山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。総選挙の前と後で政治を取り巻く空気はガラリと変わった。自民党に向かっていた批判の矛先が立憲民主党へと移った。世論を「右旋回」させたのは議席3倍超の日本維新の会だが、もうひとつ見逃せない勢力がある。労働組合の全国組織「日本労働組合総連合会(通称:連合)」である。
投票の翌日、連合の芳野友子会長は記者会見で「連合の組合員の票が行き場を失った。到底受け入れられない」と語った。「受け入れられない」のは、投票結果ではない。立憲が小選挙区で共産党などと行った選挙協力のことだ。この発言を機に、「立憲民主党の敗北は、野党共闘が原因」という声が広がった。
◆立憲の敗因は「自力のなさ」
「野党共闘」は今回の総選挙で注目点の一つだった。1人しか当選できない小選挙区で、野党がばらばらに候補者を立てていたら自民党に勝てない。違いを超えて候補者を一本化し、「1対1の戦い」にすれば勝機はある。政権交代だって可能だ、というのが野党の主張だった。
結果はそうはならなかった。立憲民主党は公示前より14議席減らし96議席(小選挙区57、比例39)しか取れなかった。芳野会長の発言は、共産党と組んだから連合組合員の票が立憲民主党から逃げた、共産党と組む野党協力は連合として「到底受け入れられない」という文脈で語られた。
連合が肩入れした国民民主党は、苦戦を伝えられながら3議席増やし11議席を確保した。連合は、立憲民主党の候補を応援したが、野党共闘の選挙区では腰が引け、共産党と並んで応援することはなかった。
排除する理由を会見で問われた芳野会長は「労働組合である連合は共産主義とは相いれない」と語った。具体的な政策や方針ではなく、「共産主義反対!」という文字通りの反共路線である。
立憲民主党の敗北は「選挙協力」が原因なのか。山口二郎法政大教授は「小選挙区で立憲が9議席増やしたのは共産党の票が上積みされたから。接戦になりながら一歩及ばず負けた選挙区が31あった。共闘は確実に成果を挙げている」と語る。
共産党が候補を立てていたら当選できなかった立憲の候補者は少なくない。共闘がなければ小選挙区でも議席は減っていたかもしれない。敗北は、比例区の得票が減ったことにある。報道各社の世論調査でも明らかになっている立憲民主党の「支持率の低さ、」つまり政党として「自力がない」ことが原因ではないのか。
野党共闘に原因を求めることは、見立てを誤り、見当違いの対策を立てることになりかねない。共闘の産婆役を務めた山口教授は「共産党との選挙協力の責任にするのは為(ため)にする議論」という。
自民党側からは「野党共闘は手強かった」と率直な感想が多かった。総選挙前に北海道、長野、広島などの補欠選挙で野党は候補者を絞り、事実上の一騎打ちで勝利した。この勢いに乗って210の小選挙区で野党は選挙協力を行い、自民党は危機感を募らせていた。
そうした危機感が「体制選択選挙」という自民党のキャンペーンになった。
「日米安保体制や天皇制を否定する共産党と組んだ政権に国政を任せられるか」という主張である。相乗りしたのが、日本維新の会。「共産党が加わる危ない政権」「政権担当能力のない野党共闘」という宣伝が自民・公明・維新の大合唱になり、「アベスガ9年間の総括を」という野党の主張を押し流した。
◆労働運動の右旋回
陰で一役買ったのが連合である。立憲民主の応援をしながら共産党との連携にクサビを打ち込み、共闘路線を内部から撹乱(かくらん)した。
解散・総選挙を間近に控えた10月6日に行われた連合のトップ人事が「右旋回」を鮮明に映し出した。「連合初の女性会長」と新鮮さが話題になった芳野友子氏の会長就任は、「成り手のない会長選び」という迷走から生まれた異例の出来事だった。(本稿第197回「分裂の危機・連合から女性会長-労働運動はだれのもの?」参照)
