もう若くないから
『みんなで機械学習』第60回

4月 23日 2025年 社会

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山口行治(やまぐち・ゆきはる)

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株式会社ふぇの代表取締役。独自に考案した機械学習法、フェノラーニング®のビジネス展開を模索している。元ファイザージャパン・臨床開発部門バイオメトリクス部長、Pfizer Global R&D, Clinical Technologies, Director。ダイセル化学工業株式会社、呉羽化学工業株式会社の研究開発部門で勤務。ロンドン大学St.George’s Hospital Medical SchoolでPh.D取得(薬理学)。東京大学教養学部基礎科学科卒業。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。

⚫無茶苦茶な記事

筆者なりの「データ論」としてまとめた「スモール・ランダムパターンズ・アー・ビューティフル」(『みんなで機械学習』第10回~第42回)以降の宿題記事は、ブレーキが利かなくなった「データ論」番外編の暴走だ。意味不明な「データ論」にお付き合いいただいた読者の皆様への感謝の気持ちとして、近未来の「データ文明」に至る、経済的な含意を模索したつもりだった。

再読すると、筆者の能力の限界を超えた、無茶苦茶(むちゃくちゃ)な記事で、気楽なフィクションかジョークとして読んでいただくしかない。その無茶苦茶な記事も、今回の核融合の話で最後にしよう。

核融合がエネルギーコストを消滅させる

宇宙には、核融合する星のエネルギーやダークエネルギー(全宇宙空間に存在する仮説上のエネルギー)が充満している。宇宙では、エネルギーコストはゼロだ。しかし、仕事に使えないエネルギーは経済的には無意味だとすると、蒸気機関の熱効率を計算することから始まった熱力学の出番になる。熱力学は化学反応の理論であり、化学工業が得意としている。ところが、フュージョンエネルギー産業利用(核融合)や原子力産業利用(核分裂)の場合、物理学の専門家が多く、化学、特に化学工業の関与はほとんどない。

近代の機械文明から、近未来の「データ」文明へのルネサンスにおいて、核融合技術が実現されれば、エネルギーコストが経済問題として消滅することで、文明論的な天地逆転が起こる可能性がある。現在の核融合技術では、2030年代に、投入したエネルギーよりも大きなエネルギーが、短時間でも再現性良く得られることが期待されている程度なので、核融合技術が実現できたとしても、エネルギーコストが消滅するとは言えない。

核融合が起きる条件は、水素やヘリウムが1億度以上のプラズマ状態になって、原子核が直接衝突する物理学的なプロセスだ。原爆(核分裂)のエネルギーを使って、水爆、すなわち水素の核融合の連鎖反応を作っている。もちろん、水爆では産業的なエネルギー源にならない。レーザーなどで小型かつ制御可能な核融合を実現しようとしている。

核分裂による原子力発電の場合、濃縮ウランの燃料棒を製造する過程には化学プロセスが含まれるけれども、燃料棒を輸入する日本では、放射能劣化の材料化学と機械工学の技術で十分だ。

筆者が化学工業の立場から考えると、核分裂の連鎖反応を、地球のマントルのように、鉱物溶解物の中で、緩やかに制御する技術が可能ではないか、より化学的なプロセスの基礎研究が欠落しているように思われる。そのような基礎研究の延長上に、核分裂反応が液相(または超臨界状態)で制御される化学的なプロセスにおいて、核融合反応を作る、化学の錬金術を発見できるかもしれない。

超高純度の単結晶シリコンの製造技術が半導体の基盤技術で、化学会社が活躍し、「シン石器時代」と呼ばれることもある。溶融シリコンにウランなどの放射性微粒子を分散させることができれば、核分裂反応の基礎研究が可能かもしれない。

