山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
およそ政治の表舞台に似つかわしくない人物が、「学歴詐称」で揺れる「小池劇場」に割って入った。朝堂院大覚(ちょうどういん・だいかく)氏。元ナミレイ会長で武道家でもあるが、石油権益や途上国の開発案の裏で名前が取りざたされ、「最後のフィクサー」とも評される怪しげな人である。6月11日に東京都庁クラブで記者会見した。小池百合子氏が一家でカイロに渡った経緯や、カイロ大学での進級試験に落第したことなどを語り、「『カイロ大学中退』と言えばよかった。卒業はウソです」と語った。
ほとんどの大手メディアは無視したが、会見の模様はユーチューブにアップロードされ、小池都知事の学歴詐称疑惑を注視する人たちの間では、「反論しようがない証言」などと言われている。
◆「小さなウソ」が「大ウソ」に
「怪しげな人物」が登場するのは、小池の父親が「怪しげな商売」をしていたからか。一家がカイロに移住したのも、そんな商売が破綻(はたん)したことが発端になった。
朝堂院氏によると「百合子の父親勇次郎さんは、中東の油を大協石油に輸入させ、関西電力に売っていた。商売が失敗し、会社が倒産したので、『エジプトに行け』と私が言った」という。
同氏は、勇次郎さんに利権絡みの商売を任せ、資金支援など後ろ盾になっていた、という。
「百合子は父親が現地のツテを頼ってカイロ大学に2年から編入させたが、アラビア語ができず、3年への進級試験に落ちた。そのあと私のところに空手をやっていた日本の学生と一緒にやってきて、『空手雑誌を発行したい』というので応援したが、1年でやめてしまった。その後、日本に戻り、私の事務所でしばらく手伝いをしてもらった」
小池家とのつながりを明らかにし、「政治家がウソをつくことは許せない」と会見に至った動機を語った。
こうしたストーリーは『女帝 小池百合子』(石井妙子著、文藝春秋、2020年)にも書かれており、この本にも朝堂院氏は登場するが、本人が世間に名乗り出て証言するのは初めてだ。
「カイロ大学首席卒業」の肩書を掲げ、メディアを足場に政界へと転身した小池氏にとっての「触れられたくない過去の話」だろうが、東京都知事ともなれば、世間でよくある「小さなウソ」では済まなくなった。女性のエジプト留学がまだ珍しかったころ、タレントとして使った盛(も)り過ぎの宣伝文句は、政治家に転身し、閣僚、都知事へと大化けする中で「大ウソ」になってしまったのか。
◆「都民第一」から「利権優先」へ
今となっては「危機管理の誤り」というしかない。政治家になる前に「カイロ大学首席卒業は誤りでした」「中退です」と訂正しておけば済んだことかもしれない。立候補書類の学歴欄に「カイロ大学卒業」と書き続けたことで、「政治家による学歴詐称」の疑いが指摘されるようになった。
問題はその後だ。「ウソ」を隠すため「隠蔽(いんぺい)工作」を側近にやらせた疑いが濃厚である。その顛末(てんまつ)が月刊文藝春秋5月号に載った「私は学歴詐称工作に加担してしまった」という元側近・小島敏郎弁護士の寄稿に書かれている。
カイロ大学に手を回して「卒業した」という声明を出してもらう工作をし、首尾よく駐日エジプト大使館のホームページに掲載された。前回の都知事選はこれで乗り切った。今回は「工作に加担」してしまった小島氏による内部告発が「小池3選」を揺さぶっている。
小島氏の離反には深い根がある。「学歴詐称」にとどまらない政治家小池百合子への疑問や懸念、一言でいえば「政治家としての変節」を問題にしている。小池氏は2016年、都知事に立候補した時、掲げたのは「自民党都政の刷新」だった。都庁は「利権絡みの伏魔殿」だと、開かれた都政・都民目線の政治を訴えた。
ところが再選されたころから雲行きは変わり、今回の都知事選で自民党は早々と「小池支持」を打ち出した。江東区長選、八王子市長選、衆院東京15区補欠選挙でも小池知事は自民党都連会長の萩生田光一氏と息の合ったコンビを演じた。
