山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
「カーボンニュートラル」という言葉が、世界を変えつつある。炭素(カーボン)を含んだ「温暖化ガスを大気中に増やさない」という誓いだ。産業革命で世界を変えた人類は、エネルギーを石炭に頼り、「20世紀は石油の時代」になった。その咎(とが)めが「地球の温暖化」である。異常気象が世界規模で起こり、台風・干ばつ・山火事など自然災害が暮らしを襲う。
◆「実質ゼロ」の意味するもの
菅義偉首相は26日から始まる臨時国会の所信表明演説で、「2050年を目標に温暖化ガス実質ゼロ」と表明するという。素直に受け止めれば「30年後には温暖化ガスの排出をゼロにする」と聞こえるが、「実質ゼロ」の「実質」がクサい。化石燃料はなくすことはできないが、排出されたCO2などを処理して大気中に出さない方法を考えます、ということだ。技術的には可能というが、マユツバだ。しかし、石炭・石油の発電所を劇的に減らさなければ、「2050年目標」は達成できない。
政府は経済産業省の総合資源エネルギー調査会で将来目標を決めている。2030年を目標とする電源構成(総発電量に占める電源ごとの割合、2018年策定)は次のようになっている。
天然ガス27%、石炭26%、再生可能エネルギー22−24%、原発20–22%。
現状は、原発の多くが停止中で、稼働しているのは5基だけ。発電に占める比率は6%程度という。再生可能エネルギーは急速に伸びているが、様々な制約があり、20%に達していない。つまり、一次エネルギーの80%近くは化石燃料に頼っているのが日本だ。
昨年12月、スペインで開かれた温暖化対策を話し合う第25回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP25)に合わせて環境NGOの国際ネットワーク「気候行動ネットワーク」が開いたイベントで、日本は「化石賞」を受賞した。温暖化対策に背を向けて化石燃料を使い続ける国を名指しする不名誉な賞だ。日本は、国内で増やすだけでなく、途上国で石炭火力発電所を建設していることが「評価」された。「旧型の石炭火力は大量のCO2を排出するが、新型なら大幅に減らせる」というのが日本の言い分だが、世界には通じない。
そんな日本が「実質ゼロ」を表明するなら画期的な変化と思われるが、金子勝・立教大学大学院特任教授は「だまされてはいけない。何に置き換えるかが問題だ。脱化石燃料を口実に原発再稼働や新設を進める狙いが読み取れる」と指摘する。
経産省は「温暖化ガスを減らす切り札」として「原発ルネサンス」を打ち上げ、東芝に米国の原発大手ウェスチングハウス(WH)を買収させるなど、原発立国を目指した。行き着いた先が、東電福島第一原発事故だ。「安くて安全な電力」と吹聴された原発が「高価で危険な電源」であることが明らかになり、世界は一斉に脱原発へと走っている。
◆「見せかけの発送電分離」
日本の原発は休止に追い込まれたが、電力会社は再稼働を急いでいる。福島第一原発の近隣にある東北電力女川原発や東京電力の柏崎原発を再稼働させようという動きが、菅政権で進んでいる。
世界の潮流は「化石燃料をやめ、再生可能エネルギーに置き換える」だ。デンマークやドイツなど欧州で始まったエネルギー革命は、中東、インド、中国、韓国などに波及。風力や太陽光による発電は化石燃料より安い発電コストを実現している。
日本では「太陽光や風力はお天気まかせで頼りない。発電コストも高い」といわれてきた。普及しない、量産できない、コストが下がらない、という悪循環がブレーキになっているが、普及を阻害している要因は「電力会社による送電線・配電線の独占」だろう。
日本の電力システムは、電力会社の地域独占が長く続いた。発電と送配電網を大手電力が握り、新規参入をブロックしている。
福島第一原発事故で電力会社のあり方が問題になり「発電と送電の分離」が決まったものの、大手電力はホールディングカンパニー(HD=持ち株会社)を作り、その下に発電会社と送電会社をぶら下げる、あるいは、電力会社の下に発電会社を置く、という「見せかけの分離」で制度改革を空文化した。
原発や火力発電に頼る大手電力は送配電網を支配下に置くことで、太陽光・風力・バイオ発電などの新電源に、接続を拒否したり、割高の電線使用料を課したりして普及を妨げている。
菅政権は「既得権益の打破」を掲げ、携帯電話料金の値下げなどを迫っているが、電力会社の市場支配こそが既得権益の塊(かたまり)ではないか。政治家とつながり経産省を通じて行政に影響を与える電力支配こそ、世界の潮流から日本が取り残される主因になっている。
◆エネルギー分散化は自己決定を可能にする
再生可能エネルギーへの転換は、単に化石燃料や原子力という「有害資源」と手を切ることにとどまらない。人々のライフスタイルや地域社会のあり方を根本的に変える。
ドイツ南部のライン・フンスリュック郡は1999年から再生可能エネルギーを核とする地域作りに取り組んできた。既に住宅4100戸(全体の5%)の屋根に太陽光パネルを張り、郡内電力の16%を自給する。風力発電の風車268基を設置し、電力需要の3倍を発電して、9億円の売電収入を稼ぎ、幼稚園や観光施設の整備に充てている。
電力会社から電気を買えば、家計や地域から富が流出する。自前で発電し、域外に売れば資金は流入し、雇用の場も広がる。巨大企業である電力会社が集中的に電気を作り、各地に送電するシステムは、大都市に人材を集め、冨を地方から都市に吸い上げる構造だ。
人材・職場・資金を大都市に集中させ、地方を疲弊(ひへい)させ、「貧しい田舎」は補助金や住民対策の札ビラで支配される。独占的利益が保証される電力会社は大儲けし、地域経済を支配する構造を生んできた。
再生可能エネルギーが普及すれば、発電の地域分散が可能になる。電力の地産地消ができれば、地域単位で経済が回りだす。日本でも各地に「ご当地電力」が起業され、地域のネットワーク化の基盤となっている。例えば、農地の3メートルほど上に太陽光パネルをすき間を開けて張り、営農と発電を両立する農家が増えている。後継者難の農業が息を吹き返し、地域医療や介護などで新しい職場を生んでいる。雇用が確保されれば人が定着し、富が地元にとどまる。エネルギーの分散化は「地域のことは地域で決める」という自己決定を可能にする。
大きいものが支配する、独占による一極集中、中央が地方から人材や富を吸い上げる、弱いものは自己決定できない――。そんな今の社会構造を覆す突破口にエネルギー転換はなりうる。
◆日本の未来を決める問いかけ
「カーボンニュートラル」という世界の潮流は、もはや止められない。電力会社が政治的にも力を持ち、地域経済に君臨する日本は、世界の潮流に逆らっているが、誰の目にも「原子力は時代遅れ」であることは明確だ。
多くの企業や従業員が原発に連なり、政党や労働組合は「既得権」に引導を渡すことができないでいる。だが、足踏みしているうちに社会の変革はどんどん遅れてしまうだろう。
かつて就職人気抜群だった電力会社や重電メーカーが輝きを失っているのは、時代の波に洗われているからだ。新しい産業の芽、暮らしの輝きは分散型社会の中にある。
さらば化石燃料。その穴を埋めるのは、原発か再生可能エネルギーか。「あなたはどういう社会を選びますか」という問いかけでもある。その選択が、日本の未来を決める。
コメントを残す