山口行治(やまぐち・ゆきはる)
株式会社ふぇの代表取締役。独自に考案した機械学習法、フェノラーニング®のビジネス展開を模索している。元ファイザージャパン・臨床開発部門バイオメトリクス部長、Pfizer Global R&D, Clinical Technologies, Director。ダイセル化学工業株式会社、呉羽化学工業株式会社の研究開発部門で勤務。ロンドン大学St.George’s Hospital Medical SchoolでPh.D取得(薬理学)。東京大学教養学部基礎科学科卒業。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。
◆アレルギー
△政治の世界では、今世紀になってアレルギー反応が増加している。通常なら害にも敵にもならない相手に、過剰に反応してしまう。SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)で、どうでもよいようなコメントに炎上してしまうのも、似たような社会現象で、社会的なアレルギー反応かもしれない。特定の人びとにアレルギーがあると、社会が分断されるだけではなく、不必要にストレスが高まり、社会全体が「生きにくく」なる。
政治の世界のアレルギーが、“関税戦争”などで、経済の世界にも拡散してくる。中世の魔女狩りのような思想的アレルギーは、さらに困ったもので、学問・文化・芸術などに拡散して、生活の中にまで、突然、強烈なストレスと違和感が現れる。
よくある数学アレルギーは、簡単に回避したり無視したりできるという意味で、大きな問題にならないし、おそらく人類史の中で、数学アレルギーが増加しているということもなさそうだ。
○人類にとって、医学的な意味でのアレルギーが、最近急速に増加していることは、大きな問題だ。推計で地球全体の人口の30%から40%が何らかのアレルギー疾患を有していて、そのうち数百万人の疾患は、生命を危険にさらすほど重篤(じゅうとく)だという『アレルギー 私たちの体は世界の激変についていけない』(テリーサ・マクフェイル、東洋経済新報社、2024年)。もっと大きな問題は、アレルギー疾患に関連するビジネス、アレルギービジネスは、巨大な市場規模となっていることだ(2026年までに、全世界で520億米ドルになると見積もられている)。
保健医療が不十分な米国では、経済力が生命にかかわる格差を生んでいる、直近の問題だ。バイオ医薬品などの医療技術の進歩があっても、膨大な人口のアレルギー疾患を解決する「出口戦略」は全くない。単純に言えば、アレルギーは、暴走する近代文明の、社会問題なのだ。
人口減少も、先進諸国における社会問題で、「出口戦略」は全くない。人口減少とアレルギー疾患の増加は、お互いに問題を増幅して、社会を不安定化し、未来を不確実で悲観的にする。異常気象や生物多様性の消失も大きな問題ではあっても、直近の自分自身の問題ではない。おそらく、こういった問題群は、相互に関連していて、文明論的な変革、新しいルネサンス、天地逆転する新機軸によって、悲観的な未来を楽観的な未来に逆転するか、未来が無くなるかといった選択しかなさそうだ。
文明論的な変革のためには、現在は過去よりも良くなっている、過去は良かったなどという、一部の幸運な人びとによる、ノスタルジックな時代認識を、根底から否定する必要がある。過去と現在を悲観して、哲学的な責任を自覚することからしか、楽観的な未来は生まれない。
◎本論では、認知症と共に生きる時代認識を基調としている。認知症ビジネスは、そのスケールと社会的影響力において、アレルギービジネスとは比較にならないほど大きいけれども、その「出口戦略」は、山頂から見る別の風景といった具合で、探索路を何段階にも未来に延長せざるを得ない大冒険だ。当面の「データ化学の沃野(よくや)」(前稿参照:参考1)にとって、アレルギービジネスの山頂から見る別の風景がどのようなものなのか、直近の問題に取り組んでみよう。
