п»ї NI(ネイティブ・インテリジェンス、固有場知能) 『みんなで機械学習』第39回 | ニュース屋台村

NI(ネイティブ・インテリジェンス、固有場知能)
『みんなで機械学習』第39回

5月 23日 2024年 社会

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山口行治(やまぐち・ゆきはる)

o株式会社ふぇの代表取締役。独自に考案した機械学習法、フェノラーニング®のビジネス展開を模索している。元ファイザージャパン・臨床開発部門バイオメトリクス部長、Pfizer Global R&D, Clinical Technologies, Director。ダイセル化学工業株式会社、呉羽化学工業株式会社の研究開発部門で勤務。ロンドン大学St.George’s Hospital Medical SchoolでPh.D取得(薬理学)。東京大学教養学部基礎科学科卒業。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。

◆制作ノート

英国の経済学者エルンスト・シューマッハー(1911~1977年)の「スモール イズ ビューティフル」における中間技術の提案を、「みんなで機械学習」として実現するため、「スモール ランダムパターンズ アー ビューティフル」という拙稿を連載している。前回は、近代合理主義の微分的思考との比較で、データの機械学習を積分的思考として描写してみた。今回が最後の各論となる。NI(ネイティブ・インテリジェンス、固有場知能)を活用する農業を、近未来のデータ文明に向かう産業的な試行錯誤として再考してみたい。「スモール ランダムパターンズ アー ビューティフル」は途中の画像以降なので、制作ノートに相当する前半部分は、飛ばし読みしてください。逆に言うと、制作ノートは形式にこだわっていないので、まとまりがないけれども読みやすいかもしれません。

「スモール ランダムパターンズ アー ビューティフル」のゴールは、結論を論理的に構築することではなく、生活のライフサイクルにおいて、データの世界との共存・共生・共進化に希望を実感することにある。近代的なモノの価値に従属する経済から、コト(サービスなど)の意味を重要視する経済への移行を時代背景として、近未来のデータサイエンス テクノロジー アンド アート(データの世界)が、人類の文明論的な変革をもたらす夢物語を、少なくともディストピアとはしない、複数の探索路を切り開こうとしている。物語のゴールにおいては、意味が認知される以前の「データ」そのものが、みんなの機械学習によって、「言語」とは別の、文明の道具になるだろう。

◆文明と道具

どのように文明(Civilaization)を定義するのかは難しい問題であっても、文明とともに発達した道具(技術)については、明確なイメージを持ちやすい。人類にとって、最初で最大の技術は「火」の利用だったに違いない。人類の火の利用と、言葉の獲得のどちらが早いのか、筆者は知らないけれど、話し言葉は技術とは考えないことにする。鳥類などの動物にも、ある程度の言語能力がありそうだし、言語は技術や文明とは異質で、それらの基盤となる役割があるので、人類最初の技術を「火」と考えることに大きな無理は無さそうだ。ギリシャ神話に、プロメーテウスがゼウスから「火」を盗んだ物語があって、フランスの哲学者ベルナール・スティグレール(1952~2020年)の大著『技術と時間』(法政大学出版局、2009年)は、このギリシャ神話から論旨を展開している。火を利用する前に、火を神から盗んだということが重要で、人類は火によって罰せられることにもなる。

筆者の技術論は、スティグレールのように、ハイデガーの『存在と時間』を意識した本格的な哲学ではなく、個体差の機械学習を実現するための思考実験だ。この思考実験では、人間中心の時間ではなく、生活の場の固有性に技術の足場を見いだしている。西洋合理主義の時間概念における微分的思考から脱却して、より数学的に完成度が高く、コンピューターとの相性が良い、データ中心の積分的思考への移行を、文明論的な文脈で考えてきた。「火」の利用に続く、文明論的な社会の変革をともなう技術革新は、書き言葉の発明だったと思われる。そして、書くことでしか表現・理解できない数学の証明のような高度な技術が形成されてきた。幾何学や微積分学は、数式と証明を言語によって説明することで、なんとか理解できるようになる。しかし、ルベーグ積分論以降の数学や、確率論においては、専門の数学者でも、理解の限界に挑戦しているようなものだ。データの機械学習においては、多分正しくても、少なくとも人間の予想よりは優れていたとしても、その内容を理解できる保証はない。コンピューターが人間の理解能力を超えたことが問題ではなく、量子力学などの確率的な自然現象においても、因果関係が確率的にしか成立しないので、数学的に数式で表現できたとしても、その意味が説明できなくなってしまった。現在のコンピューターは数式の表現力はとても劣っているので、数学の理解能力は数学者のほうが優れているとしても、技術として計算結果だけを評価すれば、コンピューターのほうが有利ということになる。

