山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
テレビ朝日は大丈夫か?と思わせる事態が起きている。
衆議院議員会館で2月13日、「『報ステ』を問う」をテーマに緊急院内集会が開かれた。主催は、新聞、テレビ、雑誌、ネットメディアで働くライターなどの日本マスコミ文化情報労組会議(MCJ)。300人を超える聴衆で議員会館の会議室はあふれかえった。
「報ステ」とは、テレビ朝日の看板番組「報道ステーション」。ニュースを分かりやすく伝える解説番組は、いまや各局が力を入れているが、報ステは前身の「ニュースステーション」の時代から先頭を走ってきた。その「報ステ」に異変が起きている。
◆業界の宿痾
取材・編集の中核となっているスタッフ10人を3月末で「雇い止め」という人事が突然発表された。「人心一新」だという。
発端とされるのは「セクハラ」だった。番組のプロデューサーによる女子アナや女性スタッフに対するセクハラが昨年夏に発覚、週刊誌などで騒ぎになった。
当事者であるチーフプロデューサー桐永洋(きりなが・ひろし)氏が「謹慎処分」を受け、8月末に番組から外れた。チーフプロデューサーは番組の王様である。番組の狙い、方向性から出演者の人選まで全権を握っている。下請けの制作会社はもとより、社員スタッフも逆らうことができない存在だ。優越的地位を乱用して立場の弱い部下やタレントに関係を迫る。この業界でしばしばあることだ。
余談だが、私は大学卒業後、大阪の放送局で働いた。編成・営業・制作などの現場に配属された体験から、番組の裏側を少しは知っている。当時、身近に先輩がいた。「政治家の一族で父親は海運業を手がけ放送局のオーナー」という触れ込みで、「コネ入社」を公言し、傍若無人の振る舞いに周囲は顔をしかめていた。その彼は、とうとう事件を起こして社を追われた。
ところが30年後、テレビ朝日のチーフプロデューサーになっていた彼は、番組制作を委ねる下請け業者から上納金を召し上げ、遊興費に充てていたことがわかり、クビになった。他の番組に出演していた私は、制作スタッフから行状を聞き、驚いた。30年前と少しも変わっていなかったからだ。
他局で問題を起こした社員を採用する緩さ、押し込まれた人物を要職につけ、甘やかす局の体質。政治家、有力企業、系列局という縁故を断ち切れないこの業界の宿痾(しゅくあ)が残念だった。
放送局は多重な階層から成り立つ組織である。ざっくり分けると、正社員と非正規社員。正社員のなかでも陽の当たるコースに乗った野心的なエリートグループと、好きなことをコツコツやったりマイペースの「出世無用」の社員がいたりする。給与が高い放送局では、出世コースから外れても暮らしに困らない。趣味の道にのめりこむ社員は少なくない。そんな中でジャーナリストを志し、世のため人のための報道にいそしむ社員は、エリート、非エリートを問わず存在するが、決して多数派ではない。
◆放送現場の現実
実際の報道現場を支えるのは「制作会社」と呼ばれる下請けや、「フリー編集者」など個人事業主だ。番組の企画書を書き、取材の段取りを立て、カメラを回し、編集しオンエアする、という全てのプロセスを担うのは非正規のスタッフである。下請けは何層もある。一括して管理するのは放送局から天下り社長を頂く制作会社で、そこからまたフリーの記者や編集者に業務を委託する、ということが日常的に行われている。
「下請け」であっても、番組の質や熱量を左右するのは彼らの能力とやる気に負うところが大きい。現場にどれだけの人材がいて、その人たちがどれほどの情熱を注いで仕事をするか。そこが報道の質を決定する、と言っても過言ではないだろう。私はそうした現場で志の高い人材をたくさん見た。「優秀な下請け」は局にとって「財産」であり「宝物」でもある。
正社員と非正規社員に違いをひとことで言えば、正社員は「サラリーマン」、非正規のスタッフは「職人」ということだろう。