●アレルギーのデータで、データアレルギーを克服しよう。アレルギーの症状の有無や、医学的な診断とは無関係に、アレルギーのデータを網羅的に収集する方法を工夫したい。すでに、GC/MS(ガスクロマトグラフ質量分析)による体液中の有機酸の一斉分析について記載したので(※参考1)、空気中微粒子の画像解析のデータを追加して、機械学習することを考えている。食品アレルギーの場合も、消化管よりも、呼吸器への直接的な暴露(ばくろ)が、重大な問題になることが多い。動物の毛によるアレルギーも、何らかの微粒子が関与していても不思議ではない。未知の微粒子の場合、顕微鏡レベルでの赤外線分析などの、顕微分光技術が役立つはずだ。筆者としても、顕微分光は、新入社員時代のプロジェクトで、全く成果が無くて申し訳ない気持ちとともに、なつかしい。
◆ミュージアム
△日本語では、博物館と美術館、どちらも英語ではミュージアムだ。美術館はアートミュージアムで分かりやすいけれども、博物館は、ヒストリーミュージアムや、ナチュラルヒストリーミュージアム、サイエンスミュージアムなど、個性的なミュージアムがたくさんある。前稿では、福島県年縞(ねんこう)博物館を紹介した(※参考1)。年縞博物館は、記憶があるだけでも、3回以上訪問した、日本が誇る個性的な博物館だ。そうはいっても、大英博物館は、入場無料で、20回以上は(一部は仕事で)訪問している。
○ミュージアムが大好きな筆者としては、やはり大好きな図書館(ライブラリー)との違い、棲(す)み分けが気になる。「データ」ライブラリーと「データ」ミュージアムの違いといえば、本論の文脈に近くなるだろうか。この場合は、圧倒的に「データ」ミュージアムが好ましい。図書館でも企画展を工夫しているけれども、文学館の企画展には遥(はる)かに及ばない。「データ」ミュージアムの企画展を考えることが、筆者の仕事になるかもしれない、などと夢想している。
◎学校教育、特に小学校や中学校の義務教育においては、各県および各市町村の教育委員会の役割が重要であることは納得できる。しかし、教育委員会が図書館や博物館に関与するのは、教育と学習を混同しているとしか思えない。教育の立場からは、学習は教育の一環かもしれないけれども、生涯学習やリスキリングなど、学習の立場からは、教育から自立ことが望ましい。教育は社会システムであって、学習は個人的なプロセスだ。学習は機械学習することも、集団で学習することもありうる。ライブラリーは個人的な学習が中心で、ミュージアムは、集団での学習や「遊び」の要素も付加される、体験学習の場だ。
教育は、特に大学などの高等教育においては、図書館や博物館における自主的な学習から逆に学んで、教育に反映することも考えられる。公共的な学習の場は、教育システムとは独立しているほうが望ましい。そうはいっても、教育ビジネスも、学習ビジネスも、資本主義社会においては、カネ・カネ・カネでコントロールされている。
筆者は「効率的な政府」論者で、中小規模の民間企業だけではなく、NPOやNGOなどの非営利団体が進化しながら活躍する「社会」が望ましいと考えている。そうはいっても、大企業やグローバル企業での就労経験もあるし、特に国家レベルでの産業規制が必要な場合には、業界団体の役割にも肯定的だ。
●資本主義社会は、市場経済の社会システムだ。おそらく、カール・マルクスの「資本論」が見逃していたことは、資本市場がカネ・カネ・カネでコントロールされていたとしても、資本市場は均質ではなく、不確定に進化していることだ。例えば国家がコントロールする金融市場であっても、暗号通貨のように、異質な市場が混在するし、ブラックマネーの暗黒市場も存在する。宇宙にもブラックホールがあって、銀河内や銀河間で物質の分布が均質ではないように、マネーや市場の分布も、歴史的に均質であったことは無いし、未来的にも均質(単純な米ドル換算)にはならないのだろう。
資本主義社会は本質的に不均質で、不確定な進化の途上にある。資本主義社会は、近代の機械文明と相性が良かったようだけれども、近未来のデータ文明においても、その進化は止まらないかもしれない。筆者が感動したのは、東京都写真美術館におけるケシ栽培の地理分布と暗黒市場の可視化の展示だった(※参考2)。戦争や武器の流れと、不気味に一致している。戦争は、ブラックマネーを戦死者に変換する、究極のマネーロンダリングだ。「データ」ミュージアムの企画展示にふさわしい。
◆経済化学
△前稿(※参考1)における造語「データ」化学は、筆者なりの、日本の化学産業へのサポーター記事のつもりだ。以前、データ論をまとめていた時、「経済化学」という造語を使ったことがある(※参考3)。長い引用だけれども、「データ」化学は、熱力学の法則を応用した経済学、経済化学における「データ」活用という位置づけになる。
