山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
米国の大統領選挙は、トランプが「接戦州」を全て取り、圧勝した。4年にわたる民主党政権への信任投票だった。充満する不安・不満・いら立ちが噴き出し、「取り残され感」を抱く人々に届く言葉をトランプは持っていた。
トランプは勝った。だが、この希代の政治家は「人々の味方」だろうか。期待を寄せた米国の有権者の判断が、問われることになる。
米国有権者の判断は、世界の人々にも影響が及ぶ。日米関係も例外ではない。「自国第一主義」に沿った身勝手な要求が突きつけられることが十分予想される。
日本は、これまでのように「日米関係に配慮し」付き従っていくのか。過剰な要求には応じない「緊張感を持った外交」に転ずるか。選択を迫られることになるだろう。
◆平和的手段で決着、不幸中の幸い
日本なら一発でアウトのようなスキャンダルをいくつも抱え、刑事被告人であり、人格的高潔さに疑問符が付く人物をアメリカはリーダーに選んだ。
有権者が一票を投じたのは、悪評を上回る期待を寄せていたからだ。自分を取り巻く社会に希望が持てない。食料品やガソリンなど生活物資はどんどん値上がりし、暮らしは苦しくなっている。安い輸入品に押されて地域の産業は衰退、職場でいつレイオフが始まるか気がかりだ。IT産業の勃興やAI(人工知能)がらみの新ビジネスが喧伝(けんでん)されるが、身の回りには時代から取り残された産業しかない。羽振りの良かったアメリカはどこへ行ったのか――。
「メイク・アメリカ・グレート・アゲイン」。明快な呪文が憤懣(ふんまん)を抱える人に刺さった。
1%の金持ちが90%の富を支配する「格差」があり、貧困化と富の集中が進む。人種や境遇でスタートラインが違う苛烈(かれつ)な競争社会は、極めて稀(まれ)な「アメリカンドリームの成功者」を生む半面、大多数の「取り残された人々」を作り出している。
ワシントンやニューヨークで政治・経済を語る人は自分たちと縁のない上層の人々で、こうした支配層がアメリカを食い物にしている、と遠くにいる人たちは感じている。伝統的な製造業が集まるペンシルベニアとワシントンは距離的には遠くはないが、別世界だ。
トランプは連邦政府やメディアを罵(ののし)り、敵意を煽(あお)る。「投票が盗まれた」「陥れるため罪がでっちあげられた」「メディアはウソばかり」。聞きたい声だけに耳を傾ける人々から喝采(かっさい)を受けた。
分断されたアメリカは「革命前夜」の気配が広がる。民衆が暴力に訴える前に、投票という平和的手段で決着がついたのは不幸中の幸いだった。
◆アメリカ資本主義が行き着いた先
トランプが負けたら、投票結果を受け入れない勢力が内乱を起こす、と本気で心配されるほど、事態は煮詰まっていた。
こうした状況はトランプが作り出したというより、アメリカの資本主義が行き着いた先である。資本は利潤を求めて自己増殖し、非効率を切り捨てる。
イノベーションについていけない敗者に向かって「4年前に比べて経済は悪くなった。民主党政権のせいだ」「移民が仕事を奪い社会を混乱させている。副大統領のハリスがやっているからだ」。分かりやすいスピーチが喝采を浴びた。
トランプは人々の怒りに火をつけ選挙に勝った。では、怒りを生み出した社会構造を変えることはできるのか。
掲げた処方箋(せん)は「アメリカ・ファースト=自国第一主義」である。
世界秩序の担い手であることを辞め、協力の枠組みから手を引く。温室効果ガスの削減を目指すパリ協定、途上国を含め保健・医療を支えるWHO(世界保健機関)、大西洋を挟んで北米大陸のアメリカとカナダ、それに英国やフランス、ドイツなどの欧州の国々が結束して安全保障を担うNATO(北大西洋条約機構)などから離脱することも辞さない。
国内では、輸入品に一律10~20%の関税を掛ける(中国製品には60%)。国内産業を守るためというが、世界一の経済大国が高関税の障壁を立てる信じがたい政策である。自由貿易の旗を振り、世界のあちこちで市場をこじ開けてきた米国が露骨な保護主義に転ずる。アメリカにとっても愚策である。
人々はインフレに喘(あえ)いでいる。関税が上乗せされれば物価はさらに上昇する。関税障壁に守られた産業は自分の足で立てないひ弱な企業を増やすことは歴史が示している。
◆日本いつまで「イエスマン」?
