山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
中国軍の偵察機が日本の領空に入ったことが大騒ぎになっている。
「これ、マジで戦争一歩手前だよ! 政府は重要性がわかっているのか!!」。怒りを込めてXに書き込んだのは、作家の百田尚樹日本保守党代表。玉木雄一郎国民民主党代表は、自民党が総裁選をやっていることを挙げ、「権力の移行時期に領空を犯す行為を仕掛けるのは、偶発的行為ではなく、計画的かつ戦略的な行為。中国には厳重に抗議する」と語った。
領空侵犯が起きたのは8月26日。九州・長崎県西方の空域に中国軍の情報収集機「Y9」が飛来、午前11時29分から2分間、日本の領空に侵入した。その後しばらく周辺を旋回し午後1時15分、中国方向に飛び去った。緊急発進(スクランブル)した航空自衛隊の戦闘機が中国機に警告を発したが、応答がないまま領空に入ったという。
◆大騒ぎする日本の一部メディア
政府は「重大な主権侵害」として岡野正敬外務次官が中国の施泳駐日臨時代理大使を呼び「極めて厳重な抗議」を行った。中国側は「関係部署が調査確認している」と回答。その後の中国側の対応を見ると「領空侵犯をする意図はない。日本側の関係部署と調整中」と、大ごとにせず、ことを収めようという態度がうかがわれる。
一方、日本ではメディアが連日、大展開している。8月27日付の新聞では読売と産経が1面トップで報じ、産経は翌日も1面トップで。読売は3面でも「台湾緊迫浮き彫り、異例の事態、監視能力偵察か」と、今回の事態を台湾有事と結びつけて報じた。産経は翌日の1面トップで「中国機領空侵犯 意図的か」と木原稔防衛相の記者会見を報じた。
外務省は「中国軍機がなぜ領空侵犯をしたのか、測りかねる」と慎重な態度を取っていたが、メディアは大騒ぎとなった。テレビでも「異例の事態」が大きく取り上げられ、「単なるミスということはあり得ない」「中国による意図ある侵犯だ」という自衛隊OBのコメントが紹介され、「何をするか分からない中国がまた日本に仕掛けてきた」という空気が広がった。女性アナウンサーが「戦争を思い起こすニュースを聞くと不安に思います。子供を持つ身として子供世代に平和な社会を受け継ぎたいのですが、自分に何ができるのかなあと……」(日テレNEWS)などとコメントする場面もあった。
中国側に何らかの意図があったことは確かだろう。わざわざ九州沖まで飛んできて旋回し、スクランブルを掛けてきた自衛隊機を無視して日本の領空に入り、大ごとにならないよう2分後には出て、またぐるぐる旋回して立ち去った。複数の乗員が乗っている偵察機が、自分の位置が分からないわけはない。軍事専門家が「意図的」と見るのは妥当だろう。
問題は、その意図が、どのレベルの判断だったのか、である。現場の部隊による身勝手な情報収集か、日本の反応を探る挑発か、外交メッセージを込め政府が関与したものなのか、そのあたりの見立てが決定的に重要になる。
◆中国の意図がつかめない日本外務省
日本ではハチの巣を突っついたような大騒ぎになっているが、領空・領海を巡る「挑発合戦」は珍しいことではない。日本では、中国が仕掛けると「中国はこんな無法をやる国だ」という報道やメッセージが多発するが、日本だってやっていると分かっている人はどれだけいるだろうか。
“事件”は7月4日、中国・浙江省沖で起きた。海上自衛隊の護衛艦「すずつき」が中国の領海に侵入、中国側から「厳重抗議」を受けた。領海は通り抜ける船舶に対しては無害航行という権利が認められ得ているが、中国は4、5の両日、この海域で実弾演習を行い、航行禁止区域を設定していた。一般の船舶は「入ってはダメ」という海域に、日本の自衛艦が侵入したことを「重大な領海侵犯」と抗議した。
日本政府は「自衛隊の運用に関する事柄であることから答えを差し控える」(林芳正官房長官)と領海侵犯事実を曖昧(あいまい)にしたが、最終的には中国側の指摘を認め、「護衛艦の技術的ミス」として決着が図られた。