――集団の個体差を機械学習することが可能になった場合、わたしたちは機械から学ぶことができるのか、という仮想の話を考えてみた。例えば集団における経済合理性について、人間的な経済学ではなく、自然科学における熱力学の法則を応用した経済学、経済化学を機械から学ぶことができるのだろうか。経済化学によって、正確な予測が可能な市場(precision market)が出現するという考えは、正確な薬効予測が可能な薬剤(precision medicine)から借用しているので、わたしにとっては20年間考えている課題の応用問題でもある。この課題を、40年間考えた「個体差とは何か」という哲学的な設問ではなく、データの機械学習という技術的な課題として、社会・経済の文脈の中で、課題自体を再定義することから始めている――
○熱力学の法則として、当時考えていたのは、エントロピー増大の法則(第2法則)だった。非平衡(ひへいこう)系の熱力学で、化学現象の物理的理解に革新的な発展をもたらしたノーベル化学賞受賞者、現代のポリマス(博識家)、イリヤ・プリゴジン(1917~2003年)の影響だった『化学熱力学Ⅰ』(プリゴジーヌ、デフェイ、みすず書房、1966年)。株式市場では、活発な取引があって株価が上昇していると「過熱している」、取引が少なく株価が下降していると「冷えている」など、温度の比喩(ひゆ)が使われる。財政出動による経済エネルギーの注入により、株式市場の温度が上昇する。経済エネルギーの分配(分布)によって経済エントロピーが計算できるのではないか、といったアイデアレベルの話だ。
熱力学、特に化学熱力学は、万物の理論として、量子力学と同等か同等以上に重要な理論だと考えている。筆者の職歴としては、量子力学は、核磁気共鳴(NMR)分析のデータ解析として、化学熱力学は、熱分析として、実験データとともに実務経験により学習してきた。化学会社の研究所では、新規物質の特許出願に不可欠な分析技術で、難解な理論を楽しむ社員の仕事としては悪くなかった。その化学熱力学が、統計力学の発展によって、本格的な非平衡状態、相転移や臨界現象にまで応用可能になった(『相転移・臨界現象とくりこみ群』〈高橋和孝、西森秀稔、丸善出版、2017年〉)。
「集団の個体差」について、前稿(※参考1)の最後に記載したこと「組織レベル、社会レベル、国家レベルなど、個体集団の階層を、くりこみ(renormalization)もしくは入れ子(nested)な構造として理解しようとしている」が、まさに化学熱力学において理論化されていることには驚いた。経済化学に大きく接近した気がする。
◎ここまでくると、実際にデータがあれば、経済化学は計算可能になる。地球上にどれだけの数の市場があるのかは知らないけれども、たぶん、1万以上1000万以下、といった程度だろう。それぞれの市場が、貨幣によって運営されていても、経済エネルギーの出入りが不確定で不均質な市場だ。市場の温度とエントロピーは、それぞれの市場ごとに評価する必要がある。支配的な市場、例えば金融市場や株式市場を評価できたとしても、市場全体のコントロールは、支配的な市場(ハブ市場)ではなく、市場ネットワークの中間層に存在する可能性が大きい。
経済化学は、国家レベルのマクロ経済学と個人(経営者)レベルのミクロ経済学の中間レベルの経済理論になるはずだ。それぞれの市場は、場所(地域)と市場関係者(産業)によって、疎視化されたり、くりこまれたりする。そのような市場の経済状態量を、網羅的に収集できるのだろうか。市場の周辺を徹底的に観察して、定点観測することから始めよう。市場の取引データを予測するためのオルタナティブデータは、ビジネスとして有償で入手可能だ。しかし、市場間の関係や、ブラックマネーも含めて、市場経済の熱力学モデルを構築するのであれば、くりこみ理論が最有力になる。とにかく、市場内と市場間のマネーもしくは信用の分布を評価しうるデータが必要だ。まずは簡単な群れのモデル(ライフゲーム)で疑似的な社会の「データ」を量産して、「データ」と遊ぶことにしよう。