前任の神津里季生(こうづ・りきお)会長は、政治に緊張感を与えるには自民党の一党支配に歯止めを掛ける、選挙協力で立憲民主党の国会議員を増やすことが必要だと考え、「野党候補一本化」に連合は協力するという方針だった。
3期務めた神津会長は10月に任期が終わる。後任に相棒だった相原康伸事務局長を推挙した。連合は次期会長となる人物を、実務を担当する事務局長にして養成するという慣行がある。相原氏の就任は順当と見られていた。ところが思わぬ抵抗が組織内部から起こる。相原事務局長の出身母体である自動車総連が「断固反対」を打ち出したのである。
選出母体が会長就任を阻止するなど、異常事態である。そこには自動車業界の盟主・トヨタ自動車の事情が色濃く反映していた。温暖化対策でガソリン車廃止が世界の潮流になり、国際競争に勝ち残るには政府との連携が欠かせない。「労組は野党」という労働界の慣行に終止符を打ち、労使が手を携えて自民党と組む、と労働運動の右旋回が始まっていた。
◆労組を支配下に置くトヨタ
相原氏はトヨタ労組の出身だが、その組織内候補にトヨタがダメ出しした。それだけではない。衆議院が解散された10月13日、愛知11区に立候補を予定していた古本伸一郎候補が突然、「出馬取り消し」を表明した。2003年、トヨタ労組に推されて民主党から国会議員となり、連続6回当選の常勝候補である。その古本氏が立候補を取りやめ、いつも負けていた自民党の候補が「不戦勝」になる。およそありえない「議席差し出し事件」が、トヨタ本社がある愛知11区で起きた。
トヨタが労組を支配下に置き、トヨタ労組が自動車総連を牛耳り、自動車総連に代表される民間有力産業別組合が連合を支配する、という構造がある。
神津前会長が取った「立憲民主強化のために野党候補一本化」に抵抗し、「共産党との連携」などもってのほか、ということで、組織内候補の会長就任をトヨタ労組が潰したのである。
そんな複雑な状況で連合会長を引き受ける産別組合はなく、窮余の一策として担ぎ出されたのが、「女性枠」で副会長になっていた芳野氏だった。
実権は、自動車総連など労使協調路線の産別民間組合のボスたちが握っている。芳野氏の役割は「共産党との協力はありえない」と大声で叫ぶことだ。
岸田首相が「新しい資本主義」を打ち出し、総選挙前に有識者を集め「新しい資本主義実現会議」を開催した。選挙に向けた政策イベントが見え見えの会議に芳野氏は参加した。
総選挙が始まると、「芳野連合」は「共産党との連携などありえない」と地方組織にネジを巻き、労組が共産党と一緒に選挙応援することにブレーキを掛けた。
「組合員の票が行き場を失った」というのは、連合の方針が末端に反映した結果ともいえる。
立憲民主党に有権者の支持が集まらなかったのは、どんな社会を実現するかという党としてビジョンが希薄なこと、地域組織が未整備で日常活動が不足していること、風だのみの政党であることなど、様々な弱点の結果である。
克服すべき問題を抱えながらも、野党が束になって戦ったことが今回の成果ではないか。
◆政権と協調する労働界の巨大組織
連合が「大企業の正社員労組」とか「労働貴族」などといわれるようになって久しい。20年余り実質賃金が上がらず、上場企業は大儲けで利益を内部留保にため込み、非正規労働者が増加する。所得格差や貧困問題が叫ばれている時、連合は産業界と連携し、大企業労組が取り分を増やすことに精力を注ぐ。
エネルギー革命やデジタル化、地球環境問題など大企業が抱える問題が複雑化する中で、労働界の巨大組織は労使協調を超え、政権との協調、大政翼賛へと舵を切る。愛知11区の「議席差し出し」や「野党共闘」への『妨害』などに現れた連合の現状に、メディアはもっと目を向ける必要がある。
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