山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
国会審議の雰囲気が大きく変わってきた。衆議院で少数与党となった自民・公明は、野党の協力なしに国会を乗り切れない。ヨ党・ヤ党の中間にあるユ党を抱き込んで予算案を通そうと躍起になっている。自民・公明が安定多数を占めていたころは、野党がいくら騒ごうと、最後は数の力で押し切ることができた。そこには議論や妥協の余地はなかった。衆院の勢力がガラリと変わり、高飛車な国会運営はもうできなくなっている。
◆拙速とも思える荒っぽいやり方
わかりやすい変化が「高額療養費の負担増」をめぐる一連の動きだ。
日本は、誰もが安心して医療が受けられる「国民皆保険」がある。それでも入院や手術などで多額の支払いが発生する場合がある。家計を圧迫しかねない事態を防ぐため、一定額を超えた療養費は、健康保険が埋め合わせる仕組みが用意されている。「高額療養費の負担増」は、この「一定額(上限)」を引き上げ、患者の自己負担を増やす政策だ。
健保財政にとっては膨張圧力が減るが、患者には医療費負担が増え、家計が圧迫される。長期療養を必要としている患者にとって死活問題だ。
国会で、がんを患った経験のある酒井なつみ衆院議員(立憲民主)は「患者や家族が追い詰められています。2人に1人ががんになる時代、それでも政府は負担増を進めるのでしょうか?」と涙ながらに訴えた。
政府は「上限額引き上げは有識者による審議会で4回も議論した」と慎重な検討を強調したが、患者など当事者の声を聞かないまま、1か月で慌ただしく決まったことが国会審議で明らかになった。石破首相は「当事者の声を真摯(しんし)に受け止め、提案の修正を含め対応する」と制度の手直しを表明した。
野党の追及で制度に修正が加えられる。国会審議に変化が出てきたのは確かだ。しかし、なぜ拙速とも思える荒っぽいやり方で、政府は高額療養費の負担増を強行しようとしたのか。
◆見えてくる陳腐な財政構造
患者の命綱を断つような負担増の遠因を探ると「少子化対策」に行き着く。「とも喰(ぐ)い予算」ともいえる陳腐な財政構造が見えてくる。では、高額療養費と少子化対策は、どう結びついているのか。
発端は、2023年12月に閣議決定された「こども未来戦略」である。出生率が年々下がり、日本は子どもを産めない国になった、と問題になった。岸田内閣は、出産・育児・保育など含めた総合的な子育て対策が迫られ、打ち出したのが「こども未来戦略」だった。
民主党政権が手がけ、安倍政権が廃止した児童手当が復活し、野党が要求してきた学業支援などが盛られ、少子化対策は年3.6兆円規模(28年度までに)の事業となった。
戦略を支えるには「安定財源の確保」として三本柱が決まった。
①公的医療保険に上乗せし徴収する支援金制度約1兆円②社会保障の歳出抑制で約1.1兆円③予算の組み替えで約1.5兆円。
①は事実上の「増税」である。②の歳出削減は「とも喰い」を誘発する。というのは、岸田内閣は「社会保障で新たに必要となる財源は、社会保障で行われている施策を見直すことでひねり出す」という原則を掲げていた。「社会保障と税の一体改革」とも称されるもので、巨額の財政支出が必要とされる社会保障費の無駄を削ることで、社会保障を充実させる。事業として拡大するには、他所の予算を食いちぎるという「とも喰い」が必要になる。
3.6兆円の財源確保の中で「歳出削減」は1.1兆円。5年で達成するには年に2000億円規模の削減が欠かせない。まとまった削減財源を探す厚生労働省の官僚が目をつけたのが「高額療養費」だった。物価や賃金が上がっているのに上限金額は10年間据え置かれたまま。最近はバイオ製剤など高額の薬品に頼る治療が増えている。毎年数千億円規模の財政負担が生じている。ここにメスを入れれば子育てに振り向ける財源を確保できる、と判断したのだろう。
高額診療にすがる人たちに意見を求めれば「反対」されることは明らかだ。厚労省の役人も苦渋の決断だったと思う。社会福祉や充実した医療を目指し厚労省に職を求めた人たちである。患者の不利益を知りながら、予算に大ナタを振るうとなれば、担当者もまた被害者である。
