山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
「鮒侍(ふなざむらい)」という言葉を、エコノミストの浜矩子(はま・のりこ)さんから聞いた。
フナはコイのように悠々と泳ぐサカナではない。狭いところで、あっち向き、こっち向き、せわしく、ちょろちょろ。そんな泳ぎ方から「定見のない役職者」をフナザムライと言うらしい。仮名手本忠臣蔵では、高家旗本の吉良上野介(きら・こうずけのすけ)に「フナじゃ、フナじゃ、フナザムライじゃ」と罵倒(ばとう)された赤穂藩藩主の浅野内匠頭(あさの・たくみのかみ)がブチ切れて松の廊下で……。
浜さんは「岸田首相は典型的なフナザムライです」と言う。
攻撃用ミサイル配備とか、敵基地攻撃能力とか、乱暴なことを「被爆地ヒロシマの政治家」と言いながらやる。
金持ち増税である「金融資産への課税」を主張していたのに、金持ちが喜ぶ「資産倍増」に変わった。
「軍事費倍増」を打ち出しながら、今度は「異次元の少子化対策」に看板を変える。この「定見のなさ」はなんだろう、とモヤモヤしていたが、「そうか、フナザムライなんだ」と思い至ってスッキリしたという。
◆日本の「防衛政策大転換」で米は大喜び
自民党という狭い世界で、フナのようにちょろちょろ泳ぐ。抵抗にぶち当たると、すぐ方向を変える。安倍元首相に気を遣っていたが、いなくなると、今度は菅前首相。旧安倍派の党内保守派にも配慮する。信条がないから、なんでもできる。「外交の岸田」と自称しながら、「外交には強い防衛力が必要」と言い出した。
読売新聞は1月23日付の1面トップで、「日本への中距離ミサイル配備、米が見送りへ」と報じた。
「米政府が、日本列島からフィリピンにつながる『第1列島線』上への配備を計画している地上発射型中距離ミサイルについて、在日米軍への配備を見送る方針を固めたことが分かった。日米関係筋が明らかにした。日本が『反撃能力』の導入で長射程のミサイルを保有すれば、中国の中距離ミサイルに対する抑止力が強化されるため不要と判断した」と書かれていた。「そうか、やっぱり!」と思った。
米国は「中国を標的にした中距離ミサイル網の構築」を自前ですることが重荷になっていた。日本がやってくれることになったので、自分たちでやる必要がなくなった、と判断して「見送る」いう記事である。今の日米同盟の実態が滲(にじ)み出ている。中国を「戦略上の最大のライバル」と位置付け、「対中ミサイル網」に腐心してきたホワイトハウスは、日本の「防衛政策大転換」で一件落着、と大喜びだ。
アフガニスタンから撤退するなど、米国は戦略の軸足を中東から北東アジアに移した。ところが、台湾周辺は1000基を超える中距離ミサイルで海峡を睨(にら)む中国に対し、米軍はゼロに近い。台湾有事となった場合、劣勢は否めない。米議会は2022会計年度に51億ドル(当時のレートで約5600億円)を計上したが、とても足りない。米政府は頭を抱えていた。
「米、対中ミサイル網計画 配備先、日本は最有力候補」という記事が朝日新聞に載ったのは2021年7月8日。
「米インド太平洋軍(司令部・ハワイ)が九州・沖縄から台湾、フィリピンを結ぶ第1列島線に沿って対中ミサイル網を構築する計画を進めている。(中略)日本国内を最有力候補地と考えており、実際に配備となれば、日本は米中対立の最前線として軍事的緊張を強いられることになる」。
背景にあるのが「米中覇権争い」。米国は自前の予算で、米軍の装備として、米軍基地にミサイルを配備する必要に迫られていた。しかし、在日米軍基地に中国を狙う攻撃兵器が配備されれば、反撃の対象となる。日本は「米中対立の最前線」になり、米国も慎重になっている、という記事である。
◆「異次元軍事予算の岸田」に方向変える
米国側の憂慮は①新たな配備は安保条約に基づく事前協議が必要で日本側の了解が必要②攻撃兵器の持ち込みは反撃の対象になる③基地に対する反対運動を誘発しかねない――など。
陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」を秋田、山口に配備する防衛省の計画に地元が強く反対し、政府は断念を迫られた直後のことで、「防衛用の装備でさえ標的になると反対された。攻撃ミサイルの受け入れはハードルが高い」という関係者の心配が書かれていた。
朝日の記事が出る4カ月ほど前、米上院の公聴会で「衝撃的」な問題提起がなされた。米インド太平洋軍司令官だったデービッドソン中将(当時)が「中国は6年以内に台湾に武力侵攻する可能性が高い」と証言した。舞台は軍事予算を検討する公聴会、増額要求のため現場責任者が危機を煽(あお)った、とも受け取れる発言だが、これを機に「台湾有事」が声高に叫ばれるようになった。
「チャンス到来」と動き出したのが自民党保守派。「台湾有事は日本の有事」と喧伝(けんでん)し、「安保条約があっても、自分の国を自分で守らない国をアメリカは守ってくれない」という理屈で「自主防衛」を説き、攻撃は最大の防御とばかり「敵基地攻撃能力」を打ち出した。旗を振ったのが安倍元首相だ。
「外交の岸田」は、あっという間に向きを変え、「異次元軍事予算の岸田」になった。自民党で旧安倍派に屈し、支持率で国民に見放され、頼るのは「米国の後ろ盾」しかないということか。米国のお荷物である「対中ミサイル網」を日本がカネとリスクを負って肩代わりします、と買って出た。
日本がアメリカの事情を忖度(そんたく)して言い出したのか、圧力に屈したかは定かではない。いずれにせよ、アメリカの事情に配慮し、国民の知らないところで話がついたのだろう。
◆国民を「異次元の危機」に追いやる恐れ
戦後、営々として築いてきた「専守防衛」をあっけなく踏みにじり、米中衝突となれば日本は最前線となる。膨大な軍事予算が暮らしを圧迫する。アメリカにとってこんな都合のいいことはないが、「そんな危ない決定を勝手にするな」と言いたい。2022年末の閣議決定は、国民の命と暮らしを危機にさらした、と歴史に残るだろう。
それほどの「重い決定」を、フナがちょろちょろ泳ぐように向きを変える。バイデン大統領は喜んだ。ホワイトハウスは、大統領が岸田首相の肩を抱く写真を世界にばらまいた。抱かれてニコニコうれしそうな首相の顔が、なんとも悲しい。「米国の後ろ盾」ほしさに、国民の命と暮らしを税金もろとも大統領に差し出した。そんな構造が重なって見えるツーショットだ。
防衛費の増額と防衛戦略の転換は、昨年5月の日米首脳会談で大統領に約束していた。その後の交渉で、日本が米国の巡航ミサイル「トマホーク」を買って配備することも決まった。自衛隊は米軍の指揮下に入り、中国に絡む軍事情報を米軍からもらい、防衛技術で協力もする。禁止されていた武器の輸出も「防衛装備品の移転」という名で、おおっぴらにできるようにした。次は大学で軍事研究ができる体制を整備すること。その際、学者組織である日本学術会議が抵抗するだろう。人事権を政府が握り、コントロールしやすくする。そのために日本学術会議法を改正する。
原発の新増設・再稼働も、突然のUターンだ。福島第一原発事故はまだ終わっていない。爆発した原子炉から溶け出した燃料棒の残りかす(デブリ)を取り出すこともできず、人が立ち入れない、住めない地域が今も残っているのに、ケロッと忘れたかのように、フナザムライは向きを変えた。「ヒロシマの政治家」は、「原子力発電はクリーンでグリーンだ」と言う。そして今度は「異次元の少子化対策」。下がる出生率を反転させる、という。
本気を疑わせるこの軽さ。そんな人がこの国のリーダーだ。浜さんは「悪辣(あくらつ)さを感じさせないことが始末に悪い。国民を異次元の危機に追いやる恐れあり」と言う。みなさん、どう思いますか?
医療関係者ですが全く同感です。コロナ対策の、手のひらを返したような変身ぶりに、怒りを通り越して唖然としています。国民、特に高齢者の命なんかよりも自分の支持率のほうが大切だなんて総理大臣の資格はありません。