近未来の技術が、「データ」の利用技術となることの社会的な含意について、筆者の思考実験では、「みんなで」試行錯誤すること以上の探求方法を見いだせていない。いまだに「火」を盗んだ罪状に苦しんでいるので、AI(人工知能)技術の社会的な影響力や倫理の問題がどのような展開になるのか、容易には予想できない。一方で、『アメリカ哲学入門』(ナンシー・スタンリック、勁草書房、2023年)におけるネイティブ・アメリカンの哲学は、高度に洗練された積分的思考そのものだ。普遍的真理という、西欧文明の幻影にとらわれずに、生活の場に蓄積された個別の知識を総合的に理解することの重要性を、ネイティブ・アメリカンは物語として表現する。生活の場に蓄積され表現された個別の知識を、植物たちはよく理解している。私たちも高度に洗練された積分的思考を、機械学習するコンピューターとともに、ネイティブ・アメリカンや植物に見習いたいものだ。より正確には、日本でも縄文時代には、高度な積分的思考はあったはずだし、実際に弥生時代や古代において、高度に洗練された社会経済システムが実在していたことが、書き言葉の史料から明らかになってきている。西欧文明の発展は、その他の文明の衰退や停滞との相対的な現象でしかなく、人類全体の文明には、いまだ多くの未到の可能性があることを信じたい。

◆個人主義と社会主義、再論

前稿で個人主義と社会主義について、というよりも、本論全体の未来素描として、「近未来への現実的なシナリオとしては、資本主義社会からの冒険的延長として(試行錯誤であって革命ではないという意味)、個人の表現で社会を構成する、社会志向の表現主義が、個体差を機械学習するAI技術によって社会実装される(経済制度として機能する)シナリオを模索している。」とまとめて、「AI技術は、AI技術者に任せておくには重要すぎる」と結んだ。記載内容自体には違和感はないけれども、組織は組織でできているという「くりこみ理論」(※参考:『みんなで機械学習』第16回「中間組織のデータサイエンス」など)にこだわってきたので、もう少し深掘りしてみたい。

論旨の展開を、個人主義か社会主義かという選択の問題として設定していることに問題がある。論旨としては、大きい社会主義か小さい社会主義の選択と、理性的な個人主義か生理的な個人主義の選択の組み合わせとするほうが、本論全体の趣旨と整合している。筆者の選択は、小さい社会主義と生理的な個人主義の組み合わせだ。小さい社会(社会集団)を、家族まで小さくすると、生理的な個人主義との相性が良いことは、ほぼ自明だろう。小さい社会を、ネイティブ・アメリカンのように、部族とすることも考えられる。大きい社会を「帝国」とすれば、マルチチュード(※参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%89 )というネットワーク個人主義が対立軸になるという政治論もありうる。社会志向の表現主義も、個人主義の仲間だ。複数の社会主義と、複数の個人主義が、同時並行的に存在しうる可能性として、全体主義と理性的個人主義のような、相反・矛盾する極端な思考法を局所に限定して(歴史的事実として確認する程度の意味)、未来志向で様々な組み合わせを、状況に応じて調整することを想定したい。筆者としては、スピノザの国家論が立ち止まったマルチチュードからの再考(立憲君主制から民主制へ)として、昨今の行政的な調整は、AIを活用する立憲AI制を志向して、人びとは近未来に向けた問題解決を民主的に行うことを考えている。そのような近未来の社会制度が望ましいかどうかは別問題として、「みんなで機械学習」する仮想的な(シミュレーションによる)社会変革の試行錯誤を、中小企業の経営論として実践することが、筆者自身の社会課題となる。

