山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。東京証券取引所の日経平均株価(225種)が9月14日、終値で3万670円10銭をつけ、バブル経済以来の最高値となった。
菅義偉首相が退陣、まもなく決まる新首相は積極財政でカネを撒(ま)く、新型コロナは最悪期を脱した、経済復興が始まる――。そんな期待感から「日本株買い」で海外から兜町(かぶとちょう)に資金が流れ込んでいる、という。
コロナ禍の日本経済はゼロ成長近辺でさまよっている。中国やアメリカなどに比べ、回復力は弱い。内需が低調だから。リストラだらけで、賃金が上がらない。消費は低調、国内市場が湿っているから、企業は設備投資に消極的。悪循環のまっただ中にある。
◆実体経済と株価の危うい乖離
株式市場はそうは見ない。アメリカや中国の経済が良ければ、やがて日本も良くなる。輸出が伸びる。外需を当てにした設備投資が増える。株式市場に上場された企業は「選ばれた企業」。経済が悪くても儲ける力がある。日本経済が悪くても、勝ち組企業の株なら買える。カネを持っている人たちは、「買う理由」を見つけるのが上手だ。
各国の中央銀行はこの10年余、歴史上まれな金融緩和に邁進(まいしん)している。「ゼロ金利」とか「金融の量的緩和」と呼ばれる政策で、お札をじゃんじゃん刷っている。カネ回りを良くすれば、弱い企業が資金繰りで行き詰まることはない。強い企業は盛んに投資をする。そうは言っても、企業が生産投資に回すカネは知れている。余ったカネは投機に回る。株式市場は盛り上がったが、実体経済と株価の乖離(かいり)が激しくなった。
典型が日本である。2011年末に就任した安倍晋三首相が12年春から始めた「アベノミクス」と呼ばれる「異次元の金融緩和」は、経済を回復させないまま、株価だけ上昇させた。表面は熱いが底は冷たい湯船のような経済が生まれ、貧富の格差を拡大していることが社会問題になった。都内のマンションや宝飾品、ブランド物など高額商品は好調で、消費は一見盛り上がっているかのように見えるが、大多数の人は暮らしに追われている。
◆中国・不動産バブル崩壊の危機
格差拡大はいまや、世界的な課題になっている。真っ先に反応したのはアメリカだった。「ウォール街を占拠せよ」という若者の運動が起きたのは、もう10年も前だ。投資で潤う1%が99%の富を握っている、という分かりやすい構図を描き出した。これを逆手に取ったのが、ドナルド・トランプ。衰退産業に従事し、時代から取り残されたと怒る人の心を捉え、大統領の座にのし上がった。
中国でも変化が起きている。「貧富の差」が習近平政権の大問題になっている。共産党政権は選挙の心配はないが、5年に一度の党大会は再選がかかる重要な節目だ。人々の不満は政権交代につながりかねない。14億の民を熱狂させた高度成長が鈍化する中で、人々の目は格差に向かっている。
急成長の原点は鄧小平の「先富論」。等しく貧しい、という現実から脱出するためなら「豊かになれる人は、どんどん豊かになっていい」という格差黙認の方針転換だった。30年が経ち、アメリカの金持ちをしのぐような大金持ちが中国に現れるようになった。
その一方で、米中対立が国境をまたぐ交易を萎縮させた。鈍化する経済が末端の雇用を脅かし、仕事にあぶれた農民工が急増している。農民戸籍と都市戸籍という二重構造を抱える中国は高成長の時は、農民を都市の労働者として吸収し、「皆が豊かに」という共同幻想を保つことができた。幻想は剥(は)げ落ちつつある。
習近平が打ち出した「共同富裕」は、無視し難いほど拡大した格差に歯止めをかけようという方策である。ネットビジネスで巨万の富を築いたアリババの創業者・馬雲(ジャック・マー)に象徴される資本家に厳しい制裁を科し始めた。民衆にたまる憤懣(ふんまん)の矛先を「金持ち」に向け、政権の延命を図ろうという意図が見える。
ビジネスの現場に動揺が起きている。これまでOKとされていたことが、「違法」とされ、見せしめのように摘発される。リスクが読みきれず、事業は萎縮する。
内需を牽引(けんいん)してきた不動産分野に激震が走っている。金持ちの投資物件であるマンション投資にブレーキが掛かった。値上がりするから買う、買いが増えるから値が上がる、だから資金が流れ込む、という不動産バブルが崩壊の危機にさらされている。
◆氷山の一角 いつか来た道
金持ちが大儲けし、庶民にとって高嶺(たかね)の花、という不動産ビジネスを政治が押さえ込む。融資を制限した。その結果起きたのが、中国で最大級の不動産会社・中国恒大集団の破綻(はたん)だ。銀行融資や債券発行で巨万の資金を調達し、高層マンションを建てて分譲する。ぬれ手にアワで大儲けしたカネを他の成長分野に投資し、中国を代表する大企業に成長した。
ここに来て、融資規制で資金繰りがつかず、事業が止まり、返済ができなくなった。デフォルト(債務不履行)である。その額およそ2兆元(約34兆円)。
似たことが、1990年の日本で起きていた。不動産の暴騰を抑えるため「総量規制」と呼ばれる融資規制が実施された。資金繰りがつかなくなった事業が止まり、カネの循環が断たれた。当時、日銀の三重野康総裁は、金融引き締めで不動産価格の抑制に力を注いだ。それが市場を急激に冷やし、バブル崩壊へと突き進んだ。
中国政府は「恒大集団を救済せず」。住宅価格を高騰させた庶民の敵となった金持ち企業を政府が助けることなどあり得ない、という判断だ。庶民感覚にはそれでいいかもしれないが、ビジネスの循環が断たれたら、中国の不動産バブルはどうなるのか。
恒大集団の危機は、中国だけの問題ではない。34兆円を超える投融資のほとんどは「ドル建て」である。日本や欧米の銀行は証券会社の資金が危機にさらされている、ということだ。
「資金回収するためには70%の債務カットが欠かせない」などと言われている。投資や融資の70%を諦め、30%だけ回収しよう、というわけだ。実現すれば世界最大の借金棒引きとなる。
恒大集団は氷山の一角である。同じ構造が中国各地にあるという。これまでも不動産企業の破綻はあった。大事にならないように政府が介入し資金繰りをつけて延命させた。恒大集団でできなくなったのは、政治状況の変化である。
習近平体制が軋(きし)んでいるのは、経済状況の変化が底流にある。急成長の時代には政府と金持ちの「癒着」がお互いを支えた。そこに亀裂が入った。中国バブルはいよいよ終焉(しゅうえん)を迎えたのかもしれない。
金融バブルは中国だけではない。恒大集団のような地雷原は世界のあちこちに潜んでいる。
東証株価3万円超えの背後にある「カネ余りサイクル」に今、異変が起きている。
いつか来た道をまたたどるのか。
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