山口行治(やまぐち・ゆきはる)
株式会社ふぇの代表取締役。独自に考案した機械学習法、フェノラーニング®のビジネス展開を模索している。元ファイザージャパン・臨床開発部門バイオメトリクス部長、Pfizer Global R&D, Clinical Technologies, Director。ダイセル化学工業株式会社、呉羽化学工業株式会社の研究開発部門で勤務。ロンドン大学St.George’s Hospital Medical SchoolでPh.D取得(薬理学)。東京大学教養学部基礎科学科卒業。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。
◆代替案が無い不確実な世界で生きる
前稿第53回(https://www.newsyataimura.com/yamaguchi-134/#more-22000 )はリベラリズムの代替案について考えてみた。筆者としては2025年に向けた直近の政治的な話題のつもりだったのだけれども、いつもの事ながら、近未来の「データ文明」を夢見る哲学的な文章になってしまった。中学3年生の時に、文部省(当時)中央教育審議会の「期待される人間像」(昭和41〈1966〉年)(https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chuuou/toushin/661001.htm )を知ってから、「リベラル嫌い」となった。個人的な「リベラル嫌い」について記載して、17世紀の合理主義哲学、スピノザにも言及したので、過去の哲学的な雑感となって、2025年の政治と経済の話題としては、ピントがずれていたのかもしれない。近代合理主義哲学には経済合理性の概念はない。近代経済学、マルクス経済学、ケインズ以降の経済学、それぞれの経済合理性を議論している。それぞれ経済理論として、もしくは経済政策には有用ではあっても、筆者には、現在までの経済学が「合理的」であると思われたことは無かった。資本主義や民主主義が「合理的」なのかどうか疑わしく思われるのと同じで、哲学的な懐疑が不足している、もしくは、哲学を無視することで科学的なふりをしているようだ。現在では、合理的な意味でのリベラリズムの代替案が無い不確実な世界で生きるしかないとあきらめて、近未来の「データ文明」について考えている。
今回、リベラリズムについて再考するために、「正義論」で有名なジョン・ロールズ関連の書籍を10冊ほど、再読も含めて読んでみたけれども、すべて人間中心の恣意(しい)的な価値観で、価値観そのものの価値を問う哲学が不在だ。政治哲学なので当然かもしれないけれども、数学的な探求は皆無で、20世紀の米国における歴史的な文章としか思えなかった。歴史が合理的ではないことは、ほぼ自明だし、経済理論自体の合理性を疑っているので、リベラリズムに経済合理性の議論は期待できない。しかし、代替案はない。中国や米国のように、爆音をまき散らす自動車レースのような、ぐるぐる回るサーキットで政治的な冒険を行うのではなく、360度のパノラマを求めて、哲学的な冒険があってもよいはずだ。新年になって、筆者としては、哲学に偏向した新シリーズを構想し始めた。
個人と国家、その中間には「家族愛」しか考えない西欧的な社会像は、生物としては異常で、歴史的にも集団的な殺りくを回避できない破綻(はたん)した社会像だ。異常な思想や妄想を、合理的であると論証できるはずがない。思想や哲学が、合理的である必要はない。ただし、過去の異常な思想よりも多少は合理的であるという、まやかしの進化論的な論証を受け入れることはできない。まっとうな議論は、集団化するプロセスと、プロセスの集団化について、データにもとづいた検討を進めることだ。それでも、100年後になっても、細胞や生物個体の群れ(集団化する現象)の、ごく一部を理解できるようになるだけだろう。最近話題の生成AI(人工知能)は、教師や審査員の役割を、ランダムな多数の表現者に追加した、疑似集団でしかない。集団化するプロセスと、プロセスの集団化について研究すれば、生成AIなどはるかに及ばない、アリやハチの社会程度の「集合知」は実現できるだろう。みんなで機械学習する近未来は、文明論的な時間(進化論的な時間よりは短い)を必要としている。
◆実データよりも信頼できる推定値
データにもとづいた検討が、まっとうな議論の土台となることは、自然科学であれば疑いようがない。社会現象では、実験や観察の対象に人間(自分自身)が含まれるので、データを取得する前に、データの属性や属性間の関係(概念)を整理する必要があることも確かだ。従来の哲学や社会科学の探求を、無視したり否定したりする気持ちはない。しかし、合理的な代替案が無い不確実な世界では、他者よりも早く行動するか、遅くても支配力で、社会現象そのものを変質させる可能性があるので、静的で整合的な概念は役に立たないし、データには理解不能なバイアスが含まれているだろう。したがって、データにもとづいた検討であっても、人間中心の恣意的な議論となってしまう。