正社員の多くは、あちこちの職場を渡り歩く「ゼネラルマネージャー」で、管理職要員である。出世する社員は、人事異動をステップに視野を広げ、経営に参画する。
ジャーナリズムの現場は、専門領域を磨き、人脈を広げ、ニュースの勘を養う。「手練れのスタッフ」を何人そろえるかが、ディレクターやプロデューサーの力量である。その世界は「権限」や「職務命令」だけでは動かない。「信頼関係」「能力への敬意」などが絆となる。上の意向ばかりうかがっているプロデューサーは現場の信頼を得られない。
「報ステ」で起きた「雇い止め」は、この絆がズタズタになった表れだろう。
「指名解雇」同然に、3月末をもって雇用を打ち切られた10人は、番組の真髄を支えるベテランたちだ。次々と変わるプロデューサーに仕えながら、番組の基本コンセプトを継承し、他局が一目置く「報道番組」を支えてきた。視聴率は決して悪くなかった。なぜ「人心一新」が必要なのか。
界隈で語られているのは、「セクハラ絡みの情報漏洩(ろうえい)」だという。チーフプロデューサーのセクハラを誰が週刊誌に漏らしたかが局内で話題になった。
謹慎にとどめる曖昧(あいまい)な処分、局内の異論などが外部に漏れたのは、制作スタップからではないか、という疑心暗鬼から「報復処置」がなされた、という見方がある。
◆「人心一新」の背景にあるもの
セクハラ問題でテレビ朝日は、失敗を経験している。報道局の女性記者が、財務省の次官から度重なるセクハラを受けていた。上司に相談したが、会社は問題に向き合わず、女性記者は週刊誌に事情を説明し、事件化した。
この時、テレビ朝日は「これからはセクハラ問題に正面から取り組む」と明らかにした。それから1年もしないうちに「報ステ」で問題が起きた。
財務次官と同様、優越的地位を乱用した行為である。調査し処分し公表するのが経営者の役割だった。曖昧にし「もみ消し」が怪しまれたから週刊誌沙汰(ざた)になったのではないか。ことの顛末(てんまつ)がはっきりしないまま、制作スタッフが疑われ、「人心一新」となったのなら、見当違いもいいところである。
見過ごせないのは、「人心一新」の背景である。久米宏氏が司会をしていた「ニュースステーション」の頃からテレ朝の夜のニュース解説は、時の権力者の不興を買っていた。免許業種の放送局はおしなべて政権への遠慮が出がちだが、テレ朝の「報ステ」は一歩前に出て発言する番組として視聴者を掴(つか)んできた。
「報ステ」がここまで踏み込むなら、と他局も前に出ることが可能という構造がニュース番組にはある。それだけにテレ朝への風圧は厳しい。ちょっとのミスでも問題にされる。安倍首相になって、この傾向は一段と強まったという。
テレ朝の早川洋会長は「権力との緊張関係より融和を志向する経営者」と局内で見られている。「アベ友」の見城徹(けんじょう・とおる)幻冬社社長を番組審議会の会長に据え、首相官邸との距離を縮めている。こうした中で「報ステ」のスタップ入れ替えが始まった。
歴代のプロデューサーは、政府に批判的な視点を持つ古賀茂明氏(元経済産業省の改革派官僚)などをコメンテーターに起用してきたが、桐谷氏がチーフになって、政治ネタは減った。
サラリーマンである社員プロデューサーは人事異動で代えることはできる。その余波が制作会社に及んだのが今回の「雇い止め」ではないか。
現場を担う職人集団から「批判的視点」を消すための「人心一新」。主だったベテランをリストアップして「雇い止め」を通告した。
経営者としての安泰を望む人。その意にそって作戦をめぐらす人。サラリーマンは目先の利益を追いがちだが、報道番組からジャーナリズムの背骨が抜かれたら、テレビ朝日のアイデンティティーはどうなるのか。
「テレ朝が落ちたら次はTBS」という危機感が放送界に広がっている。
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