筆者の限られた経験では、旧日本陸軍が戦場で簡易に医療画像を得るために作った「トロトラスト」(https://ja.wikipedia.org/wiki/トロトラスト)はアルファ線(ヘリウム4の原子核)を核分裂によって放出する、血管注射が可能なゾル状物質だ。放射性微粒子の候補物質はたくさんある。白金などの金属ナノ粒子の表面に、水素やヘリウムを吸着させて、シリコンなどに溶融できるかもしれない。溶融するのは、超高圧で臨界状態のキセノンなどの不活性ガスを利用する可能性もある。

化学の錬金術は、魔法使いの想像力と、化学実験の忍耐だけではなく、手術用MRI(磁気共鳴画像)で反応中の水素原子(プロトン)を直接観察する奥の手もある。化学は、物理学や工学の専門家とは異なる発想があり、しかも日本が得意な分野でもある。

星が死ぬとき

太陽などの恒星は、水素やヘリウムの核融合によって、鉄やニッケルなどの重い元素を作りながら、燃料が減少してゆく。太陽よりも4倍かそれ以下の小さい恒星の場合は、次第に暗くなり、白色矮星(わいせい)へと変化する。しかし、大きい恒星の場合は、核融合を行いながら、巨大で重い中心部が、ある時、突然爆発して、超新星爆発を起こす。超新星爆発によって、ブラックホールが形成されるという説もある。

全宇宙には、膨大な数の白色矮星があり、それぞれ個性的で、個性的な惑星とは別の意味で、恒星の老化の個体差は興味深い。核融合は宇宙に普遍的に存在する自然なプロセスだ。現在の核融合技術は、とても小さくて若い太陽(恒星)を地球上に作成することを試みている。若い恒星は、大きさが違う程度で、核融合反応は似ている。しかし、年老いた恒星(白色矮星)は、核融合と核分裂が微妙に入り混じった、複雑で個性的な構造になっていると思われる。

宇宙における白色矮星の研究と、地上の核分裂の基礎研究を組み合わせて、地上で白色矮星のような、年老いて緩やかな核融合反応が実現できれば、本当の意味で、エネルギーコストが消滅する天地逆転となるだろう。

もう若くないから

常温核融合(https://ja.wikipedia.org/wiki/常温核融合)にチャレンジするベンチャー企業があるようだけれども、筆者としては、宇宙に実在する白色矮星の核融合に学ぶほうが現実的ではないかと考えて、この無茶苦茶な記事を書いてみた。

どこかで、だれかが、常識を覆して、天地逆転するとしても、それは人間の常識を覆すだけで、人間は、自然界の常識に従うことしかできない。筆者は「自然界の常識」に、数学の常識も含めている。そして、私たちは「自然界の常識」の10%にも満たない、とても少ない常識しか持ち合わせていないのだろう。

それでも、私たちは、「もう若くないから」、少ない常識の範囲で、試行錯誤しながら生きてゆくしかない。日本の社会は、世界に先駆けて、若くはないことを自覚して、老化の個体差に活路を見いだそうという「提案」を、筆者なりの「データ論」の締めくくりとしたい。

⚫以下に、筆者なりの「データ論」の到達地点をまとめておきたい。

個体差の無い「データ」は、哲学的な意味での「データ」では無い

データ(data)は、哲学用語としては「所与」を意味する。筆者の慣れ親しんだ、古典的なデータサイエンスとしては、データベースにおいて、属性が定義された変数に「入力された値」が、実務での「データ」となる。したがって、古典的な実務での「データ」は、哲学の「属性」と「所与」の関係としても理解できる。

しかし、最近の生成AI(人工知能)のように、言語データや画像データの場合は、超高次元のベクトルや行列、テンソル(要素がベクトルで構成される行列)までも「データ」となり、しかも新種「データ」は膨大な量で急速に増加している。古典的な「データ」は、新種「データ」の特殊で少量しかない絶滅危惧(きぐ)種のようなものになった。しかし、哲学的な意味での「データ」の本質は変わらない。

「属性」は言語によって記述(定義)されているので、意味は明確だ。しかし、属性の値で、多くの場合に数字によって記述される「データ」(所与)の意味は、言語で明確に記述することが困難だ。例外は物理実験などで、信頼できる理論的な予測式があって、実験データは真の値(理論値)と実験誤差で理解できる場合だ。

