山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
よもや「当て逃げ」の容疑者にされるとは、思いもしなかった。
咳(せき)が止まらず、熱を測ると37度2分。クルマで5分ほどのショッピングセンターにある診療所に出かけた。「インフルエンザの疑いあり。明日、コロナ感染の疑いも含め検査をしましょう」
クリニックを出たのは正午過ぎ。ふと携帯に目をやると、見知らぬ電話番号が着信履歴に残っていた。コールバックすると「駅前交番のHというものですが、うかがいたいことがありまして」。訝(いぶか)しく思いながら、「ご用件は?」
「『習志野1011』のおクルマはご主人のものですか?」
「その通りです」
「お隣に止めてあったワゴン車が擦られたようなので、来ていただけますか?」
疑いをかけられているとは知らず、二つ返事で駐車場に向かった。
◆「当て逃げ」の嫌疑
そのクルマなら覚えがある。紫がかったメタリックのステップワゴン。娘のワゴンと同じ色だった。「買い物に来たのかな」とナンバーを確かめたほどだ。バンパーの傷もその時、気がついた。
駐車場に着くと、40歳くらいか、がっしりした体付きのお巡りさんが立っていた。
「おたくのクルマがこすったのではないですか?」といきなり、問いただしてきた。
「冗談じゃない。擦ったら、そのまま放置しませんよ。見ればわかると思います。ウチの車にはそんなところに傷がない」
警官は、私の言い分を認めず
「傷はあります。地上15センチのところに擦り傷がある。ワゴン車も同じ高さのところに傷がある」
確かに。ウチのフィット(ホンダ)のバンパーは傷だらけだ。信州で山道を走ることも多く、あちこち擦っている。しかし、みんな古傷だ。傷口を見れば分かる。
「古い傷を今日の事故に結びつけるのは無理がありますね」と呆(あき)れていると
「だったら、この傷がいつできたものか説明してください。傷がある、ということは事故があったということです。事故届を出したのですか。届を出していないということはルール違反です」
いつの事故で傷がついたかを証明できなければ、今日の容疑は晴れない、という理屈である。
「縁石にぶつけようと、壁だろうと、所有者はいます。事故届を出さなければいけない。出していなかったあなたは違反を犯している」
バンパーの傷くらいで、そんなに話を広げるなよ、と思いながら、この警官は、ともかく事故の責任を私に負わそうとしていることが分かった。真実は何か、より、事故の責任処理を急いでいる。
盛んに「当て逃げ」ということばを使う。
「当て逃げ、はないでしょう。ウチのフィットは、ずっとここに止めてある」
「あなたはやっていない、と言うが、被害者にとっては当て逃げです。あなたのクルマの傷がついた時、事故届を出していれば、無関係を証明できますが、届を出していない。やったのは自分でないと、どうやって証明するのですか」
警察が事実を調べるのではなく、疑いをかけ、文句あるなら無実を証明しろ、というのである。
◆デタラメを並べる警察官
ステップワゴンの傷は、地上15センチのところだけではない。50〜60センチのところのも4×6センチくらいの擦り傷がある。
「これはどう見てもウチのクルマの傷ではありません。高さが違いすぎます」
いい加減にしてくれ、という思いで指摘したが
「クルマの傷は、事故の衝撃で高さが変わることはよくある。ぶつかった時、これくらい動いてもおかしくはない」
あまりにもデタラメを並べるので、「それなら浦安署(千葉県)の交通係に来てもらって、きちんと実況見分してもらいましょう」と提案すると
「そんな面倒なことをする必要はない。私は警察官としての経験から、このような事故はよく見ている。あなたのクルマが当たったと考えることは不自然ではない」
その根拠を問いただしても「こういう事故は珍しいことではない。私は長く警官をやっているので分かる」という一点張りだ。
私がブチ切れたのは次の一言だった。
「被害者の方も、大事(おおごと)にする気はないようです。保険を使えば済む。私どももことを荒立てるつもりはない」
