п»ї 「村上処分」その前にすべきこと-自民衰退を映す「異論抹殺」『山田厚史の地球は丸くない』第223回 | ニュース屋台村

「村上処分」その前にすべきこと-自民衰退を映す「異論抹殺」
『山田厚史の地球は丸くない』第223回

10月 12日 2022年 政治

LINEで送る
Pocket

山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

「私に言わせりゃ国賊ですよ」。安倍晋三元首相を語ったひと言で、自民党衆議院議員の村上誠一郎氏が党内で窮地に立っている。10月12日には党紀委員会が開かれ、「役職停止1年」という「処分」が下された。旧統一教会との深いつながりばかりか、「安倍政治の功罪」に触れないまま催された国葬に異を唱えた村上氏。「役職停止」とは、村上氏が正論を展開する舞台にしてきた党総務会への「立ち入り禁止」を意味する。口封じのような処分に、懐の深さを失った自民党の姿が見える。

◆「国賊発言」の発端

村上誠一郎と安倍晋三。ほぼ同世代、政治家一族に生まれ、若くして政界に出た。村上は1952年生まれ、当選12回、安倍は54年生まれの当選10回。源流をたどると、村上は石橋湛山、安倍は岸信介である。戦後の保守政界で首相の座を懸けて激突したリベラル・右派の政治思想が、70年の時を経て「国賊発言」の背後に漂う。

ことの発端は9月20日に開かれた自民党総務会。安倍晋三元首相の国葬が議論になった。村上は、この場で安倍の葬儀を国葬として行うことに批判的な意見を述べた。

総務会は党の方針を決定する場。「自由闊達(かったつ)な議論」を妨げないようにと、非公開が原則だ。村上は、かねてからアベノミクスの金融・財政政策に批判的で、官僚や議員を人事で押さえ込む官邸主導に強い違和感を抱いていた。これまでも秘密保護法の採決に加わらなかったりするなど、節々で「たった一人の反乱」を貫いてきた。

「総務会で国葬反対を主張するのでは」と、期待した新聞記者が終了後、村上議員を囲んだ。問われるままに安倍政治を批判し、「国葬に出席する考えはない」と語った。時事通信は同日午後、以下のニュースを配信した。

「自民党の村上誠一郎元行政改革担当相は20日、安倍晋三元首相の国葬について『最初から反対だし、出るつもりもない』と述べ、欠席する考えを明らかにした。安倍氏の政権運営が『財政、金融、外交をぼろぼろにし、官僚機構まで壊した。国賊だ』と批判した」

第一報で「国賊」発言に触れたのは、時事だけだった。村上はこう釈明する。

「顔見知りの愛媛新聞と朝日新聞の記者から『総務会の話を聞きたい』と言われ、自分の考えを話した。『国賊』と貶(おとし)める発言をした記憶はない。現に愛媛新聞も朝日新聞も、最初は『国賊』などと書いていない。その場に時事の記者がいたとは知らなかった。批判的な言い回しがそのように伝わったかもしれないが、『国賊』は本意ではない。遺憾だ」

気の置けない記者との雑談を、たまたま同席した時事の記者が暴露的に書いた、まさか記事になるとは思わなかった……。そんな釈明だが、覆水盆に返らず、である。

ちなみに朝日新聞は、一報で「国葬欠席」をニュースにしたが、「国賊」発言には触れていない。時事の配信が波紋を広げた後になって「財政、金融、外交をぼろぼろにし、官僚機構まで壊して、旧統一教会に選挙まで手伝わせた。私から言わせれば国賊だ」と述べた、と補足した。

推測だが、ざっくばらんな話を聞いて、国葬に出ない理由はよく分かった、発言をそのまま記事にすれば信頼関係を損ねるから、敢えて「国賊」に触れなかった。たまたま囲みに混じっていた、村上が顔も知らない時事の記者が、忖度(そんたく)抜きで記事にした、ということのようだ。政治取材ではよくあることだが、自民党内で窮地に立つ保守派をいたく刺激した。「元首相を国賊呼ばわりするとは何事か」と、いきり立った。

安倍亡き安倍派は9月29日の派閥総会で「国賊発言を党紀委員会にかけ、村上議員の厳正な処分を求める」と決議。「公認をもらった人を国賊と言うなら、自ら先に辞めるべきだ」「党の政策に反対なら出ていけばいい」などと安倍派議員から非難轟々(ごうごう)だ。世耕弘成参議院自民党幹事長は「極めて不適切な言葉で、政治家が絶対に使ってはいけない言葉だ」と、安倍派の重鎮・衛藤晟一(せいいち)参議院議員が委員長を務める党紀委員会に処分を託した。衛藤は安倍元首相の盟友。村上に弁明書を提出することを求め、12日は本人抜きで「処分」が決まるという。

◆銃撃が暴き出した安倍とカルト集団との繋がり

「村上叩き」は、自民党の鬱憤(うっぷん)晴らしのようにも見える。旧統一教会問題で底なしの関与が明るみ出て、内閣支持率は下がるばかり。当事者はひたすら頭を下げ、「接触を断つ」と繰り返す。「国賊」の言葉尻をとらえ、たまった鬱憤を村上にぶつけたものの、世間は圧倒的に「よく言った」が主流だ。「自民党から声が上がらないことが問題」「村上さん、首相になって」などという書き込みがネット上を賑わせている。