NI(ネイティブ・インテリジェンス、固有場知能)農業論

「火」の利用から、書き言葉としての数学へと、文明の技術的な発展をたどったのは、近未来のAIへの道を急いだからだ。およそ1万年前の農耕革命、さらには鉄器時代へと、メソポタミアやオリエントにおいて、文明の技術的な発展があったことはよく知られているし、日本では弥生時代に、農耕と鉄器がほぼ同時に伝わってきた。農耕は、主食を穀物として定住する文化であり、縄文時代の、半定住で里海・里山で採取する雑食文化とは異質な文化だ。どちらの文化が優れているかということではなく、技術的な発展が、戦闘と支配による社会変革をもたらしたと考えたい。プロメーテウスが「火」を盗んでから、西欧文明はゆっくりと、時には技術革新により急速に、資本主義社会に向かって、高度化され洗練された社会制度を築いてきた。

しかし、資本主義社会における農業技術は、バイオテクノロジーやAI・ロボット技術によって急速に発展し、穀物輸出入は、食糧安全保障が懸念されるほどに経済的支配の中心課題であるにもかかわらず、農業は第1次産業に分類され、最先端の第3次産業(サービス産業)や第4次産業(IT技術による産業革命)のようには、投資の対象となっていない。農林水産省が第6次産業論(※参考:https://www.maff.go.jp/j/nousin/inobe/6jika/ )によって、未来の国民生活として、また投資家にとっても魅力のある農林漁業となる政策論をまとめているけれども、社会変革の理論(グローバル資本主義における競争優位性、程度の意味)としては、あまり成功しているとは思えない。

筆者の文明論的な視座では、西欧の近代合理主義哲学を批判的に乗り越えない限り、地球レベルでの農耕文化の行き詰まりが生み出す問題、例えば、土壌の消失や地球温暖化、人口問題と経済的的格差の拡大などを、西欧諸国以外の人びとに説得力のある解決策として提案できるとは思えない。近代合理主義哲学をデカルト主義に限定すると、デカルトに続く近代哲学の巨人、スピノザとライプニッツはともに、デカルト主義批判から出発している。スピノザは、人びとの倫理観のレベルから中世を乗り越えることを構想して、異端の哲学者となった。ライプニッツは、個体性や個別性の哲学的な含意を、合理的に説明することに失敗している。筆者は哲学者ではないけれども、デカルト以降の哲学を一読している限りでは、近代合理主義哲学を乗り越える哲学は見当たらないし、書き言葉の限界まで哲学しきっているように思われる。個体差の機械学習が可能になったとしても、個体性や個別性の哲学的な含意を、合理的に言語で記述できるとは思えない。このような難問への回答には、まずはデータ文明に移行して、言語の周辺から探索することになるだろう。そのために、データ文明が人類の終焉(しゅうえん)とはならないような、楽天的な近未来像が必要になる。本論がどの程度成功しているのかは別問題として、人間中心のAIではなく、非西欧文明や植物とともに、個体差の機械学習を試行錯誤するNI(ネイティブ・インテリジェンス、固有場知能)の可能性を、近未来の農業論として展開することが、その楽天的な未来像のひとつになるはずだ。

無限に近い雲のランダムパターン 2024年5月9日 筆者撮影

『スモール ランダムパターンズ アー ビューティフル』

1   はじめに; 千個の難題と、千×千×千×千(ビリオン)個の可能性

1.1 個体差すなわち個体内変動と個体間変動が交絡した状態

1.2 組織の集合知は機械学習できるのか

1.3      私たちは機械から学習できるのか

2   データにとっての技術と自然

2.1 アートからテクノロジーヘ

2.2 テクノロジーからサイエンス アンド テクノロジーへ

2.3 データサイエンス テクノロジー アンド アート

2.4 データサイクル

2.5 データベクトル

2.6 局所かつ周辺のベクトル場としてのデータとシミュレーション

3  機械学習の学習

3.1 解析用データベース

3.2 先回りした機械学習

3.3 職業からの自由と社会

3.4 認知機能の機械学習とデジタルセラピューティクス(DTx)

