п»ї 1/8計画(その2) 『WHAT^』第22回 | ニュース屋台村

1/8計画(その2)
『WHAT^』第22回

9月 25日 2019年 文化

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山口行治(やまぐち・ゆきはる)

株式会社エルデータサイエンス代表取締役。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。

前回(第21回)の1/8計画は、昭和の特撮を日本の人口推移に重ね合わせたものだが、指数関数ではなく、対数関数としての多肢選択のイメージで未来を考えたいと締めくくった。意味不明な結論と言われてもしかたがない。対数関数の理解は『乗のはなし』(土基善文、日本評論社、2002年)に譲るとして、言いたかったことは、おおよそ次のようなことだ。

外資のグローバル企業に勤めていた20世紀晩年、「コアバリュー」という企業統治手法があった。Customer Focus、Community、Respect for People、Performance、Collaboration、Leadership、Integrity、Quality、Innovation――九つの価値行動基準のうち日本語に訳しにくく、最も未来的な価値はIntegrity「誠実と高潔」だ。これらは人間の価値としてだけではなく、人間社会におけるデータの価値としても解釈できる。そう解釈すれば、データのインテグリティが最も大切で、1/9で十分と言える。筆者はさらに、最高のデータインテグリティは無作為割付と考えている。人びとの価値基準は多様であっても、データの価値基準はランダムネスに委(ゆだ)ねられている。認知症を生きる人類にとって、意味不明の人工知能技術を「理解」できるとしたら、最も単純な価値基準を出発点にするしかない。

古典的な意味は論理的に理解できることを前提としている。現在の数理論理学はせいぜい線形性の理解までで、再帰的にしか定義できない命題は、計算が停止しない確率を含むため、数学の対象とはなっても論理学的には十分な形式化が出来ていない。ヘーゲルの弁証法は、たとえマルクスが転倒したとしても、指数関数的に爆発する人口や、階級闘争の歴史を論理的にイメージすることはできても、線形変換による一意的な解が保証されている場合だけにしか通用しない論理となる。ましてや、対数関数のような本質的に多価関数の性質を持つ場合には、逆変換の意味は想像しづらいので、進歩主義には好都合な熱力学的な解釈はできても、個々人の統計力学を構築することはできない。

つまり言いたいことは、データ論にとって、価値基準はIntegrityだけで十分であること、データの論理的な意味を理解するためには、弁証法のような中途半端な意味づけに頼らず、根本的に考え直す必要があり、データの価値と意味の接点はランダムネスにあること。機械文明から移行するデータ文明において過剰な人間性を排除すれば、人口や欲望が1/8の社会であっても、独立性や多様性という意味で、高度な発展を継続しうる折り畳まれた世界が構想できるのではないかという問題設定だった。

WHAT^(ホワット・ハットと読んでください)は、何か気になることを、気の向くままに、イメージと文章にしてみます。

 

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