財務省は、予算が足りないという。税収では必要な財源を確保できず、赤字国債を発行してやりくりしている。国債残高は24年末で1317兆円。国内総生産(GDP=609兆円)の倍を超え、先進国で突出した借金財政だ。にもかかわらず、高齢化は進み、医療費は膨らみ、健保財政は圧迫され、年金も危うくなっている。
だからと言って、社会保障関連予算は、社会保障政策のやりくりで賄え、という「とも喰い構造」でいいのだろうか? 削って回せる財源は、他にないのか。
◆軍備増強合戦になりかねない防衛予算倍増
少子化対策と並び、財政を急激に圧迫している政策がある。防衛予算の倍増である。
こども未来戦略が決まった1年前、2022年12月に「国家安全保障基本戦略」が書き換えられ、5年間で43兆円の防衛予算が決まった。
予算は年度ごとに決めるのが普通だが、5年間の総額を決め、年が明けると岸田首相は訪米し、バイデン大統領に報告した。これまで防衛予算はGDPの1%をめどとしていたが、いきなり倍増となり、「GDPの2%」を目指すという。バイデンは大喜びで岸田の肩を抱いて歓待した。
GDP1%は6兆円。毎年1兆円余が積み増されていく。防衛予算を急膨張させているのがアメリカ産兵器の爆買いだ。わかりやすい例が、陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージスアショア」だ。北朝鮮から飛んでくるミサイルを迎撃する防空システムとされた。自衛隊の装備計画に入っていなかったが、トランプ大統領との首脳会談で安倍首相が購入を約束したものだ。配備先は秋田と山口に決まりながら、現地の条件と合わず、取りやめになった。
ところが、トランプに約束した案件であるためキャンセルできず、陸上に固定する装備をイージス艦に載せ、海上で使うことになった。艦艇・本体とも特別な設計変更が必要になり、費用は2隻で4000億円程度、とされていたが、「少なく見積もっても9000億円。1兆円を超えることもありうる」と防衛省は説明する。
失敗した爆買いの尻ぬぐいは東京五輪・パラリンピックの大会経費(7340億円)をも上回る規模になった。トランプ大統領の歓心を買うための策ではあったが、国民に説明のつく支出だっただろうか。
安倍首相は北朝鮮からのミサイル脅威を指摘し、防空システムの重要性を語った。ところが、首相を退くと「飛んでくるミサイルを撃ち落とすには無理がある。撃たれる前に相手をたたく攻撃能力を備えることが抑止力になる」と、ミサイル防衛の根幹を変える主張をするようになった。
守りに徹し攻撃能力は持たない、とする「専守防衛」を捨て、先制攻撃もありという「敵基地攻撃能力」の保持を言い出した。その結果、アメリカが検討していた対中国ミサイル防衛網を、日本が肩代わりして配備する。そのために米国製巡航ミサイル「トマホーク」を買う。400発で2450億円。配備を急ぐため半数は能力が劣る旧型だという。開発から20年余り経つトマホークは速度が遅く撃墜されやすいという。
日本が中国を射程に置くミサイル網を構築すれば、中国が何もしないはずはない。軍備の増強合戦になりかねない。そんな余裕が今の日本にあるだろうか。
◆本質的な予算論議を期待
こうした兵器は、どこで誰が、必要性を判断して購入が決まったのか。少なくとも事前に国会に報告され、議論された形跡はない。
高額療養費は年に10万〜100万円でも大問題だ。それが一隻5000億円とか一発6億円の兵器が国民の目の届かないとことで決まる。
「防衛基本戦略」は、アメリカの要請という聖域の中で、予算額が積み上がる。
「こども未来戦略」に必要な財源は、なぜ社会保障予算を削って生み出すしかないのか。
財政は苦しい。だからこそ、政策の優先順位が必要だ。政治家の仕事は、カネをつける優先順位をつけることではないか。国会に求められるのは、その議論だろう。
与党が過半数を割り、自民・公明による問答無用の国会運営はなくなった。
なぜ、中国を狙うミサイル網が日本に必要なのか。アメリカから旧式のトマホークを買って並べる意味は果たしてあるのだろうか。
中国と軍拡競争をするだけの予算があれば、社会保障や子育て教育、老朽化したインフラの更新などに、どんな政策が打てるか。
国会の勢力が変わり、まともな議論がやっとできるようになった。いままで考えもしなかった、本質的な予算論議を期待したい。(本文一部敬称略)
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