3.5 学習は境界領域の積分的探索-ニッチ&エッジの学習理論

3.6 機械学習との学習

4  機械学習との共存・共生・共進化-まばらでゆらぐ多様性

4.1 生活と経済の不確実性

4.2 生活と経済に関連する技術は、何を表現しているのか

4.3 スモール データ アプローチ-個体差のまばらでゆらぐ多様性

4.4 まばらでゆらぐ多様性の過去・現在・未来

4.5 生活の不確実性を予測する

4.6 弱い最適化脆弱性/反脆弱性からのスタート

4.7 ひとつのビッグ予測、たくさんのスモール適応

5  自発的な小組織(seif-motivated small organizations)

5.1 社会、地域、家族 vs. 国家、企業

5.2 組織は組織でできている組織サイクル

5.3 機械学習する組織

5.4 CAPDサイクル

5.5 ビジネス表現の個体差(AI中心8画面周辺モデル)

5.6 組織の周辺積分的思考(前稿)

5.7 データサービス商品を創出する知的自由エネルギー産業-NI農業とは(本稿)

データを用いた個体差の機械学習が可能になると、現在のような、大量のデータと巨大なコンピューターを用いた、グローバルIT企業による 独占的なAIビジネスとは別の、地域に根差した、より小規模なAIビジネスが重要になるはずだ。個性的で小規模なAIビジネスのビジネスモデルをネットワークで接続すれば、現在の独占的なグローバルAIビジネスよりも、高精度で効率の良い汎用(はんよう)的なAIビジネスモデルができる可能性もある。個体差が無いほうが望ましい、機械的な工業製品や工業原料などは、現在のロボット技術の延長になるとしても、個体差を考慮する必要がある健康関連サービスや、歴史的な背景に依存する環境問題などは、データの取得・利用方法について試行錯誤することになるだろう。現在、機械学習の対象となるデータは、言語データや記号データ(囲碁将棋を含む)、画像データや音声データなど、人間の感覚で理解しうるデータが大半だ。臭覚のように、進化の過程で失われた感覚を再現したり、視覚を電磁波の領域に拡張したりする、人間の感覚だけでは理解できない科学的なデータには、大量の遺伝子データが追加されつつある。スケール感としても、宇宙から地球の環境データを取得するなど、人間のスケール感覚をはるかに超えるデータも利用可能になっている。データを用いて、個体差の機械学習を行う可能性は、言語の限界をはるかに超えてゆくことは確実なので、AI技術が人間の知能を超える以前の問題として、データを中心とする産業構造の変革が、西欧文明の社会制度では対応しきれなくなり、資本主義社会の限界をより鮮明なものとするだろう。

機械学習などの積分的思考を活用するためには、網羅的なデータ集積が重要だ。グーグルのように、インターネットで収集しうる全てのデータは、宣伝行為などの政治・経済的データとしてはある程度の網羅性があるとしても、個人の健康データや環境評価データとしてはほとんど役立たない。データを利用する目的を想定して、網羅的にデータを収集する必要がある。天気予報のような、汎用性と網羅性のあるデータサービスであっても、特定の職業や、山歩き目的など、有償でサービスを改良する余地がある。微分的思考の場合は、法則によって記述される抽象的な概念に対応する特殊なデータがあれば、あとは計算で予測可能になる。微分的思考はシステムの記述に適していて、システムとその環境が想定の範囲内であれば、合理的な予測や制御が可能になる。システムが複雑になると、完全なシステムを作成することは困難で、システムの修正や改善が困難になり、システムを使う人びとの教育や役割も不明確になりやすい。積分的思考は、プロセス志向と相性が良く、特にシステムの周辺におけるデータを網羅的に収集して利活用するプロセスが重要になる。ビジネスにおけるシステムの場合、組織の周辺には、顧客や非正規社員などが該当するので、各プロセスの教育や役割の明確化が不可欠だ。しかし、大規模な組織の場合、プロセスも複雑で多数になるため、プロセスを支援するシステムが必要になる。システムがプロセスを規定する微分的思考ではなく、あくまで、実務のプロセスを、データで支援する積分的思考が本論の課題だ。

