山口行治(やまぐち・ゆきはる)
株式会社ふぇの代表取締役。独自に考案した機械学習法、フェノラーニング®のビジネス展開を模索している。元ファイザージャパン・臨床開発部門バイオメトリクス部長、Pfizer Global R&D, Clinical Technologies, Director。ダイセル化学工業株式会社、呉羽化学工業株式会社の研究開発部門で勤務。ロンドン大学St.George’s Hospital Medical SchoolでPh.D取得(薬理学)。東京大学教養学部基礎科学科卒業。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。
◆人工知能技術は産業構造を逆転する
産業革命以降の産業構造は、商品生産からサービス商品へと、市場経済における商品の連鎖、もしくはサプライチェーンとして、顧客個人を最終ターゲットとして構成されてきた。農業においても、グローバル資本主義経済の巨大企業が、顧客としての農家に、原料や生産手段として、例えば飼料用の穀物や製油など、肥料や農薬など、農業機械などを、独占的に供給してきた。生産性という供給側の論理によって、経済活動が制御されてきたともいえるだろう。産業革命によって、生産性が飛躍的に向上したのだから、資本主義社会としては、合理的な産業構造だったと考えられる。工場や機械による生産性の向上は、現在でも継続しているけれども、IT技術、特に人工知能(AI)技術による生産性の向上は、顧客個人に直接働きかける効果が大きく、産業構造を大きく変える可能性がある。
本連載では、食の目的を健康の維持向上と考える立場から、農業を健康産業として再定義することを試みている。生活者としては、常識的な考えのようだけれども、産業構造としては、有機農業や地産地消のような、補完的な産業としてではなく、グローバル資本主義の産業構造を、AI技術によって逆転する(折りたたむ)可能性がある。具体的には、食と関連する健康状態を、データ駆動型個別化栄養学(プレシジョン栄養学)によって、データとして理解することが出発点となる。例えば、農薬の安全性を、特定の疾患(アレルギー疾患も含む)において評価することが可能になり、生産者の論理ではなく、消費者による選択を支援するために、国家などが適切に情報開示することになるだろう。
資本主義社会なのだから、農業商品も、金融商品のような、投資対象としての価値が問われることは当然だ。しかし、為替商品の場合は、マネーゲームによる過度の価格変動を、中央銀行や政府が監視して、安定化している。キャベツの値段は、容易に2倍以上変動して、過剰生産の場合は、畑でキャベツを廃棄するという、原始的で非生産的な価格調整しか行われない。農業商品の価格安定化には、気候変動の正確な予想と、食品の保存技術の向上が重要だとしても、国家予算で技術開発が促進されているとは思えない。キャベツの生産性を向上させる技術よりも、キャベツの価格を安定化する技術のほうが、経済的に効果は大きいし、キャベツを食べて、特定の疾患が改善するのであれば、医療経済としてだけではなく、社会の健康(ウェルビーイング)にも貢献するだろう。
◆健康的な農業とは
農作業をしていると、腰が痛くなるし、日光に当たり過ぎて、健康にはあまりよくない。筆者は、トラクターのような、大型農業機械を使ったことは無いけれども、多分、健康によいということはないだろう。しかし、筆者が高齢になっても農作業を続けているのは、大地と接する、精神的な効果を求めているからだ。単純に言えば、ストレス発散と、ボケ防止だ。若年者の場合、精神的に不安定になったり、ひきこもりのような精神状態を経験することがある。筆者の経験でも、そのような若者が、単純な農作業をこなしているうちに、大きく精神状態が変化して、独立(農園から卒業)してゆくことがよくある。精神状態を評価することは困難であっても、精神疾患のプレシジョン栄養学であれば可能性がある。