光の速度は、真空中であれば、信頼できる理論値があり、測定が難しくても、測定誤差も正確に評価できる。物理実験でも、量子力学の場合は、本質的に測定に伴う不確定性があるために、真の値は、期待値でしかなく、実験誤差と真の値のバラツキ(確率変動)の区別が難しい。

経済理論の場合は、理論的な予測式の信頼性は、偶然に得られる「データ」よりも疑わしいかもしれない。医学データでは、期待値すら予測できなくて、個体差なのか偶然のバラツキなのか区別できない場合が多い。単純に言えば、「データ」の意味は不明で、意味が不明なので、「データ」の言語による記述は、独断や妄想と区別できない。「データ」の意味は不明であっても、「データ」の意味を探索する手順(プロセス)を言語で丁寧に記述して、少なくとも独断や妄想ではないことを信頼してもらうしかない。

「データ」が「所与」である限り、個体差の無い「データ」はありえない。ところが、その「個体差」とは何か、「所与性」について、17世紀の哲学者でポリマス(博識家)のライプニッツが問題を発見してから、ほぼ一歩も前進していない。

医学的な個体差を、遺伝子の分子的な差異によって説明しようとしても、遺伝子の差異が、実際の医学的な個体差のどの程度の割合を説明できるのかということすら分からない。場合によっては100%近く、場合によっては0%かもしれないのだから、本当に分からないとしか言いようがない。

国家が個体である限りにおいて(無理なく統治されているという意味)、国家にも個体差があるはずだけれども、国家の個体差には、歴史的背景はあっても、国民の遺伝子「データ」は無意味だ。

筆者の「データ論」は、筆者なりに50年近く、医学データの「個体差」について考えた実務的な作業仮説から出発する。「個体差は、個体差の表現の個体差」という仮説だ。

エンドウ豆の実験で有名な、メンデルの法則(1865年)では、遺伝子型と表現型という考え方があり、その表現型を一般化して「表現」と考えた。もともとの(例えば遺伝子型の)個体差を「表現」が増幅しているという仮説だ。

例えば、年齢とか性別は、遺伝子型(エピジェネティクス〈DNA塩基配列の変化を伴わない細胞分裂後も継承される遺伝子発現あるいは細胞表現型の変化を研究する学問領域〉も含めて)の差異が関係していることは確実だとしても、生活習慣病などでは、より広義の生活における年齢や性別による差異によって、生物学的な個体差が、文化的な「表現」によって増幅されていると考えることも不自然ではない。

個体差を「表現」する変数としては、3個以上7個以下程度を想定している。上限にあまり意味は無い。「表現」の表現空間として、あまり高次元になると、データの形(幾何学)が理解しにくくなることを、実務的に経験している。

個体差がある薬物動態データの場合、3次元では単純すぎて、7次元は実務経験の上限だった。「データの形」は、通常、2次元の散布図を使って可視化するので、3次元なら3個の散布図なのに、7次元では、21個の散布図が必要になる。個体で一般的に、年齢は時間に関する変数であると考えると、空間に関連する「場所」の表現が重要になる。性別も、身体の場所の表現と考えることもできる。個体差を「表現」する「場所」をどのように理解するのか(データ化するのか)ということを「スモール・ランダムパターンズ・アー・ビューティフル」で試行錯誤している。

個体差を「表現」する「場所」

西洋医学は、解剖学が基礎だ。現代では、X線CTやMRIなど、解剖しないでも身体の断面を画像にすることができる。実際に、医薬品の開発で、3D画像データから病巣の大きさ(体積や最大直径)を計算して、薬効を定量的に評価するプロセスを開発した経験がある。

通常の臨床診断では、医師の定性的な判断で十分な場合が多いけれども、多数の医療機関を含む臨床試験では、医師の判断が見かけの「個体差」になってしまうリスクがある。解剖学における確定診断は、細胞レベルでの検査が要求される。臨床診断は、細胞レベルでの解剖学的な知識に依存した画像データの解釈をしているだけだ。