簡単だけれども、多くの場合見逃されている「解決策」を提案したい。データを直接使うのではなく、データを推定するためのデータを取得して、データの推定誤差の信頼性を評価する方法だ。例えば、最終学歴と収入の関係をデータで検討する場合に、最終学歴と収入を推定しうる「網羅的」なデータを収集する。大量のネット販売のデータがあれば、最終学歴と収入を推定できるだろう。推定には、推定誤差がともなうので、推定誤差の信頼性を、サブグループ解析などの方法で検討する。重要なことは、実際の各個人の最終学歴と収入を信用するか、その推定値で代用するのかという問題だ。筆者のようなデータを職業とする人種では、個人のデータは個人情報保護のため取り扱いに制限があるし、そもそも、誤記や作為的なデータが混入していても、実データでは判断しにくいので、推定値で代用したくなる。しかし、明らかに個体差があるデータからの推定では、推定誤差が単純な正規分布になるとは限らないので、推定誤差そのものの信頼性が保証されない。事後的なサブグループ解析では、探索的な検討によって、新しい仮説を作ることが精いっぱいで、信頼できる結論は得られない。
筆者は、製薬企業の新薬開発の現場で、このようなデータの信頼性に関する堂々巡りを50年近く経験してきた。このジレンマを経験しているので、個体差があるデータの機械学習、フェノラーニング®を探求しているし、個体差を無視した機械学習やAI技術には、あまり期待していない。現在のAI技術は、個体差が問題にならない物理化学的な物性予測には使えても、大量生産大量消費の産業構造としては、産業革命以降の産業活動の延長上でしかない。AI技術で生産性が向上しても、すでに手に負えなくなっている地球環境への悪影響や、雇用・経済格差などの社会問題に対処しない限り、すぐにでも産業活動は行き詰まる。機械学習やAI技術は、未来の技術であるだけではなく、過去の負の遺産を背負っていることを自覚しよう。
◆健康な産業活動
健康な社会を想定できるだろうか。犯罪が横行し、自由な活動が制限される社会が健康ではないとしても、自由と犯罪がトレードオフであれば、ある程度の不健康な社会は容認できるのだろうか。概念としては自由と犯罪は独立で、別個にデータにもとづいた検討ができる。しかし、犯罪を抑制するためにデータを収集することによって、国家や支配者は人びとの自由を監視して、自由な活動を制約しやすくなることも事実だ。データのバイアスというよりも、社会現象をデータ化するためには、データ化された社会を前提条件として、概念構成そのものを根本的に再考する必要がある。本論では、「健康」を概念としてではなく、データによって評価することを目的として、米国の分子生物学者レロイ・エドワード・フッドが提唱したP4 health care、すなわち、Personalized(個別化された)、Predictive(予測可能な)、Preventive(予防の)、Participatory(患者参加型の)、ヘルスケア(医療よりも広い概念)を紹介した(※過去記事参照、https://www.newsyataimura.com/yamaguchi-107/ )。Personalized(個別化された)は、個体差を積極的に評価する健康データで、本論の出発点でもある。Predictive(予測可能な)健康データは、機械学習と相性が良い。Preventive(予防の)は、健康データによって得られる付加価値として、予防医療の経済価値と患者自身のQoL(quality of life)の観点から納得感がある。しかし、Participatory(患者参加型の)は、医療の問題としては理解できても、データ論の立場では意味不明だった。患者であることは、特定の疾患グループに仲間入りすることを意味する。患者を中心とするグループ医療の場合や、未病状態での健康管理においても、参加型の医療における健康データを、仮想的な患者集団(サブグループ)に参加する意味と解釈すると、健康データのサブグループを識別する境界の内側か外側かという具体的な課題になる。<健康>をデータによる評価に適合するように抽象的に解釈すれば、健康な社会や、健康な経済、健康な企業など、個性的な集団の<健康>状態を、データで評価するイメージが明確になる。
P4ヘルスケアの未来志向の<健康>概念によって、AI技術が健康な産業活動に寄与するための課題も明確になる。最初のステップは、個体差を評価できるAI技術だ。現在のように、個体差を評価できないAI技術で犯罪捜査を行うと、犯罪者のステレオタイプを探すことになって、倫理的な問題を避けられない。この最初の第一歩の問題は、AI倫理の根本問題なので、哲学的な探求が避けられない。現在のAI技術は、未来的には不健康な技術といわざるを得ない。不健康な技術を上手に使っても、時間の問題で、いずれは不健康な社会になるだろう。
