山口行治(やまぐち・ゆきはる)
株式会社ふぇの代表取締役。独自に考案した機械学習法、フェノラーニング®のビジネス展開を模索している。元ファイザージャパン・臨床開発部門バイオメトリクス部長、Pfizer Global R&D, Clinical Technologies, Director。ダイセル化学工業株式会社、呉羽化学工業株式会社の研究開発部門で勤務。ロンドン大学St.George’s Hospital Medical SchoolでPh.D取得(薬理学)。東京大学教養学部基礎科学科卒業。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。
◆個体差の機械学習
前回まで、個体差の機械学習(例えばフェノラーニング®)が実現される、近未来の「データの世界」を、シリーズ記事として記述してきた。「データ論」として、前例のない冒険談に挑戦した。人名や地名などの、固有名詞がある世界では、現在の機械学習(例えば、生成AI〈人工知能〉の大規模言語モデル)では不十分で、固有名詞を責任をもって解釈できない。個体差を理解(モデル化)できるようになれば、膨大な量のデータは不必要になり、個体差を示す表現型に関して網羅性のあるデータのほうが重要になる。筆者の理解では、現在の機械学習技術は、誕生したばかりの幼児段階で、社会的責任のレベルでは、小学生の段階にも至っていない。経済的な誘惑で、未熟な技術を巨大化するのではなく、未来に向けた課題を発見しながら、試行錯誤する時期のはずだ。機械学習の特許は、国別の特許出願数を争うのではなく、まさに「個性的」な特許を探し出して、新たな探索路を見いだすための、創造的なパテントマップを作ることから始めるとよいだろう。ディープラーニングの技術は、米国や中国などの覇権国家が作り出したものではなく、カナダの大学で発明された。個体差の機械学習(例えばフェノラーニング®)も、覇権国家の支配競争とは別次元の、文明論的な文脈で、みんなで機械学習しながら、おおきく成長してもらいたい。近代文明に行き詰まった人類の、最後の存続チャンスを切り開くのは、個体差の機械学習かもしれない。
◆規制産業の再定義による経済成長
今回からは、フェノラーニング®の応用課題として、AI技術の農業応用を、食と健康の関係から、産業構造を逆転して、より具体的に構想してゆきたい。食と健康の関係では、身体的な健康だけではなく、社会的な健康も視野にいれている。産業論としては、規制産業を「利用者保護」の観点から、データの利活用によって、より効率的で技術革新を推進する規制産業として再定義してみたい。個体差の機械学習による経済成長の戦略だ。
従来の、米国、EU(欧州連合)、日本による医薬品規制調和国際会議(ICH: International Council for Harmonisation of Technical Requirements for Pharmaceuticals for Human Use)の経験をもとにして、現在の、米国や中国などの覇権国家による分断された国際関係にも対応できるように、「データの世界」における、規制産業の抜本的な見直しを提案したい。データの世界における規制としては、産業活動のデータベースを共同で作成し、問題点を抽出して公開する作業を想定している。言語による規制は、各国の規制当局が、後日、ガイドラインや法令などによって、適切に対応するだろう。産業製品や社会サービスのデータは、利用者のデータであるため、利用者の利益が保護されることが第一優先となる。規制産業としては、健康関連産業以外にも、金融業、自動車産業など、それぞれの産業分野ごとに、国際的に調和された規制産業圏(ネットワーク化された規制権限領域)を作り出し、国際機関として、独立に運営されることを構想している。
◆Open Source Software