実弾演習が行われている海域にわざわざ出かけ、護衛艦が自分の位置が分からなかった、というなら、それこそ問題だ。中国の情報収集機「Y6」同様、意図的侵入だったのだろう。これがどのレベルでなされたか。護衛艦の判断なのか、海上自衛隊の幕僚本部も了解していたことなのか。そこは明らかにされていない。相手国から違法を問われれば「ミスだった」と逃げるしかない。お互いに分かりながらも、矛を収めるのが外交である。
緊張をはらむ国家が対峙(たいじ)すれば、最前線で「小競り合い」や「挑発行為」が起こるのは、よくあることだ。問題は、起きた時だ。戦争の発火点にならないよう、冷静な対応が欠かせない。その際、重要なことは「事件の背後にある相手国の本音」をつかむこと。意図的な行為なら、誰が(どのレベルで)決断したのか。その行為について政権中央はどう考えているのか。「よくやった」と評価しているのか、「とんでもないこと」と怒っているのか、その中間か。見定める「情報収集」が、安全保障に決定的に重要になる。
今回の領空侵犯で「危うさ」を感じたのはこの一点だ。日本政府は中国の意図を「測りかねる」と戸惑っていた。駐日臨時代理大使を呼んで、問い詰めれば「調査中。意図はない」と相手は答えるしかないだろう。外交とは、相手国の本音を探り、的確な着地点を見いだすことだ。中国外交は、「チャイナスクール」と呼ばれる長年の人間関係をもつ外交官がいたはずだ。局長から留学生まで様々なレベルでそれぞれが対応相手(カウンターパート)を持っている。そうした重層的な窓口を駆使して情報を取る。それが外交のはずだ。
領空侵犯を「測りかねる」という事態は、両国のパイプが目詰まりしたのか、機能しなくなっている現実をあぶり出した。現場レベルの挑発行動か、党中央が関与する外交メッセージなのか、で日本側の対処は大きく変わる。いまの外務省は大事な時に、中国の意図をつかめない、ということだ。
◆疑心暗鬼で小競り合いが戦争の発火点に
「安倍政権の間、チャイナスクールは力を失い、アジアの緊張緩和に重点を置く人脈は外され、アメリカに追随する対中強硬派が主要ポストを占めるようになった」。外務省の内部を知る人は言う。
自民党内部でも中国とパイプを持つ議員は少なくなった。「親中派」と見られることを嫌う傾向が強まっている。今回、二階俊博元自民党幹事長が超党派の議員団を率いて訪中したが、引退を表明した二階氏のほかに中国の窓口は自民党にはない、という現実がある。
背景には、中国に対する険悪な世論がある。読売や産経、テレビ各局が大々的に報じるのも「嫌中感情」への迎合があるのでないか。政府やメディアから日常的に発せられる情報は「軍備増強を急ぐ中国」「力で現状変更を企てる中国」「台湾に武力侵攻を諦めない中国」というものばかりだ。
そういう中国に対抗して日本は、敵基地攻撃の能力を備え、対中ミサイル網を整備し、防衛予算を増額、米軍と自衛隊を一体運用する。日本は「中国は危ない国だからやむを得ない措置」としているが、中国からみればどうだろう。
日本は専守防衛で、自分から攻撃する国ではないと思っていたが、中国に打ち込むミサイルを配備し、米国と一緒に中国を攻撃する国になろうとしている、そのために軍事予算を増やし、自衛隊は米軍の指揮下に入る。警戒しなければ……となるだろう。
お互い疑心暗鬼が高まると、ちょっとした小競り合いが戦争の発火点になる。恐ろしいのは民意の暴走だ。「戦争をあおるのは民衆」ともいわれる。中国でも、経済苦境がはけ口のない憤懣(ふんまん)として民衆にのしかかっている。日本はどうか。こういう時こそ、メディアの報道が問われる。部数を意識して戦争をあおった過去を、もう一度反省する良い機会ではないだろうか。
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