予測可能で、予防のための学習や行動をともない、参加型の健康志向のAI技術を、産業活動などの社会課題に応用する場合、社会を<制御>するという、とても政治的な問題に突き当たる。植民地主義や独裁政治の場合、社会を<制御>しているけれども、持続可能な社会にならないことは歴史的に明らかだろう。自由で民主主義的な社会であれば、多少は希望があっても、不健康なまま生きながらえているだけのような気もする。AI技術による植民地主義や独裁政治が論外であっても、現在のAI技術で実現できる社会の<制御>は、この程度のものかもしれない。筆者は、スピノザの哲学について考える以前は、社会は<制御>できないし、<制御>しようと試みないほうが良いという、無政府主義(アナーキズム)の考え方に近かった。この問題も、哲学的すぎるので、最後に言及する。現実としては、産業革命以降の産業活動が、地球環境を破壊し、深刻な社会問題を放置して、筆者を含めて多くの人びとは、持続可能な未来を信じることができなくなっている。そこに加えて、本質的に不健康なAI技術が急速に発展して、最先端技術を経済や政治では<制御>できなくなってしまった。そのような状態で、AI技術を使い続ける無政府主義(アナーキズム)は、虚無主義(ニヒリズム)かディストピアとしか言いようがないだろう。とにかく健康なAI技術を実現して、近代以降の歴史から逸脱した社会を、制御可能な状態にすることが第一優先だ。
◆予測制御に参加する制御される自分自身
産業活動において、参加型で健康なAI技術とはどのようなものなのか、もう少し深掘りしよう。機械学習された知識を使って産業活動を行うAI技術は、人びとよりもはるかに多くのデータを学び、製品の製造や販売に関する判断の合理性や合目的性は、人びとの能力を凌駕(りょうが)している。労働者だけではなく、経営者にとっても、AI技術は教師や指導者の役割であって、ある範囲(産業組織の内側)において、人びとはAI技術の指示に従うことになる。しかし、人びとが組織(プロセス)の外側から組織活動を観察するときには、新たなデータを取得しながら学習して判断するので、既存のAI技術を制御する立場となる。人びとは<自由>に、組織の内側と外側を往来できるけれども、AI技術は、組織(プロセス)の内側にとどまる。組織(プロセス)と記載するときに意識していることは、組織(システム)とは考えていないことだ。現在のAI技術は、組織(システム)の一部として理解されているけれども、少なくとも組織内で、自律的に移動できるロボットのようなAI技術の場合は、組織(システム)という静的な役割よりも、分散処理が可能な、組織(プロセス)という動的な役割を想定することになるだろう。動的な役割の場合は、複数のAI技術において、相互に矛盾する判断や行動も容認することになる。
社会的活動の制御を、古典的なフィードバックコントロールで実現することは、軍隊のような組織以外では困難で、一般的な産業活動の生産性や創造性を向上させるとは思えない。モデル予測制御の場合は、組織の状態を表現するモデルをデータから推定しながら、そのモデルが予測する未来を最適化するように制御するので、産業活動の生産性や創造性をデータによって評価できれば、天気予報に従うような感覚で、自然に組織(プロセス)が制御される可能性はある。前提条件として、組織(プロセス)に参加する人びとが、<自由>に、外側から組織を批判的に評価できることがとても重要になる。会社組織での雇用関係が<自由>であることよりも、組織の構成員が、組織活動以外の<生活>において自由であること、生活者の視点から組織(プロセス)の外見を評価することが、<健康>なAI技術には不可欠ということだ。組織活動が社会にできるだけ透明である(データを公開する)ことは重要だけれども、組織の参加者は、組織の内外の移動が制約されず、新たなデータを取得したり、AI技術をアップデートしたりする提案権も有する。
上述の物語は、AI技術と<共存・共生・共進化>する近未来の産業活動の物語であって、現在の会社組織や政治システムにおいて、既存のAI技術で実現されるとは考えていない。健康なAI技術を想像するための演習問題(思考実験)程度に受け止めてもらいたい。身体的な健康データが、人びとの生活と無関係に考えようがないことと同じように、組織活動の健康データも、人びとの生活からの視点が最重要で、組織の周辺でのデータ(組織の外見)を自覚的に制御することを想定している。深い議論はできないけれども、近未来のデータ文明においては、意思決定は大量のデータを使って行われるので、人びとの得意分野ではなく、確率的に判断ミスを許容するため、最適な意思決定である必要もない。人びとが参加する組織活動においては、意思決定ではなく提案権が最重要で、多数の提案を整理して審議する民主的なプロセスを工夫する必要がある。