私がやったと認めて事故届を出せば、物損事故として済ます。私の保険で修理すれば、いいじゃないか、ということである。
「私が事故を起こした、と認めることになります。やってもいないことを認めさせるなんて冤罪(えんざい)をつくるつもりですか」
インフルエンザが疑われ、鼻水を垂らし咳をゴンゴンしながら「無実」を主張しても、警察は取り合わない。「諦めて、保険を使え」というのである。
◆実況見分で晴れた嫌疑
そうまで言うなら、この顛末(てんまつ)を浦安警察署長と千葉県警本部長に手紙を書いて訴える。初めから容疑者を決めつけ、不都合な状況証拠を無視して、捜査協力者を被疑者扱いにする。真実に向き合わず、無実の市民を犯罪者にする警官がいる、と問題にする、と訴えた。
「私は、警察官だ、これまでの経験から事故のことはよーく知っている」と言うので、「私だって仕事で交通事故のことや警察組織のことはよーく知っている」と言い返した。
「どんな仕事をしていたんだ」と聞くので、「新聞記者だ。千葉県警の担当だったこともある」と言うと、態度が変わった。
交番の警官の一存で事故を処理するのは納得できない、「当て逃げ」というなら署の交通係に来てもらって実況見分をお願いしたい、と主張した。ダメだというなら直訴する、と訴えると、しぶしぶ署の交通課に電話した。
「忙しいから、どれだけ時間がかかるか、分からないぞ」
来るまでここで待つ、と伝えた。30分ほどで2人の警察官がやって来た。
事故車両と私のフィットを入念に調べ、「当たったのは、このフィットではない」と判定した。
理由は、①フィットについているキズと、ステップワゴンの擦り傷は高さが違い、衝突したと根拠つけることは困難②ワゴン車の擦り傷には白色の塗料がこびりついており、当たったのは「白いクルマ」で、ブルーのフィットではない――。
極めて明快である。
「私への嫌疑は晴れたのですね」と確認すると、交通係の警官は「その通りです」と答えた。
現場には、件(くだん)の交番のお巡りさんもいたが、「済まなかった」の一言もなく、知らんぷりだった。
こうした誤認捜査は、あちこちで起きているのではないか。
立場の弱い市民は、警官に逆らわず、諦めて保険で処理しよう、と思うかもしれない。
まさか「交番のお巡りさん」に冤罪を着せられるとは、思いもよらなかった。交番は、日本独特の警察組織で、市民に安全と安心を提供するサービスとして、世界でも注目されている。
交番を担う「外勤警察」は市民の暮らしに入って、困りごとや防犯パトロール、小さな事故・違反などの処理を担う。捜査当局というより「市民の守り人」というイメージを私は持っていた。
それが、「オレは警察官だ」「言うことを聞け」と言わんばかりの態度で「やってもいない罪」を認めるよう迫る。交番のお巡りさんが、権威・権力を振り回し、自分の都合のいいように事故処理をでっち上げようとしたのである。
インフルエンザの悪寒を覚えながえら、3時間も吹きさらしの駐車場で「無実」を訴えることになろうとは思わなかった。
◆無実の人を罪に陥れかねない警察権力
自白を強要され、「認めた」ばかりに死刑を宣告された袴田巌(はかまだ・いわお)さんの事件で、世間は冤罪の恐ろしさを嫌というほど知った。
殺人・死刑という大事ばかりが「冤罪」ではない。今回、よく分かった。
権力は、使いようによって、無実の人を罪に陥れる。市民の味方のような交番のお巡りさんまでが「警察に逆らっても無駄だ」「保険で払えば済むことだ。もう諦めろ」と迫った。
交番ポリスでも、見込み捜査が外れ、不都合が起こると、小さな権力を振りかざして、ことの正当化を図る。権力の身内だからできることだ。
私が被った「冤罪被害」の顛末を、果たして浦安署や千葉県警は認識しているだろうか。交番の「失敗事例」としてきちんと向き合ってほしい。警察組織を健全にするため、真摯(しんし)な検証を願っている。
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