具体例で考えてみよう。従来の農業は、食糧を生産して供給することを目的としていた。しかし、食事の目的を、健康を維持向上することと考えると、消費者の健康状態に応じて、農作物を供給する、個別化農業が求められる。タンパク質としての農作物には、養鶏や酪農に加えて、漁業や水産加工品も含まれるだろう。代替肉の可能性もある。健康として、精神生活の健康も含めるのなら、里山や里海の、良好な自然環境も重要な「農産物」といえるかもしれない。健康な地域社会に貢献する農業というイメージだ。既存のAI技術を農業機械に応用するのではなく、農業をAIに取り込んで、NI(ネイティブ・インテリジェンス、固有場知能)として、近未来の社会や技術を構想する、構想を実現するためのデータサービス商品(個人ごとに食事と健康の関連を推測するためのデータ解析)を開発・提供することになる。食事と健康の関連には、その地域における季節の食品を調理するという、太古からの知恵が、NI(ネイティブ・インテリジェンス、固有場知能)として再評価されることになるだろう。実際に、微量ミネラル成分と健康の関係は不思議なもので、動物たちは移動しながら、鋭敏な味覚と臭覚によって、必須の微量ミネラル成分を摂取している。カロリー計算しかできない人間が、私的な欲望を満たすために、NIな野生動物たちを絶滅に追い込んでいるのだから、機械学習を議論する以前の無知としか言いようがない。

自由エネルギーという考え方は、熱力学で明確に定義されている。系(システム)のもつエネルギーをすべて取り出すことはできない。定温定圧などの、ある条件下で、仕事に変換することができるエネルギーを「自由エネルギー」と呼んでいる。自由エネルギーの考え方が実際に役立つのは、産業革命の蒸気機関ではなく、化学反応の理解であって、最近では、1分子のタンパク質の自由エネルギーや(※参考:『大沢流手づくり統計力学』〈大沢文夫、名古屋大学出版会、2011年〉)、情報システムにおける自由エネルギー(※参考:『非平衡統計力学-ゆらぎの熱力学から情報熱力学まで』〈沙川貴大、共立出版、2022年〉)など、自由エネルギー(または統計力学的にはエントロピー)の応用範囲が広がっている。微分的思考であれば、データサービス商品を自由エネルギーによって基礎付けようとするかもしれないけれども、積分的思考では、ある社会的条件または身体的条件での自由エネルギーと拡大解釈して、データサービス商品に個体差や地域差をもたらす「固有場」について考えている。地球環境は、太陽の光エネルギーによる、熱力学的な非平衡システムなのだけれども、変化のスピードは進化論的なスピード感覚だ。人間の歴史感覚において、自由エネルギーを取り出す社会的条件を機械学習する課題を考えたい。タンパク質は、地球上の生命に共通の遺伝子コードの表現型で、生命の形態と機能の奥義そのものだ。グーグル傘下のアルファフォールド2によって、比較的単純なタンパク質の立体構造を、X線結晶解析やNMR解析程度の正確さで予測できるようになった。しかし、タンパク質の機能、特にタンパク質複合体の機能を理解するためには、1分子のタンパク質の自由エネルギー変化を理解する必要があって、物理学理論としても発展途上の課題となる。核爆弾のエネルギー計算には、自由エネルギーの計算のような、難しい理論は不必要だ。破壊するだけのエネルギー計算には、微分的な思考の集大成であるニュートン力学だけで十分なのだ。核爆弾で人びとを恫喝(どうかつ)したり、実際に大量殺人したりする少数の支配者のような、無知から学ぶものはほとんどないので、近未来のNI産業を、「知的自由エネルギー産業」と呼んでみた。筆者としては、古典的な政治や宗教が不必要であるとか、個別の宗教家や政治家を「無知」であると決めつける気持ちは全くない。筆者自身も含めて人びとは、「無知」であることを自覚するほうが良いと考えているだけのことだ。NIの叡知(えいち)は、人間の感覚では理解できないデータから学ぶことにしよう。