日本の農家は高齢化して、しかも小規模で生産性が悪い。高齢者が農作業をする場合、各自が健康によいと考える農作業を行って、農業者自身をプレシジョン栄養学で評価してみてはどうだろうか。農作物を商品として売るのではなく、農作業のデータを、データベース化することでも価値を訴求できる。小規模な農園のほうが、多種類の条件を試しやすいので、農作業のデータベース化には向いているだろう。高齢者であっても、小学生のパソコン程度は使えるようになるはずだ。孫たちの世代から、パソコンの使い方を教えてもらうのも楽しいだろう。もし本当に、農作業がボケ防止に役立つのであれば、世界を大きく変える大発見になる。最新の認知症治療薬は、超高価なデトックス薬のようなもので、アミロイドPET(陽電子放出断層撮影)などの正確な診断技術を活用することで、開発に成功した。プレシジョン栄養学と、プレシジョン診断技術の組み合わせによって、個の医療が大きく推進することを期待している。
◆失われた健康を求めて
WHO(世界保健機関)の健康の定義について、『みんなで機械学習』第42回(2024年7月 8日付、※参考1)で議論した。そもそも、健康が気になるのは、健康が失われたときだ。健康であるために「食べる」ことが、栄養学の出発点であったとしても、拒食症や過食症のように、「食べる」こと自体が不健康であったり、腎臓病や生活習慣病のように、身体的に健康が損なわれたりする状態で、どのように「食べる」のが良いのか、不健康な状態での栄養学のほうが、現実感がある。
経済における健康ついても同様で、不健康な経済状態での経済政策とか、経済組織のありかたのほうが現実的だろう。不健康な状態というのは、動的な状態であって、いつかは破綻(はたん)するか、安定した状態(健康状態)に移行する途中の状態で、しかも予後の予測が困難な状態だ。例えば、労働力が不当に搾取(さくしゅ)されたり、経済的格差が増大し続けたりする、経済的な問題が社会を不安定化するような状況において、その原因を解明して、問題を経済的に(政治的にではなく)解決しようとする経済学のほうが、市場を神様が完璧に調整する経済学よりも、現実的だ。
経済にとっての「栄養状態」を、どのように評価すればよいのだろうか。資本主義経済を研究したカール・マルクスが、労働市場の健康状態に注目したのは、天才的な卓見だった。当時の労働市場は、工場労働者が中心で、労働者は労働時間で評価されていた。AI時代においては、知的労働も機械化されるため、労働者には生産性よりも創造性が要求されるようになり、労働者(職場)の精神状態を評価することが重要になる。戦争がテレビゲームのようになった時に、退役軍人の精神疾患が急増したことが、AI技術の汎用(はんよう)化によって、経済活動全体で問題になると考えればよいだろう。経済にとっての栄養状態を評価するというよりも、労働環境のストレスを評価することを考えてみよう。その場合は、職場の組織構造を意識したプレシジョン栄養学が役立つだろう。
現代の経済活動が、地球環境を破壊する、少なくとも産業廃棄物処理が必要で、地球環境に大きな影響を与えていることは確実だ。地球環境そのものは市場で売買できないけれども、炭酸ガスのように、地球環境への影響(排出量)を債券化する環境市場はありうるし、環境市場の健康状態も、経済にとっての栄養状態といえるかもしれない。
いずれにしても、不健康な経済を、経済の「栄養状態」で評価して、データ駆動型個別化経済栄養学として、不健康な経済に対処することが考えられる。カール・マルクスの時代では、無産者階級の労働者が食べるのは賃金だけだったかもしれないけれども、近未来の労働者は「データを食べる」ことで、経済を健康にする物語もありうるはずだ。過去のほうが、若い時のほうが、より健康だったと単純に言えないことは確かだとしても、それは、人びとが認知症になってはいない、という大前提が必要で、「データを食べる」無謀な冒険物語では、個人と社会の認知症状態に焦点を絞っている。より正確には、社会ではなく、組織の経営論における認知症状態を問題にしたいし、実際に問題になっている。
◆データは論理的ではなく確率的だ
「データを食べる」ことはできないので、論理的な表現ではない。しかし、データを前処理して、データの意味を吟味するので、比喩としてはありうる表現だろう。数学のように、比喩にも厳密な1対1対応を求めれば、比喩も論理的になりうる。しかし、「データ」、もしくはその哲学的な表現である「所与」は、論理的であるとは限らない。ほぼ論理的、もしくは、ある程度論理的ということを、説得力を持ってデータで示すためには、データの取得プロセスから論理的に構成する必要がある。単純に言えば、データは確率的な現象なのだ。