小島氏は元環境省の官僚で、小池氏が環境大臣に就任した時、地球環境審議官(次官級)として仕え、環境政策のブレーンになった。小池氏が都政に転じ、「都民ファーストの会」を立ち上げた時、都議団の政務調査会事務局長になった。いわば知事の知恵袋だったが、最近は小池都政が「都民第一」から大きくずれ、自民党都政のころに戻ったような「変節」を感じていたという。
みどりをシンボルカラーにして環境に配慮した都政を訴えながら、神宮外苑の再開発で大手資本と組み、環境破壊につながるみどりの伐採を決めるなど、「利権優先」とも見えるような手法が目立つ。
築地市場の豊洲移転に「反対」のパフォーマンスを取りながら果たせず、跡地となった築地にプロ野球読売巨人軍のドーム球場を造る再開発を進めている。神宮も築地も三井不動産が主導する事業だが、都民が知ったのは計画が固まった後である。
◆かつての盟友に見切りをつけられた現在地
小池氏は、朝堂院氏の事務所で働いていたころ、日本を訪れたエジプトのサダト大統領のアテンドをしたことでメディアの目にとまり、日本テレビで経済評論家の竹村健一氏(故人)の番組でアシスタントになる。ここを足場にテレビ界を遊泳し、テレビ東京の看板番組「ワールド・ニュース・サテライト」のMC(司会進行役)に上り詰めた。「カイロ大学首席卒業」が名刺代わりだった。
目をつけたが、日本新党を立ち上げた細川護熙。小池の新鮮なイメージを買って参議院に送り出す。細川政権が瓦解(がかい)すると、実力者・小沢一郎に乗り換え、新進党、保守党とわたり歩き、自民党が政権を取ると、小泉純一郎に誘われて入党し、衆院の郵政選挙では東京豊島区に「刺客」として送り込まれた。
力のある者に常に寄り添い、挑戦者のイメージを保ち、売り込みの上手な政治家といわれてきた。
「女性首相に最短距離」といわれながら、自民党を離党して都政に打って出て、都民の喝采(かっさい)を浴びた。いま、その政治姿勢はどうなったのか。身近で支えてきた小島の失望は象徴的だろう。
記者会見した朝堂院氏も、かつては「親分」「庇護(ひご)者」という存在で、いわば仲間内だった。かつての盟友に見切りをつけられるところに小池百合子の現在地が窺(うかが)われる。
◆利権と裏人脈に支えられたヒロイン
カイロ時代、留学生仲間として一緒に暮らした北原百代(ももよ)さんは、小池が苦労していたころを知っている。口癖のように、「お父さんが来年からカイロ大学2年生に編入できるよう取り計らってくれているの」と言っていたが、編入後は授業についていけず落第、帰国後はウソにまみれた『振り袖、ピラミッドを登る』(講談社、1982年)を出版し、上昇気流に乗った。
ウソをつき続けることを「今のあなたの立場では許されないことだと思う。事実を知りながら黙っている私も許されないはず」と、当時の暮らしぶりを文藝春秋に書き綴(つづ)った。
利権と裏人脈に支えられたヒロインが、小さなウソを足場にテレビ業界に居場所を見つけ、政治の舞台に飛躍する。権力者をわたり歩き、首都の知事の座を射止め、3選に挑む。だが、「小池百合子物語」は最終章を迎えた。
彼女の持ち味である挑戦者としての「新鮮さ」が見えない。保守でありながら、澱(よど)んだ自民党支配に飽き足らない有権者が抱く「小池さんなら新風を起こしてくれる」という期待感はもうないのではないか。かつての友人、側近、後ろ盾が次々に離れていった。
「カイロ大学が卒業を認めている」というエジプトからのお墨付きだけが、政治家小池百合子を支えている。
都知事選が告示され、立候補の書類が選管に提出された時、「カイロ大学卒業」と書かれていたら、おそらく「学歴詐称」の告発がなされるだろう。その時、メディアはどう報じ、どんな騒ぎになるのか。最後は有権者が判断することだ。(文中一部敬称略)
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