ソフトウェア開発では、プログラムのソースコードが公開されているソフトウェアOSS(Open Source Software)の存在感が大きくなっている。ソフトウェアは著作権によって保護される。OSSの著作権保護のルールが明文化され、ソースコードのデータベースがインターネット上に公開されていることが、OSSの成功を支えている。グーグルなどの、インターネットをビジネスとするソフトウェア会社は当然として、マイクロソフトのように、多数のプログラマーを雇用している巨大企業においても、OSSを無視することはできず、ソースコードのオープンソース化に対応しながら、ソフトウェアビジネスを展開する時代になった。スマホやAI技術のように、独占的なグローバルビジネスの場合には、独占禁止法による法的対応が行われてきたけれども、今後は、規制産業の枠組みで、技術開発の段階から、法的対応が行われるようになるだろう。技術開発の規制は、利用者保護の安全性の観点が最重要であったとしても、技術開発そのものを促進するために、より効率の良い規制が求められる。医薬品のICHと、ソフトウェアのOSSは、それぞれの課題と歴史的背景が異なっていたとしても、技術開発を促進する国際的規制の成功モデルとして、学ぶことは多い。
◆新薬開発の経験を他分野の産業へ
医薬品産業は、年商10億ドルを超えるような、画期的な新薬などで、多額の収益を得ているため、消費者運動の標的にされ、鍛えられてきた。医薬品の有効性と安全性の評価には、多くの専門家の多面的な判断が必要で、消費者(医師や患者)に適切かつ実効的な情報開示を行う、典型的な規制産業だ。製薬企業は多額の研究開発投資を行うけれども、国家予算による基礎医学研究や、患者団体などの協力が無ければ、画期的な新薬の開発は継続できない。資本規模の大きいグローバル製薬企業であっても、臨床開発のコスト負担が大きく、臨床試験データのデータ標準を作るという、コストが増加しても収益にはつながらないような仕事は、経営者からの理解が得にくい。筆者が所属していたグループでは、社内で、欧米日のデータ標準を作成し、運用していた。高度な専門性が要求され、関係者はとても苦労していた。結局、米国大手製薬企業の有志が業界団体を作って独立し、CDISC(Clinical Data Interchange Standards Consortium)標準にまとめて、世界の審査当局で利用されるようになった。医薬品業界では、上述のICHやCDISCのような、国際的な規制基準のルールづくりに成功した経験がある。この経験は、医療機器にも適用されている。健康食品や自動車産業など、国内の規制基準で運用され、必ずしも成功していない規制産業分野も多い。ICHやCDISCも、今後急速に発展する機械学習やAI技術を視野に入れたものではない。医薬品産業における規制基準のありかた、すなわち、患者の利益を中心にして、業界が自発的に活動を行い、国家・行政が協力・指導して、国際的な協調に導く規制産業は、健康な経済成長をもたらすと期待している。
◆経済成長と人口増加を折りたたむ
産業論の立場ではなく、環境行政においても、国際的に協調した規制基準の重要性はよく認識されている。予防原則(precautionary principle)のように、科学的な不確実性を、政策の言い訳としない考え方が代表的だろう。しかし、技術革新を推進するという観点は、予防原則には含まれない。環境行政における技術革新は、企業の収益性に配慮した経済性の評価程度で、不十分といわざるを得ない。環境産業も規制産業の枠組みで考えて、機械学習などの技術革新を、いかに安全かつ有効に使いこなすのか、再考する余地が大きい。例えば、長期的な気象変動の予測は困難であっても、直近の気象リスクの予測精度を向上する努力は必要だ。正確な予測によって、気象リスクを回避するだけではなく、気象変動の変化率を「なだらか」にする技術を開発する意義は大きいはずだ。前稿第42回(※参考1)で、1000メートル以上の鉄塔(多分、鉄ではなく、飛行機のような軽量素材)を、自律的に組み立て、分解する建築ロボットについて考えてみた。人工降雨実験用のスプリンクラーだ。世界的に急速に森林が失われ、林業への反省や批判がある『樹木が地球を守っている』(ベータ・ヴォールシーベン、早川書房、2023年)。予防原則が議論の核になっているけれども、技術革新への言及はない。農業食品分野でも、予防原則が、農薬やゲノム編集野菜などへの批判で言及される。地球環境は、とても複雑なエコシステムであるため、科学的な根拠が不十分であっても、より安全な、伝統的な農業や食品が望ましいことはよく理解できる。特に、少数の巨大なグローバル企業が、農業や食品の未来への支配力を強めることへの警戒感は、おそらく、人びとの感覚としては正しい。筆者のように、規制産業の枠組みで、技術革新と産業的競争を推進しようと考えるのは少数意見にすぎない。前稿第42回(※参考2)で、坪庭農園(パーソナル野菜工場)を提案した。『おひとり農業』(岡本よりたか、内外出版社、2024年)。おひとりどころか、みんなで機械学習する、無人農業の提案だ。健康な土壌を苔(こけ)で覆うことを考えている。