近代哲学以降の哲学は、論理的であることを重要視してきた。しかし、自然科学においては、量子論は確率的な現象を記述するし、因果関係が説明できない物理現象もある。数学においても、論理的に正しいことを証明できない「真の命題」が存在することが証明されている(※参考2:ゲーデルの不完全性定理)。なぜ哲学だけが論理にこだわって、言語の限界を乗り越えようとしないのだろうか。
法律は書き言葉であって、論理的では無い表現を許容しないことは理解できる。しかし、政治の世界は、すでに論理的では無くなっている。米国大統領候補のドナルド・トランプの経済政策は、経済学の立場からは、矛盾する政策が列記されていて、多数の有権者へアピールすることが目的で、経済政策としての実効性を問題にしていないと批判される。しかし、経済学は論理的であったとしても、資本主義経済の実態は、数学的には複雑系そのもので、市場における価格変動の予測困難性を「真の命題」として含んでいるのだから、論理的では無い政策が、結果的にうまく機能する可能性を否定できない。経済学者が優秀な経営者とは限らないし、国家の経営はカオスそのもので、独裁者であっても制御不可能と考えるほうが合理的だろう。
政治や経済の世界がカオスであって、論理的ではないといっても、確率的ではありうる。従来の統計学は、データの世界を、高度なプログラムによって、論理的に説明しようとした。現在の機械学習は、乱数を使ったプログラミングで、データの世界から確率的に学習しようとしている。確率的な解釈は、多くの場合、人びとの直感的な理解が及ばない。データの世界では、視覚や聴覚などがデジタル化されて、人びとの感覚が及ばない。さらに、そのデータの解釈も、人びとの理解が及ばないのであれば、データの世界は、すでに人間の能力を超えたシンギュラリティー(技術的特異点)に至っていると考えるほうが合理的だろう。哲学者も大学教授の職を得て、冒険をしなくなってしまった。年金生活者の老人たちが、認知症の半歩手前で立ち止まって、みんなで機械学習する冒険を実現したい。
◆岩波ジュニア新書
老人たちの冒険は、小学生や中学生たちと共有しよう。最近読んだ本で「本気」を感じたのは、『食べ物から学ぶ現代社会―私たちを動かす資本主義のカラクリ』(平賀緑、岩波ジュニア新書980、2024年)だ。内容は、高校生以上だけれども、著者の気持ちが未来志向で、その気持ちは、小学生や中学生たちと共有できる。このように立派な著作を、老人たちが容易にまとめることができるとは思わないけれども、「みんなで機械学習」する冒険を、生成AIがイラストや動画を作成して、マニュアルとして共有する、そのような実用的なシステムはすでに商用化されている。
機械学習のプログラミングについては、固有名詞にこだわった、小規模なデータをまとめることが最重要なので、MS-EXCELのような作表ツールでも可能だ。著者としては、データマネジメントの実務を最大限に支援する既存のシステムとして、SAS/JMPを推薦したい。SAS/JMPを、小学生や中学生たちと共に学ぶこと、もしそのような冒険が実現できたら、その冒険は中小企業や農林水産業の、産業構造を逆転する経営哲学へと発展して、覇権国家や巨大企業では想像もできない、近未来の産業社会へ先回りするチャンスが生まれる。
参考1:データを食べる『みんなで機械学習』第42回 | ニュース屋台村 (newsyataimura.com)
参考2:https://ja.wikipedia.org/wiki/ゲーデルの不完全性定理
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『みんなで機械学習』は中小企業のビジネスに役立つデータ解析を、みんなと学習します。技術的な内容は、「ニュース屋台村」にはコメントしないでください。「株式会社ふぇの」で、フェノラーニング®を実装する試みを開始しました(yukiharu.yamaguchi$$$phenolearning.com)。
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