п»ї 仏教国ミャンマーの軍政復活-カギ握る僧侶たち 『山田厚史の地球は丸くない』第181回 | ニュース屋台村

仏教国ミャンマーの軍政復活-カギ握る僧侶たち
『山田厚史の地球は丸くない』第181回

2月 05日 2021年 経済

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山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

突然ではあったが、予想外の展開ではなかった。ミャンマーでクーデターが起きた。アウンサンスーチー氏ら政治指導者が拘束され、軍事政権が復活した。

追い詰められた軍が、あっさり切り札を使った。

香港で民主派が一掃された。アメリカでは「不正選挙」を叫ぶ民衆が国会に乱入した。中国やアメリカで起きていることを見習った、そんな展開でもある。

◆実効支配する軍

ミャンマーという国は、「実効支配」は軍が行っていたということである。政治体制は議会制民主主義だが、議員の4分の1は軍が指名する「軍人枠」。これを決めている憲法を改正するには4分の3以上の賛成が必要。つまり軍がOKしない限り、憲法の改正さえできない。

「民主国家」で暮らす我々は、議会で多数を取った政党が権力を握る、ということを当たり前のように思っているが、世界は必ずしもそうではない。「話し合い」の場である議会より、「暴力」を握る勢力が強いのは戦前の日本が示している。現代でも、首都圏を基地で包囲するアメリカは「事実上の支配者」かもしれない。

軍政から見れば、「スーチーに預けてあった権力を取り戻しただけ」だろう。

総選挙で民主派があれほど議席を取るとは思わなかった。放置すれば、勢いを増し、取り返しがつかないことになりかねない。そこで暴力装置を作動させた、と言うことだろう。

軍が実効支配しながら、どうして議会制民主主義になったのか。2011年に実現した民政移管に、ミャンマー政治の内実を解くカギがある。改めて注目したいのは、民政移管に伴い軍出身の大統領になったテインセイン氏の存在である。

「ミャンマーのゴルバチョフ」との呼ばれる人物だ。もとは華人で中国名もある。ビルマ人中心の軍では傍流だったが、利権に縁がなく有能な実務家として、国家元首であるタンシュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長の側近として政策を担当した。2007年8月、暴政に僧侶が立ち上がった「サフラン革命」がテインセイン氏を政治の正面に押し上げた。軍が民主派を徹底的に弾圧する中で、ソーウィン首相が病死、代わって就任したテインセイン氏は「弾圧から和解」へと舵(かじ)を切った。

◆社会の安定を望む仏教界

背後には保守派独裁者とされるタンシュエ議長の「軟化」があった。タンシュエ氏の容認なしに融和政策を進めるのは不可能だから。テインセイン氏の活躍の裏にいたタンシュエ氏は、僧侶に手をかけたことに心を痛めていたという。

日本人カメラマン、長井健司さんが銃弾を受けて死亡した9月の動乱である。この時、大勢の僧侶が街頭に出て軍政反対の声を上げ、犠牲となった。僧衣を剥(は)ぎ取られた死体がいくつも川に浮かんだ、という報道もあった。ミャンマーは世界最大の仏教国、僧は神聖な存在として世俗権力を超越する。

元首のタンシュエ氏は、聖地パガンに仏塔を寄進し、来世の安寧を願う一人の仏徒にすぎない。何千もの僧侶を拘束し、殺害まで至ったのはただ事ではない。最中、ソーウィン首相が病死した。仏罰を恐れたかは定かではないが、タンシュエ氏は権力の座を放棄し、テインセイン氏に託した。後日、タンシュエ氏の消息を聞かれたテインセイン氏は「仏門に入った」と明かしたという。

2007年10月の首相就任から路線修復は急速に進んだ。武力対立が続いた少数民族との和解、スーチー氏との対話、そして2010年の民政移管へとつながる。

テインセイン氏とスーチー氏の二人三脚だったが、背後には社会の安定を望む仏教界の静かな影響力があった。

◆揺らぐ安定構造

この安定構造が今、揺らいでいる。タンシュエ氏は軍政が握っていた「政治」をテインセイン首相、「軍隊」をミンアウンフライン将軍に委ねた。

テインセイン氏の「融和・開放策」は軍の存在感を希薄にした。旧体制では軍は国家の背骨。通信・輸送・物資など生産やインフラを一手に握る企業集団だった。外資の流入でその地位が脅かされた。ミャンマーには130を超える少数民族がいて、各地で内戦が続いていた。戦争状態であることが軍の存在理由だったが、和解がその足元を崩してゆく。民政化の進化で2016年にテインセイン氏が大統領から離れると、ミンアウンフライン将軍を抑える力がなくなった。

仏教界も問題を抱えた。ロヒンギャへの迫害だ。ミャンマー西部に住むイスラム教徒と仏教徒の摩擦から軍が乗り出し、大規模な犠牲者が出ている。宗教対立と軍による治安維持が重なり、僧侶たちが軍政のブレーキ役にどこまでなれるか、事態は複雑化している。

人権問題でうるさい米国のバイデン政権は、足元の問題で他国の内政にかまっているゆとりはない。ミャンマーが加入する東南アジア諸国連合(ASEAN)は割れている。中国はミャンマーを取り込む絶好の機会と見ている。国際社会がミャンマーを締め上がれば、軍政は中国を頼る。中国にとってミャンマーはインド洋に出る要衝である。

あまり知られていないが、ミャンマーには「反中国感情」が根強い。歴史的にみて、常に中国の膨圧に苦しんできた。近年も中国からの商売人がミャンマーで荒稼ぎし、北部にあるミャンマー第二の都市マンダレーでは「中国人屋敷」が立ち並び、反感を買っている。開放経済で外資が流れ込み、中国の影響力は低下したかに見えたが、軍政復活で逆流が始まるだろう。国連非難決議に中国が慎重なのも、ミャンマーへの野心があるからだ。

◆民主化と経済発展の先に

話を戻そう。ミンアウンフライン将軍は、ひたひたと迫る危機感と有利に動く国際情勢を読んでクーデターに踏み切った。民主派は力で抑える。中国の存在を意識し、国際社会は経済制裁には慎重になる。世論の反発に耐え、既に進出した外資に安定した経営環境さえ保障すれば乗り切れると見ているのではないか。課題とするのは、民主派との政治闘争より、経済の安定を図れるかという政策的舵取りである。

日が浅いが、ミャンマーは民主化と経済発展を経験した。人々は、逆流をどう受け止めるのだろうか。ロヒンギャ問題を抱えているはいえ、仏教はミャンマーを考える時、大きなファクターである。身を張って軍政に反省を求め、指導者を動かす力を発揮した若い僧たちがどう動くか、注目したい。

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