●最近では、核武装が国家安全保障の現実的な選択肢として、日本を含む多くの国で議論されているらしい。筆者の考えでは、遅れて核武装するよりも、核兵器より危険な、化学兵器や生物兵器の「議論」を優先すべきだろう。ウイルスなどの生物兵器は、本当に危険すぎる。戦争の抑止力という、バカすぎる限定された意味では、化学兵器が最有力だ。化学物質による「アレルギー爆弾」を実現すれば、民族全体を殺傷しなくても、軍事的には、確実に有利な立場に立てる。
「認知症爆弾」は、すでに覇権国家において、国内治安のために、バラまかれている。ブラックマネーも含めた経済化学は、軍事産業のアキレス腱(けん)を解明して、本当に有効な経済制裁の戦略立案に役立つはずだ。現在のマクロ経済学が、戦争抑止力という意味において、全く無力であることを、核武装論によって隠蔽(いんぺい)することは、人類の不幸でしかない。
◆生活データとのデータ生活
△化学熱力学のくりこみ理論(スケーリング則)は、驚くほど普遍的な、現象論だ。自然は、線形的な時間と空間によって構成されているのではなく、再帰的な、曼荼羅(まんだら)、もしくは劇中劇によって記述されるのだとすれば、近代文明の世界観が、天地逆転する。再帰的な関数は容易に想像できて、コンピュータープログラムとして実現できても、再帰的な機械は設計できない(機械が機械を設計しない限り)。
○『店長がバカすぎて』(早見和真、角川春樹事務所、2019年)は、書店を舞台とする大衆小説だ。小説の劇中劇を巧(たく)みに構築して、社長がバカすぎてから、自分自身がバカすぎてまで、スケーリング則により、小説の作者も含めて、みんながバカすぎる生活を、愛と希望で描いている。大統領がバカすぎてでも、裁判長がバカすぎてでも、スケーリング則は普遍的に成立する。
◎各人の生活は、本質的に多様だけれども、普遍的でもある。経済や政治の理論は、哲学的な論理ではなく、生活の「データ」によって裏づけられない限り、信じる必要はない。生活「データ」は、数字の羅列であって、単純な言葉ではないけれども、長編小説のような物語となる可能性はある。生活「データ」は、私たち自身に帰属するもので、企業や国家が所有すべきものではない。逆に、企業や国家の「データ」は、直感的には意味不明なので、みんなで機械学習するために、公開される必要がある。
●「ニュース屋台村」に記事を書き始めた8年前、筆者なりの「データ論」の萌芽(ほうが)となる、「スモール・イズ・ビューティフル」への共感は、覇権国家が主導するビッグデータやAI(人工知能)技術への反感でもあった(※参考4)。その反感は、今や「アレルギー爆弾」や「認知症爆弾」となっている。「店長がバカすぎる」のであれば、劇中劇で収(おさ)まっていても、人類がバカすぎる場合は、ウイルスがバカすぎる、という「真実」に直面することになるかもしれない。
※参考1:『みんなで機械学習』第58回「データ化学の沃野」(2025年3月19日付)
https://www.newsyataimura.com/yamaguchi-140/#more-22180
※参考2:『データを耕す』番外編1「恵比寿映像祭の『ポピー:アフガン・ヘロインをたどって』」(2017年2月17日付)
https://www.newsyataimura.com/yamaguchi-141/#more-6379
※参考3:『みんなで機械学習』第14回「ディストピア」(2023年1月5日付)
https://www.newsyataimura.com/yamaguchi-84/
※参考4:『データを耕す』第6回「コーディングの魔術と『辞書の国』」(2017年4月27日付)
https://www.newsyataimura.com/yamaguchi-112/
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『みんなで機械学習』は中小企業のビジネスに役立つデータ解析を、みんなと学習します。技術的な内容は、「ニュース屋台村」にはコメントしないでください。「株式会社ふぇの」で、フェノラーニング®を実装する試みを開始しました(yukiharu.yamaguchi$$$phenolearning.com)
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