規制産業で、しかも国際協調をして、経済成長が実現できるのは、覇権国家やグローバル企業が存在する現代ならではの事情だ。覇権国家やグローバル企業は、技術革新への投資家の役割を果たすことになる。政治家の役割は大いに再考の余地があって、個人主義的民主主義なのか、全体主義的社会主義なのかにかかわらず、みんなで機械学習する「データの世界」では、人間中心ではなくなるので、人間の尊厳をどの程度に調整するのか、政治家に大いに悩んでもらいたい。何も考えなければ、自国中心になるのが目に見えている。
人口が減少する社会で、経済成長を実現することは、さらに困難な課題だろう。すでに人口が減少している国々もあるけれども、地球環境は確実に住みにくくなり、世界的に人口は減少するようになる。人口は指数関数的に増えて、突然絶滅するのか、周期的な変動を繰り返すのか、予測は困難だ。指数関数と周期的な関数の関係は、最も美しい数学公式、オイラーの公式(※参考:https://manabitimes.jp/math/585 )として300年前に解明されている。突然絶滅しないまでも、指数関数の逆関数である対数関数のように減少する場合、複素数の対数関数はとても難しい多価関数になるので、やはり理解しがたい。人口を、最近はやりの関係人口として理解するのであれば、関係人口は単純に増加したり減少したりするのではなく、動的なネットワーク構造として理解する必要があり、分断されたり、くりこまれたり、折りたたまれることもあるだろう。
経済成長も、例えばエネルギー消費量などは、人口増加に類似した指数関数的増加に見える。しかし、技術革新を促進するためは、人口そのものではなく、関係人口の動的分布が重要になる。経済成長を、動的なネットワーク構造として理解する場合は、経済が分断されたり、くりこまれたり、折りたたまれることも想定の範囲内になる。このように考えると、経済成長に伴う格差の増大も、分断だけではなく、くりこまれたり、折りたたまれたりする可能性もありそうだ。
規制産業が経済成長するためには、経済成長を評価する経済政策そのものの変革が必要だろう。「データの世界」における経済政策だ。数学の難問を解くときに、別の対象に関する類似する問題を手がかりにすることがある。本論では、身体的な健康の問題と、経済的な健康の問題を、個体差を伴うデータの世界における、類似する問題として考えてきた。認知症治療薬のような、薬物療法の難問は、認知症化している社会経済問題へのヒントになるかもしれない。現在の難問は、難問が解決できた未来から俯瞰(ふかん)して、試行錯誤を続けるしか解決法が無いだろう。すぐに解決できるという政治的言説は、問題自体を無いことにしてしまい、突然の破滅へ至る道である。近代以降の政治は、未来に責任を持たず、戦争や殺りくを繰り返してきた。せめて、経済活動は、現在の収益だけではなく、未来にも責任を持ちたいものだ(※参考:『ファイザ-CEOが語る未来との約束』〈ハンク・マッキンネル、ダイヤモンド社、2006年〉)。
参考1:https://www.newsyataimura.com/yamaguchi-120/#more-15069
『みんなで機械学習』第42回「データを食べる」(9)天空タワーで天候制御
参考2:https://www.newsyataimura.com/yamaguchi-120/#more-15069
『みんなで機械学習』第42回「データを食べる」(8)つながる坪庭農園
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『みんなで機械学習』は中小企業のビジネスに役立つデータ解析を、みんなと学習します。技術的な内容は、「ニュース屋台村」にはコメントしないでください。「株式会社ふぇの」で、フェノラーニング®を実装する試みを開始しました(yukiharu.yamaguchi$$$phenolearning.com)。
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