人間のデータ、特に書き言葉としての史料についても、その価値を否定する気持ちは無い。NI農業を考えるために、日本の中世、荘園時代の農業について勉強している。稲作は、縄文時代にも行われていたことが科学的に明らかになってきても、やはり、鉄器としての農具と武器、農耕地の支配権力については、中世の史料から、書き言葉によって解読するしかなさそうだ。偶然、網野善彦の出世作『中世荘園の様相』(岩波文庫、1966年初出)を読んだことがきっかけで、網野史学における「無名」の人びとへの問いかけに興味を持ち、数冊読んだのちに、最も有名になった『無縁・公界・楽-日本中世の自由と平和』(平凡社、1978年初出)まで読破し、学校時代の教科書では教えてもらわなかった日本史を楽しんだ。単純に言うと、支配者の歴史として残された史料から、「無名」の人びとの思想(生き方)を行間に読もうとする試みで、斬新な試みと思われた。しかし、歴史は支配者の歴史であるという、正統的な歴史観に対して、網野史観は、例外的な人びとの事例を、存在確認したに過ぎない。歴史学にも、統計学的なデータの集計方法が役立つだろう。実際は、例外的な人びとのほうが、支配者よりも多数であり、多数派の百姓の生き方も、農業だけではなく、漁業や大工、海運業、金融業まで、どの程度の分業が成立していたのかも含めて、中世の人びとの生活は、学ぶべきことが多いようだ。残念ながら、肝心の農業技術については、灌漑(かんがい)の利権以外は、具体的な記載が見当たらなかった。今後の中世史研究に期待したい。

網野史学から学んだことは、歴史は無から有にはならないということだ。西欧文明の近代は、例えば自由の概念は、すでに日本の中世社会の中にも萌芽(ほうが)があり、明治維新から始まったわけではないらしい。近代哲学の巨人、スピノザも、宗教から自立する哲学の自由を、キリストの時代の民衆の話し言葉の中から、ヘブライ語の辞書の編纂(へんさん)作業によって、体感として見いだした。最近のAIブーム、特に生成AIとの共生について、ドラえもんのようなロボットが出現すること、ドラえもんを作ることが話題となることがある(※参考:https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%81%88%E3%82%82%E3%82%93-%E3%81%A8%E4%BC%9A%E3%81%88%E3%82%8B%E6%97%A5%E3%82%82%E8%BF%91%E3%81%84%E3%81%8B%E3%82%82-ai%E3%81%A8%E3%83%AD%E3%83%9C%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%AF%E3%81%95%E3%82%89%E3%81%AA%E3%82%8B%E9%80%B2%E5%8C%96%E3%81%B8/ar-BB1mBoyU?ocid=BingNewsSerp )。しかし、ドラえもんの物語から学ぶことは、「のび太」のように平凡な少年とその仲間たちが、ドラえもんと楽しく共生・共進化していることだと思う。ドラえもんがいなくても、のび太はいるし、ドラえもんがいたとしても、のび太のような少年がいないと、平和的な共存はありえない。「火」の技術から明らかなように、物語としての技術は、人びとの中に物語として存在していて、産業技術として活用されるのは、何千年も後のことだ。データ文明において、データサービス商品を創出する知的自由エネルギー産業が、西欧文明と産業革命の時代から離陸することがあったとしても、もしそのような社会的変革がありうるとしたら、現在もしくは古代の人びとの生活の中に、その萌芽があるはずだ。それは、萌芽どころではなく、人が人を殺すことが日常的となった、大量殺人すら容認する時代への違和感は、鉄で作られた武器が出現して以来、古代の人びとと共有しているはずだという確信がある。AI技術が、AI兵器へと容易に転用される時代において、NI技術を、歴史社会的な、文明論的な転換点として位置付けたい。AI技術は個体差が無いほうが良い工業的な品質管理に限定して、社会的な犯罪や、個人的な健康問題など、個体差を無視することができない場合は、NI技術の発展、個体差の機械学習に期待して、本シリーズの結語としたい。

◆次回以降の予定

6  おわりに;生活と社会のビューティフル ランダム パターンズ

(中里斉 モナド; Hitoshi Nakazato, Monado)

6.1 ほとんど色即是空・空即是色な世界

6.2 ランダムな人びと

6.3 データ化する私(datanize me)

6.4 延長されたフェノラーニング®

※『みんなで機械学習』過去の関連記事は以下の通り

第16回「中間組織のデータサイエンス」(2023年2月20日付)

https://www.newsyataimura.com/yamaguchi-86/#more-13628

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