山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
銀行を志望する学生が急減してるという。AI(人工知能)やキャッシュレスに不安を感ずるのか、ノルマ営業などブラックな仕事が嫌われるのか。立派な就職先の筆頭に数えられていた銀行が評価を落としている。
そんな中で「株式会社三菱UFJ銀行およびダイヤモンド信用保証株式会社に対する権限発動を求める申し立て」が4月24日、金融庁長官に提出された。金融商品として問題のある変額保険に融資し「返済が遅れた」と14%もの延滞金利を請求し、債務者の自宅を競売に掛けるという非道を金融庁は許していいのか、という訴えである。
◆遅延損害金という名の「懲罰」科す三菱
金融庁長官は銀行を監督する立場にある。だったら、行政権限を発動して債務者を救済せよ、という趣旨である。申し立てたのは、千葉県柏市の住むA子さんと弟のBさん。両親が三菱銀行から相続対策として変額保険を勧められ、夫婦で2億5千万円の保険に入り1億9500万円の融資を受けたという。
変額保険は、商品名は保険だが中味は投資信託と同じ。株で運用して利回りを稼ぐはずだったが、バブル崩壊で価値は急落。銀行からの借金だけが残り、被害者が続発した。
2人の父親のCさんは1922(大正11)年生まれ、バスの運転手として働き、定年後はアパートの賃貸収入で妻のD子さんとつましく暮らしていた。平成に入ると地価が急騰、相続税が社会問題となった。そんなころ、明治生命(当時)の外務員と三菱銀行の行員が連れ立って訪れ、保険の加入と一時払い保険料の融資を勧められた。リスクについての説明は無く「利回りは年13%以上で銀行の金利をはるかに上回る」といわれたという。銀行員からは「いい保険ですね」と言われ、特段の審査もなく2億円融資が実現した。年末に史上最高値をつけた東証ダウは翌年から下落に転ずる。
保険の価値はどんどん下がり、解約しても返戻金で融資の返済はできない。訴訟を起こして損害賠償を求めたが敗訴。三菱銀行は系列会社のダイヤモンド信用保証に代理弁済させ、さっさと2億円の融資を回収した。
ダイヤモンド信用保証はCさんに返済を迫るが、もとより2億円ものカネなどない。2002(平成14)年6月、ダイヤモンド信用保証はCさんの自宅・アパートの競売を申し立てた。Cさんは元本の一部を返済し、利息を含めた残債2億5千万円の利払いを継続することを条件に競売を免れた。
それから12年が経ち、2014年(平成26)年にCさんは死亡。保険金1億5千万円でCさん分の借金は返済した。妻のD子さんはすでに85歳、車いすの暮らしになっていた。残る元本1億円と利息は死亡時に一括して返済するからで猶予してほしいと銀行側に依頼した。夫に先立たれ、住宅のバリアフリー対策などにもカネが掛かり、利息を払うゆとりはなかった。
2016年(平成28)年にD子さんは亡くなった。遺族であるA子さんらは、元本1億円と利払い(年1.1%の約定金利)を申し出た。ところがダイヤモンド信用保証は、Cさんの死後に利息が払われていなかったことを問題にした。
契約で決めていた年1.1%の利息110万円だけでなく、遅延損害金として懲罰金利14%を課した2062万円、併せて2172万円を支払え、と請求。再び自宅とアパートを競売に掛ける手続きを取った。
◆一方的な内規 問われる金融庁の責任
競売は5月9日から始まり、23日に開札される。この事態を、三菱UFJ銀行はどう見ているのだろう。
変額保険融資は、三菱の銀行史に消しがたい汚点となって残っている。のど元過ぎれば熱さを忘れ、ということか。Cさんの家族にこれほどの借金被害をもたらしたのは、元はと言えば三菱銀行の経営判断の誤りからだ。お客を踏み台に荒稼ぎに狂奔(きょうほん)したあの頃の反省はどこに行ったのだろうか。
変額保険は「名頭取」と囃(はや)された伊夫伎一雄(いぶき・かずお)氏(故人)にとっても痛恨の失敗だった。バブルが沸き立っていた頃、銀行は「提案型融資」と称し、不動産などの案件を持ち込んで融資拡大を競い合っていた。当時の伊夫伎頭取はそんな風潮を嫌い、過剰融資に慎重だった。その結果、融資競争から取り残された三菱は都銀5位へと落ち込んだ。
子飼いの役員らが、挽回(ばんかい)を図ろうと狙いを定めたのが個人融資だった。変額保険とセットで使途自由のカードローンまで売り出した。一時払いの保険代金を融資し、その上さらに利息をローンで払わせた。高利のカードローンは残高が複利で積み上がり、お客を「借金漬け」にしたのである。変額保険はどこの銀行も扱ったが、三菱は突出して多かった。
時代が平成に移行したころ大量に売られた変額保険。死んだら保険金で借金を消せる、と生涯持ち続けた人たちは平成が終わるころ、次々と他界している。保険金が支払われ、融資の元本は返済できた。しかし被害者に重くのしかかる金利は支払いが遅れがちだ。そこに付け込んで年利14%という延滞金利を徴収する。遅延損害金とも呼ばれ、日露戦争のころに制度化されたものだ。日本が資金不足で、おカネは貴重、金利が高い時代の遺物である。
法律に根拠があるものではなく、銀行が内規で決めているだけで、契約時の説明もほとんどない。それがトラブルになると威力を発揮し、債務者を苦しめる。
今どき14%もの高利がまかり通ることが異常である。今回のケースのように、約定金利は1.1%だというのに、支払いが遅れていた、それも事情を説明して猶予を願っているのに、債務者の事情を一切無視して取り立て、払えないなら自宅を取り立てる、という。銀行はいつから、こんな姿になったのか。
金融庁は何をしているのだろう。変額保険被害の元凶とされる銀行は、系列会社のダイヤモンド信用保証に弁済させ、早々と資金を回収して逃げ切った。汚れ仕事は、銀行を退職したOBによって営まれる子会社に回され、高利貸しさながらの回収が進められている。
三菱銀行にとって平成の30年間は何だったのか。そして金融庁は何をしてきたのだろう。
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