山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
原発政策の大転換が始まろうとしている。岸田首相は8月24日、「休止中の原発再稼働、老朽原発の運転継続、次世代型原発の開発・建設」の3点について、諮問機関である「GX(グリーントランスフォーメーション)実行会議」に検討を求めた。3•11福島事故を受け「脱原発」が課題となっていたが、政府は一転して原子力を「クリーンエネルギー」として積極活用する方向へ舵を切った。
旧統一教会と自民党の癒着、安倍元首相「国葬」の是非に世間の目が集中している時、原発復権が突如持ち出された。しかも「再稼働」だけでなく「新増設」まで踏み込んだ。
背後には「産業と技術の消滅」に危機感を募らせる人たちがいるが、11年前の福島第一原発事故から私たちは何を学んだのだろうか。
◆「原発回帰のチャンス」到来
ウクライナ戦争もあり、石油・天然ガスの供給が世界的にひっ迫している。電気・ガス料金が高騰し、冬場の安定供給に不安が広がっている。長い目で見れば温室効果ガスをゼロにするため、化石燃料を減らさなければならない。
エネルギーをいかに確保するか。「原発回帰のチャンス」と経済産業省や原子力業界は考えたのだろう。
「東日本大震災以降のエネルギー政策の大きな転換点といえる。政治家が強い意志を持ち、方向性を打ち出したことを高く評価したい。原子力に携わる人材の技術継承を考えれば、ギリギリのタイミングだった」
秋元圭吾・公益財団法人地球環境産業技術研究機構 システム研究グループリーダー・主席研究員は8月31日付の読売新聞のインタビュー記事でこう述べている。同機構は、経産省の肝いりで産業界が出資した財団法人。理事長の山地憲治氏は、政府のエネルギー政策に深く関わる原発学会の重鎮だ。秋元氏の論考は「原子力ムラ」の考えを代弁したもので、紙面化した読売新聞は初代原子力委員長を務めた正力松太郎氏(1969年没)が社主として辣腕(らつわん)をふるい、一貫して原発推進の旗を振るメディアである。
世論は3•11事故以来、「安全性」を重視し、原発に消極的になっている。政府は「安全性が確認された原発は再稼働する」としているものの、東京電力や関西電力で原発がらみの不祥事が相次いで表面化したこともあり、再稼働は思うように進んでいない。福島第一原発事故前は54基あった原発のうち、再稼働にこぎ着けたのは10基にとどっている。
計画中も含め原発の新規建設は全くめどが立っていない。原発の耐用年数は40年、これを60年に延ばしたものの新たな建設がない限り、時の経過とともに、「原発ゼロ社会」は現実味を増している。
業界や研究者の間では、「人材が枯渇し技術の継承ができない」「世界の原発市場で競争力を失う」という焦りが広がっている。秋元氏のいう「ギリギリのタイミング」とはこうした事情を指しているのだろう。
◆「小型モジュール式原子炉」開発ブーム
仕事がない、研究が事業に結びつかない。アメリカ、ロシア、中国ばかりか韓国まで次世代原発の開発に力を入れているのに、日本は立ちすくんだまま、世界のトップレベルだった技術を磨くこともなく、立ち枯れていく。事業や研究に携わる人たちに危機感は募るばかりだった。
「ここ数年、特に国際原子力関連のニュースで、新しい型式となる『小型モジュール式原子炉(SMR)』の文字を見ない日はないくらい、猫もしゃくしもSMR、SMRともてはやすブームとなっている」
村上朋子・日本エネルギー経済研究所原子力グループ研究主幹は週刊エコノミストで、研究現場の雰囲気を書いている(8月23日号「次世代原発 バラ色にもてはやされるSMR」)。
一般にはなじみの薄い「小型モジュール式原子炉」だが、研究者の世界では関心の的になっている。大規模原発は安全基準の強化や建設費高騰で困難になった。その代替がコストの安い簡便な小型炉、ということで開発ブームが起きている。
日本でも自民党を中心に開発推進の動きが出ている。旗を振るのは経産省。経産相の諮問機関である総合資源エネルギー調査会の部会などで議論を仕掛けてきた。錦の御旗は「日本の原子力産業を守れ」。技術の継承、人材の養成、国際競争力の強化を主張している。
追い風になっているのが、ウクライナ戦争と石油ガスのひっ迫だ。温室効果ガス削減を目指すエネルギー革命が絡む。化石燃料を限りなくゼロに近づけ、「クリーンなエネルギー」に転換する。担い手は再生可能エネルギーだが、全てを賄うには不安がある。温室効果ガスを出さない原子力発電を「クリーンなエネルギー」と見立てて不足分を補う。
