山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
大がかりな買収事件として注目されていた参院選広島選挙区の選挙違反は、河井克行前法相と妻の案里参議院議員の逮捕・起訴で「一件落着」となりそうだ。地元の議員や首長など約100人に総額約2900万円を配ったとされるが、焦点は自民党本部への波及の有無だった。党から夫妻の口座に1億5千万円が振り込まれ、買収の原資になった可能性が疑われていた。ところが検察は、党本部への強制捜査を見送り、事件は「広島止まり」で終わる。
◆「悪いのは河井夫妻」で幕
この事件は、通常の選挙違反と決定的に違う事情を秘めていた。第164回(6月5日付)の「検察は河井派違反を摘発できるか」で書いたように、事件捜査の背後には、検察組織の最高位・検事総長の人事を巡る検察上層部と首相官邸の「対立」があった。
黒川弘務・東京高検検事長(当時)を起用したい官邸に対し、検察は「黒川は政治に近すぎる」と警戒し、林真琴名古屋高検検事長(同)を推していた。水面下の人事抗争と広島の事件は一見、無関係に思えるが、絡み合って動いていた。
検察庁法では検事総長は内閣に任命権がある。官邸が決めるというのは間違ったことではない。総理大臣でも逮捕できる強権を持つ検察は「政治の道具」になってはいけない、という大義から、人事を政権に握られることを嫌う検察は、伝統的に「人事介入」を警戒してきた。歴代の政権も敢えてトップ人事には介入せず、検察の内部秩序を尊重してきた。
破ったのが、安倍政権だった。政治主導を掲げ、内閣官房(首相官邸)に内閣人事局を創設、省庁のトップ人事は官邸の了解を必要とする仕組みに変えた。法務省の翼下にある検察庁も例外とせず、検事総長は官邸が決める、というのが安倍政権のやり方だった。
ルールに照らせば検察の言い分は「官僚のわがまま」かもしれない。理は官邸にある。ところが官邸はヘマをした。黒川検事長の定年延長を閣議決定したことで、世間は安倍政権の思惑に気付いてしまった。イエスマンである黒川氏を検事総長にして政権に不利な事件をもみ消すつもりだ、と世間は疑った。
さらに検察庁法を改正して検事の定年を延長する法案を国会に出すという愚挙が、世論の反発を招いた。政治の舞台など出たことがないような検察OBが「検察庁法の改正阻止」を高らかに叫んで記者会見するなど、世論と検察が見事に一体化した。
一方で、力を入れたのが「河井事件」である。東京・大阪の両地検特捜部から応援の検事を投入。「党本部から1億5千万円」の情報をリークし、官邸の脇腹に匕首(あいくち)を突きつけた。党本部に家宅捜査に入られたら、政権崩壊の引きがねになりかねない。
張り詰めた空気の中で「賭けマージャン」が発覚した。官邸の人事構想は吹っ飛び、検察側の逆転勝利である。7月14日、稲田伸夫検事総長が勇退し、後任の林真琴東京高検検事長が就任した。前後して河井事件も手仕舞いされた。
河井夫妻は起訴されたが、カネを受け取った議員や首長は全て不起訴。注目された自民党本部への強制捜査は行われないまま、事件は「悪いのは河井夫妻」という形で幕を下ろすことになる。
◆「国民の期待」より「政権との修復」
検察の内情に詳しい人は「いかにも検察らしいやり方だ」という。検察庁は政府機関であり、首相を頂点とする行政システムに組み込まれている。人事も予算も官邸が最終的に握り、「検察の独立」などありえない。黒川氏がうまく立ち回ったように、政権との良好な関係は個人の出世だけでなく、組織の安定性に欠くことができない。
その一方で、強い組織であるためには「権力との距離感」が大事だ。政権の番犬では存在意義が疑われる。「巨悪に挑む」という姿勢をとり続けることが国民の信頼につながる、という。
では、一連の動きは「国民の信頼」に応えたものだったか?
鳴り物入りの「政治ショー」となった河井夫妻の買収事件は、「広島止まり」で終わり、理不尽と思われるような巨額資金を提供した「河井夫妻の背後」にメスは入らなかった。ホッと胸をなで下ろした人がいたことだろう。
河井夫妻でだけではない。有権者にメロンやカニを配って公選法違反で告発されていた菅原一秀前経済産業相は不起訴。「嫌疑不十分」ではなく「違法性はあるが起訴するほどではない」という「おめこぼし」である。河井夫妻から現金をもらった議員たちと同様の「寛大な措置」である
安倍政権の土台を崩しかねない閣僚の犯罪を、検察は「背後を追わず、広げず」で矛を収めた。生贄(いけにえ)のヒツジは河井夫婦だけ。人事抗争で勝った検察は、「国民の期待」より「政権との修復」に舵を切った。事件の真相とも言われる1億5千万円が決まった流れや、その使途は闇の中。深追いは避け、政権と手打ちして、林体制が始まる。
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