賛否渦巻く安倍政治を、功績一辺倒の国葬で記憶に残すという「安倍神格化」は、国民に支持されているとは言い難い。銃撃が暴き出した安倍とカルト集団との繋(つな)がりは「安倍国葬」に大きな疑問符を投げかけ、国葬後も「評価できず」が「評価する」を上回った。

岸田首相は、自民党と旧統一教会との接触調査から安倍を外した。読売新聞の世論調査では「安倍元首相の関係について調査を行うべきだと思いますか」という問いに、「思う」が59%を占め、「思わない」の37%を圧倒した。

選挙のたびに安倍が旧統一教会票の配分を行っていたという証言も出ている。細田博之衆議院議長が安倍派を代表して旧統一教会の関連団体の会合に出席し、「今回の盛会を安倍首相(当時)に報告します」と祝辞を述べた。自民党は上層部にいけばいくほど濃厚な関与が明らかになっている。

本気が疑われる「聞き取り調査」や、曖昧(あいまい)な説明が放置される中で、なぜ村上議員ばかり「処分」で責め立てるのか。「寄らば大樹の陰」で群れ、意見が違う者を排除する自民党は、有権者の支持を得られるだろうか。

村上は「私を処分する前に、安倍さんと旧統一教会との関係や、アベノミクスの経済政策や北方領土など外交の成果をきちんと吟味することが自民党にとって必要なことではないのか」と親しい人に話したという。

「安倍、菅の2人は報復型の政治家だ」と村上は見る。自分の意見に従わない議員や官僚は排除する。公認や人事を握り、威嚇(いかく)する。怖くて逆らえない、という空気が党内に充満している、という。

「異端と言われるが、私が自民党の本流だ。昔の自民党は議論に幅があり、柔軟だった。小選挙区制と安倍の官邸主導で、党全体がどんどん右に寄った」と村上は言う。

◆村上の源流は石橋湛山

戦後日本の経済的発展は、「成功した社会主義」と言われるように対立する社会党の政策を取り込み、分厚い中間層に配慮した自民党の分配政策が経済を底上げした、と村上は指摘する。その源流は戦時中、軍部に睨(にら)まれながら、日本の植民地経営を批判しながら生き抜き、戦後日本に指針を示した石橋湛山である。

村上は自らの政策や主張を編纂(へんさん)した冊子『Professional』を毎年発行しているが、巻末に石橋湛山の言葉を載せている。

「政治家にはいろいろなタイプの人がいるが、もっともつまらないタイプは、自分の言葉を持たない政治家だ。カネを集めることが上手で、また多くの子分を抱えているというだけで、有能な政治家となっている人が多いが、これは本当の政治家とは言えない。(中略)派閥のためのみ働き、自分の親分の言うことには盲従するというように、今の人たちはあまりにも弱すぎる。(中略)いやしくも政治家になったからには、自分の利益とか、選挙区の世話よりも、まず国家・国民の利益を念頭に置いて考え、行動してほしい」

そのまま今に通ずる言葉ではないか。石橋は戦後、通産大臣になり「加工貿易立国論」を唱え、日中米ソ平和同盟を主張した。親米一辺倒に距離を置いてアメリカの不興を買い、一時は公職から追放された。鳩山内閣崩壊後、首相の座を懸けて争った相手が、親米・反共の岸信介だった。総裁選で競り勝った石橋は1956年12月、首相に就任。国民皆保険、福祉国家建設、対米自主外交、日中貿易の促進、世界平和の確立など「五つの誓い」を掲げたが健康を害し、翌57年2月、総辞職。岸政権が誕生し、対極的な日米安保体制へと進む。自民党と旧統一教会との関係が生まれたのもこのころである。

村上の亡父信二郎は衆議院議員で三木武夫の派閥に属していた。三木は石橋が第2代自民党総裁に就任した時、党幹事長を務めた腹心で、石橋の引退後、政治思想を引き継いた。三木派を継いだのは河本敏夫で、村上は東大在学中に河本と知り合い、卒業後、河本の秘書として政界に踏み出した。河本・三木を介して石橋に繋がるもう一つの自民党の流れは村上にたどり着く。

◆検証すべき安倍政治

旧統一教会との絡みは、岸信介から安倍晋太郎を経て、安倍晋三へと続く自民党の裏面史に根を張っている。岸からの親米・反共路線と無関係ではない。国民のわだかまりが晴れないのは、そうした根本問題に触れずに形だけの「聞き取り調査」で逃げようとする自民党の姿勢だ。

「安倍国賊論」は、村上が言い出したものでない。すでに広く語られ、検証すべき政治課題の一つではないか。旧統一教会だけの問題ではない。世界的な物価高騰、急速な円安。それでも日本が利上げできない最大の理由は、アベノミクスによる国債乱発・借金まみれの国家財政で、政策の手が縛られているからだ。張りぼてのように膨らませた日本経済から金融緩和のガスが抜かれた時、私たちの暮らしはどうなるのか。

出口戦略がないまま、国債という劇薬に頼ってきた日本の総決算が、激変する世界経済の中で始まる。「安倍は国賊」という言葉が現実味を帯びるのはこれからかもしれない。

異論を排し、仲間内で褒め合ってやり過ごす、ということを続けている限り、日本に再生の道は開けない。石橋湛山が指摘するように、信念を持ち、自分の言葉で語る政治家が登場する時代は訪れるのだろうか。(文中、敬称略)

コメント

コメントを残す