山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
経済産業大臣の菅原一秀(すがわら・いっしゅう)に続き、法務大臣の河井克行が閣僚を辞任した。新内閣が発足して2か月も経っていないのに、2人の閣僚がスキャンダルでクビが飛んだ。2人とも無派閥から入閣。引き立てたのは「無派閥の会」を陰で仕切る官房長官の菅義偉(すが・よしひで)。きっかけは週刊文春の報道だが、背後には、長期政権で力をつけた官房長官の奢(おご)りがある、と永田町では囁(ささや)かれている。
◆安倍も無視できない存在
菅原経産相から辞表を受け取った後、安倍首相はテレビカメラの前に立ち「任命責任は私にあります」と語った。日頃、責任を認めたがらない安倍が、素直に任免責任を口にしたのは驚きだったが、自民党関係者はこう言う。
「安倍さんは責任に自分はないと思いっているから、あんなふうにあっさり言える。菅原を押し込んだのは菅官房長官だと皆知っているから。菅人事で自分が謝ることになった、と言わんばかりだ」
6日後、今度は法相が辞任。安倍は同じせりふを繰り返した。今度も「菅人事」だが、他人事では済まなくなった。河井は安倍にも近い。「1強支配」の安倍・菅体制に逆風が吹き始めた。
内閣改造は、首相がまず官房長官を決めて、官房長官と一緒に閣僚の人選をするのが慣行だ。第2次安倍内閣が発足した時から官房長官を務めている菅は7年近くその座にあり歴代最長の官房長官で、今回も続投は決まっていた。その発言力は首相も無視できない存在になっている。
「安倍政権は官邸主導」と言われる。「首相官邸」とは「ホワイトハウス」と同様、権力中枢を建物の名前で表す言葉である。外相には外務省、財務相に財務省があるように、総理大臣には「内閣官房」という役所がある。秘書官や補佐官だけでなく内外の情報を首相に伝える情報官、記者会見を仕切る広報官など大勢の役人がいる。官邸主導で内閣官房は肥大化し、今や千人を超える規模になり、官邸で収容できず、多くの職員は別館で仕事をしている。権力中枢である内閣官房を取り仕切るのが菅官房長官だ。
使途が明らかにされない「官房機密費」に象徴されるように官房長官は巨大な権限を持つ。民主党政権では官房長官は2年で3人が務めた。民主党に限らず、歴代長官は短命だったので、強大な組織に慣れる前に内閣官房を去った。
7年目に入った菅は、内閣官房の権力を自在に使うようになった。情報・カネ・人事を握る「官邸の主」となったのである。
◆甘かった「身体検査」
首相のように公式行事に振り回されることもなく、国会答弁に立つ機会も少ない。首相の陰に隠れ「女房役」として内政に目を光らせる。
安倍政権の手法は、官邸で政策の方針と着地点を決め、省庁はそこに向かって行政の手順を踏む。加計学園疑惑で明らかになったように、首相周辺でストーリーが出来て、ワーキンググループや審議会で方向が決まったかのようにして役所が政策にする。そんなやり方に抵抗した文部科学省の前川喜平事務次官は外された。ことほど左様に、安倍政権の「トップダウン」の政策は、官邸が主導権を握っている。
長官を支える副官房長官は3人。2人は政治家で衆議院と参議院から。もう1人、霞が関の官僚組織の頂点に立つ事務担当副長官がいる。官僚OBで、旧内務省系の官庁のOBが務めてきた。かつては厚生省や自治省などから出ていたが、今の杉田和博副長官は警察庁出身、警備公安畑の官僚だ。杉田は内閣人事局長を兼務し、官僚人事の元締めとなっている。各省の事務次官から幹部人事や審議会委員の素案を提出させ、問題ありと思う人物を排除する権限を持つ。
前川に「不適切な店への出入り」を警告したのは杉田である。それでも官邸の意に沿わない前川に対し、読売新聞が記事にした。情報のリークには官邸の警察官僚が関与していた、とされる。監視社会で膨張する警察情報を使って睨(にら)みを利かす「官邸支配」に、霞が関官僚は首をすくめている。
本稿第147回でも書いたが、7年に及ぶ安倍政権で警察官僚が権力中枢にはびこるようになった。安全保障やテロ情報を扱う国家安全保障会議(NSC)の事務局である国家安全保障局の北村滋局長も警察官僚。毎週首相に会って内外の情報を伝える内閣情報官の滝沢裕昭は北村の後任。諜報機関である内閣情報調査室長を兼務し、公安・海外のテロ情報などを収集している。官房長官の菅はその頂点に立っている。
「身体検査」と呼ばれる政治家や官僚の個人情報は、「官邸の御庭番」と呼ばれる諜報組織の仕事である。就任したばかりの閣僚が週刊誌の報道で早々に辞表を出すなど「身体検査が甘かった」と言うしかない。分かりながらも、批判は権力で抑えられると考えたのだろうか。奢りというしかない。
官房長官はその責任者である。菅の息がかかった菅原と川井が相次いで辞任したことは「身内に甘い身体検査」が問題になるだろう。
菅原一秀が選挙区でメロンやカニを配っていたことは、かつて週刊朝日が書いている。女性スキャンダルも囁かれ、「菅原は脇が甘い」と危惧(きぐ)する声は周辺にあった。河井はパワハラが問題視されていた。それを押し切ったのは菅の豪腕である。菅は自民党でどの派閥にも属さない無派閥の政治家として存在感を発揮していた。
◆矢面に立つ「人徳なき実力者」
「菅さんは天才的なセンスを持つ政治家」と褒めちぎる菅原は無所属の会で
菅側近を自認していた。当選を重ねながら閣僚になれなかった菅原を経産相という要職につけ、菅は実力者であることを党内に知らしめた。
法相を自任した河井も無所属。先の参議院選で河井の地元広島(定数2)に自民はあえて2人を立て、危ぶまれながらも「2議席独占」を狙った。新人で立ったのは河井の妻・案理。結果は現職の岸田派重鎮の溝手顕正(みぞて・けんせい)を落選させた。
「菅は無所属を隠れ蓑(みの)に、勢力を広げている」という怨嗟(えんさ)の声は党内に広がっていた。力の源泉は官房長官というポストである。
小選挙区制で公認は党で一本化。政策は党の部会をすっ飛ばして官邸が主導する。政治家の身辺情報を掴(つか)み、メディアを抑え、官房機密費を握る。力をためながら「女房役」に徹してきたが「ポスト安倍」が見え、むらむらと欲が出たのかもしれない。
7年も権力中枢に居座れば、人が寄ってくる。だが、菅に欠けているのは人徳である。腕力で政治家を抑え込み、「睨まれたら生きていけない」と官僚は恐れをなすが、人格を慕う人がどれほどいるか。強権を恐れ、力にすり寄る人はいてもリスペクトがない。
憲政史上最長となった安倍政権は、そろそろ終点が見えてきた。国会では安定多数。取って代わる勢力は野党にも与党にもない。緊張感に欠け、驕りが目立つ政権の死角は、自己崩壊だ。自らの重みに耐えかねて壊れる。やがて権力者への忠誠争いが起こり、後継を巡って身内の暗闘が始まる。
「人徳なき実力者」が、いま矢面に立っている。
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