融政策の自由を手にした。

経団連会長の十倉雅和氏は「カンフル剤とぬるま湯の時代が終わった」と述べた。しかし、誤った政策を正すのに10年かかった。この間に積み上がった膨大な国債は、間違いなく日本経済の舵(かじ)取りを難しくするだろう。

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