だが、原子力はクリーンなエネルギーなのか。福島で何が起きたかその事実を見れば、原発をクリーンエネルギーと呼ぶことのウソがわかる。
◆「避難指示」解除後の現実
8月30日午前0時、福島県双葉町の「避難指示」が解除された。2011年3月11日の震災によって起きた東電福島第一原発の事故で、双葉町には「避難指示」が出され、唯一の「全町立ち入り禁止」となっていた。11年が経ち、町の中心部5.5平方キロが復興拠点に指定され、ここだけ「避難指示」が解除された。
放射能汚染で立ち入りが禁止された野山の中に、飛び地のような復興拠点ができ、新しい役場が建った。9月5日から業務は再開されるが、町民のほとんどは帰ってこない。
指定解除に合わせて帰還する「準備宿泊の登録者」は52世帯85人だけ(8月26日現在)。震災前、7100人ほどの町民がいたが、帰還を希望しているのは1割程度という。
避難先で仕事を探し、子供は学校に通い、生活の基盤のようなものができた。故郷に戻っても家は廃屋同然、職場や田畑はすでにない。町は「5年後に人口2000人を目指す」というが、見通しは立っていない。
海沿いの地域では、海洋汚染が新たな問題になろうとしている。原発跡地に残る核燃料の残骸を冷却する地下水が汚染されている。タンクにためておくにも限度があり、処理して海に流すことになったが、処理水に残る放射性物質のトリチウムは除去できないため大量の水に薄めて放出する、という。水で割っても汚染物質が海を汚すことには変わりない。
地震や津波は復興が可能だが、放射能はほぼ永遠に環境を汚し、人体をむしばむ。
◆福島第一原発事故で日本の政治は何を学んだのか
小泉純一郎元首相を囲んで、「なぜ原発反対に転じたか」を聞いたことがある。元首相はその転機を「フィンランドが進める核廃棄物の最終処分場『オンカロ』を視察したことだった」と言った。
「原発はトイレのないマンション」と言われるように、核燃料廃棄物の処理方法は確立していない。核燃料は燃え尽きても、強烈な放射線を発しつづけ、近づけば人は死ぬ。核廃棄物は無害化するまで数十万年の時間が必要とされ、その間安全に管理することが欠かせない。
途方もない時間軸を前に日本をはじめ各国は、抜本的な対策を棚に上げ、原発基地などで取りあえずの保管をしている。最終処分場所は未定のまま、保管技術も確立していない。
フィンランドでは、核廃棄物を人が触れることなく10万年の間保管するため最終処分場「オンカロ(深い穴)」を北極圏の島に掘った。それでもなお安全が保証できるかわかなないという。小泉氏は現場を訪れ、原子力の恐ろしさに正面から向き合わなかったことを強く反省した、という。事故がなくても原発は手間とコストを伴う危険なエネルギーだが、政治にその自覚はなかった、という。
すべては「事故は起きない」という大前提で成り立っているが、大事故を経験した日本の政治は何を学んだのか。
ウクライナでは欧州最大の原発基地・ザポリージャが戦場になっている。ロシア軍が占領し、原発を盾に攻撃を仕掛け、ウクライナ側が砲撃するなど、大事故に発展しかねない「危機一髪」の状況が続いている。人の命を無慈悲に奪う戦争では、原発の安全性確保などあったものではない。
日本は、日本海側に原発が集中している。「戦争は起きない」「戦争は考えない」という前提で立地されているが、その前提が怪しくなった。
事故や攻撃で原発が暴走すれば、日本全体が汚染される恐れがある。福島第一原発事故では、それが現実になりかけた。
◆唐突な「原発回帰」
原発事業に携わる企業や経営者にとって、原発がなくなることは避けたい。「平和利用」という立場から研究に取り組んできた学者も耐え難いことだろう。
原発推進は、政府の産業政策と産業界・学会さらには旗振り役のメディアによって進められてきた。時の権力者を動かすことができる利害関係者が今なお力を持っている。
その一方で、住む家を追われ、異郷で不自由な思いを強いられた人々が大勢いて、復興から取り残されている。
仮に、モジュール型小型炉の開発が進んだとしても、日本のどこに立地するのか。事故など起きない原発などないだろう。その時、住民はどうやって逃げるのか、避難計画さえ決まっていない自治体がたくさんある。そして、避けることができない核廃棄物の処理をどうするのか。
考えてこなかったことばかりだというのに、唐突に「原発回帰」が打ち上げられた。この国の政治は、どうなっているのだろう。
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