◆スピノザ哲学の封印を解くデータエチカの構想
筆者がニュース屋台村に記事を書くようになったのは、ニューヨーク在住のアーティスト中里斉(故人)との会話がきっかけだ。中里斉(※参考、https://www.artcourtgallery.com/artists/nakazato/ )はミニマルアートを出発点とする版画家で、ニューヨークでモナドシリーズを制作していた。ライプニッツのモナドロジーを読んだことがあるかという質問に、数学者としてのライプニッツは大天才だと思うけれども、哲学はよくわからないと答えた。モナドシリーズは中断され、新しい創作にチャレンジし始めた時に、突然他界してしまった。その後、かなりの時間がたって、偶然、ライプニッツではなく、スピノザの哲学に興味を持つようになった。以下に、長文になるけれども、過去記事から引用してみたい
>>>スピノザが主著エチカで語ったこと、それは「属性」に関する決定論だった。現代フランスの哲学者でスピノザ研究の顕学、ジル・ドゥルーズは最後までスピノザにこだわり、「スピノザと3つの『エチカ』」(『批評と臨床』〈河出書房新社、2002年〉)という文章を遺している。「属性」に関する決定論を、公理と証明によって展開した共通概念としてのエチカは第2のエチカであって、第1のエチカ、注解に記された「記号」と情念としてのエチカ、第3のエチカ、第5部における「本質」が、証明というよりも自明なことがらとして簡潔に記載されるエチカ、が重層的にエチカ(倫理書)の世界を構成しているという。ジル・ドゥルーズはスピノザが語らなかったエチカ、「所与」に関する非決定論の世界については多くを語らない。「所与」としての個体差について、ライプニッツが多少書き残しているけれども、ライプニッツはバロックの世界なので、結局、スピノザの「光」しかない色彩の世界のほうが近代の出発点となった。(※過去記事参照、2019年2月26日、ウイルス・人工知能・人類の共存・共生・共進化:データエチカ(2) )
スピノザが<近代>の扉を開いたのは、デカルトに続く偉大な哲学者であり、スピノザ自身が哲学の自由を求めるためだった。その意味で「近代の出発点」という表現は間違いではないと思うけれども、技術の世界、産業革命やコンピューター技術については、ライプニッツが「近代の出発点」であることは疑いようがない。記事を記載した当時の、データ論としての「データエチカ」の構想は、ライプニッツのモナドロジーが引っかかったままで、属性に与えられた所与としての個別の<データ>について、「スピノザが語らなかったエチカ」で「非決定論の世界」としてしか理解できていなかった。
しかし、当時は元気が良く、ウイルスのデータをモデルにして「非決定論の世界」を冒険しようとしていた。この冒険は、COVID-19パンデミックの社会現象を体験してから、封印することにした。今では、「スピノザが語らなかったエチカ」は、第4のエチカで、スピノザ自身が封印した未来ではないかと考えている。スピノザが語った3つのエチカは、近代の扉を開けてしまったスピノザの、「未来への説明責任」なのだろう。哲学の自由には「未来への説明責任」がともなうことを、実践した哲学者は少ない。「およそ崇高なものほど、困難なものであり、かつ稀(まれ)なものでもあるのだ」というエチカの結語は、未来を封印するために書かれたのだろう。
AI技術が暴走する現代において、無謀にも、スピノザの封印を解いてみたい。大天才のライプニッツでも見破ることのできなかったスピノザ哲学の秘密は、無神論や汎神(はんしん)論ではなく、モナドの集団の形であって、スピノザが語らなかった民主政治の限界と、データ化される人びとの生活について、再度、「データエチカ」にまとめるチャレンジを構想している。データのモデルとしては、身体と社会のP4健康データを想定している。筆者としては、以前のデータ論『スモール ランダムパターンズ アー ビューティフル』以上の内容をまとめる能力も時間もない。しかし、哲学的な意味での技術論としては、歴史的などこかの哲学に接続させないと、根無し草になってしまう。「データエチカ」として、スピノザのエチカに接続して、未来への封印を解いてみたい。筆者の哲学的な冒険は、筆者なりの「未来への説明責任」となるだろう。
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『みんなで機械学習』は中小企業のビジネスに役立つデータ解析を、みんなと学習します。技術的な内容は、「ニュース屋台村」にはコメントしないでください。「株式会社ふぇの」で、フェノラーニング®を実装する試みを開始しました(yukiharu.yamaguchi$$$phenolearning.com)
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