日米関係はどうなるのか。関税の強化という制裁を掲げてトランプは交渉を仕掛けてくるだろう。だが、度重なる貿易交渉で、日本の市場開放は、一部の農産物を除き、かなり進んでいる。最大の懸念は、在日米軍基地経費の「負担増」だ。駐留経費は日本が「思いやり予算」として軍労働者の人件費など年間7000億円余りを拠出し、世界でも高水準の負担を行っている。トランプは米軍を維持する経費を抑えるため日本に負担増を求める構えだ。
米軍の再編はこれまで何度も検討され、沖縄の基地をグアムに統合する案もあったが、日本側が引き留めた経緯がある。沖縄に軍事的空白が生ずると中国に付け入られかねない、という懸念が日本側にあるという。
中国に対する抑止力を弱めるようなことを米軍がするとは思えないが、日本が駐留予算を分担してでも米軍に国内にとどまってほしい、と言っているとしたらトランプにとって好都合である。
トランプ登場を待つまでもなく、日米の最大の懸案は「日米同盟=日米安保体制」をどうするかだ。安倍・トランプ時代に、日本は「兵器の爆買い」を飲まされ、その支払いのため防衛予算を増額することになった。GDP(国内総生産)の1%以内という縛りを外し、NATO並みの2%という目標を設定したのは、岸田・バイデン会談だが、布石はトランプ時代に打たれていた。
「日米同盟強化」を謳(うた)い文句に日本への要求は一段と高まることが予想されるが、日本はいつまで「イエスマン」でいるのか。
戦争で負けた日本は、アメリカを民主主義のお手本として崇(あが)め、アメリカ市場を最大の売り先として成長してきた。そのアメリカは民主主義も資本主義もかつての輝きを失っている。
なりふり構わない自国第一主義に追従することが日本の国益にかなっているか、かなり怪しい状況になった。
◆「日米安保体制」再検討する糸口に
自民党政権は、米国を後ろ盾に持つことが、党内政治にとっても必要だった。野党と競い合うには自民党の結束が欠かせない。党内に安定した足場を構えるには米国に気に入られる政権でなくてはならない、という構造である。
自民党に限らず、外務省をはじめとする霞が関の省庁も、米国と強い絆をもった官僚が出世コースを歩むのが一般的だ。
だが、本家本元がトランプを生み出し、自国利益だけを全面に出すようになれば、付き合い方を変えなければならないだろう。
ひたすらアメリカの歓心を買うことに務めてきた「安倍的な政治」は、今回の総選挙で後退した。石破首相は、本音では「アメリカと対等な外交」をめざしているようだ。外交は首相が代わっても簡単には変えられないが、トランプが新たな要求をするなら、日米同盟のあり方を議論するテーブルができるだろう。石破が総裁選で掲げた「日米地位協定の見直し」は、安保体制に深く関わるものだ。
明治維新の後、日本政府は江戸幕府が欧米の先進国と結んだ「不平等条約」の始末を難儀しながらも達成した。
戦後、占領を経てアメリカが日本に影響を残した「日米安保体制」を再検討する糸口は、トランプの復活にあるかもしれない。世界の軍事バランスも経済力の重心も、大きく動いている。
卑屈なほどアメリカに従属する日本の政治を考え直す機会をトランプは与えてくれるかもしれない。(文中一部敬称略)
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