そうはいっても、分子レベルでの病巣の変化を可視化したMRIやPET(陽電子放射断層撮影)の場合、多数(100人から1000人程度)の画像があれば、統計処理や機械学習によって、解剖学的な知識を必要としない臨床診断も可能になる。しかし、MRIとPETは、その原理が量子力学であるため、放射線科の専門医師であっても、その内部はブラックボックスで、通常の臨床診断以外の用途には、実務的には対応できない。物理学や機械工学の専門家およびデータサイエンスの専門家との協業が不可欠になる。

筆者の専門領域に我田引水するつもりはない。個体差を「表現」する「場所」は、とても複雑で、性別のように単純な場合は例外になることが言いたかった。性別であっても、体内の性ホルモンの状況は、医療画像だけでは理解できず、年齢と複雑な交絡関係がある。

さらに「場所」の場合は、見るスケールによって、細胞レベルや臓器レベルなど性質が異なってくる。細胞レベルでの変化と、臓器レベルでの変化が相互に関連する場合、個体差を「表現」する「場所」は、物理学やネットワーク理論での「くりこみ」の方法、スケール則などに類似して、さらに理解が困難になる。

特に、会社組織や社会などの個体差を「表現」する「場所」の場合、「場所」を構成する集団の内外を区別する「周辺」に注目することで、その「場所」の「表現」を理解できるかもしれない。しかし、境界の解像度を変化させると、フラクタル幾何学のようなスケール則が出現する。組織や集団における個体差を「表現」する「場所」において、スケール則が見いだされる可能性を発見したことが、「データ論」の到達地点となった。

「データ」の個体差について、その出発地点と到達地点が、哲学的な意味での「所与」の理解に貢献するかどうかは、筆者の能力では判断できない。しかし、データサイエンスとしては、比較的簡単なプログラムによって、古典的な統計解析と、最近の機械学習(特に深層学習)の中間程度の難易度で、個体差を無視できない「データ」を、ある程度モデル化して解析できるようになる。

比較的少ないデータで、個体差の予測精度が良くなるという、実務的な評価であれば、筆者自身が経験的に実感している。個体差を「表現」する「場所」それぞれのデータを使って、個体差の予測モデルを実証して、特許出願する可能性があるので、意味不明な記事であっても、経済的な価値を無視しないほうがよいかもしれない。

「データ文明」のルネサンス

筆者なりの「データ論」は、特許出願などによって、経済的価値があるかもしれない。しかし筆者としては、「ニュース屋台村」の連載記事は、近未来への希望を発見する冒険談のつもりだ。

ライプニッツの発明した万能計算機はAI技術に到達して、ライプニッツが考えた個体差の問題は、近代合理主義哲学の本流として、近代文明を形成して、行き詰まった。ライプニッツの先輩で、近代合理主義哲学の創始者デカルトを批判的に継承したスピノザは、自分自身の哲学の未来を封印した。そのスピノザの封印を解くときが、哲学的な意味で、近代の終焉(しゅうえん)になる。

近代の機械文明は、もう若くはない。すでに成長の限界を超えて、死に至る病にかかっている。AIやロボットは「データ」が無ければ活躍できない。それなのに、哲学的な意味では、個体差が無い「データ」は、「データ」ではないし、「個体差」とは何なのか、哲学的には、検討に値する仮説すらない状況なのだから、AI技術が行き詰まって当然だろう。現在のAIビジネスは、近代末期の、資本主義経済のバブルでしかない。

近未来への希望は、機械文明が「もう若くはない」ことを自覚することで、ある意味、日本の経済にとって有利な形で、しかし世界認識を天地逆転するほどのルネサンスとして、新たな探索路のどこかに、だれかが、見いだすはずだ。

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『みんなで機械学習』は中小企業のビジネスに役立つデータ解析を、みんなと学習します。技術的な内容は、「ニュース屋台村」にはコメントしないでください。「株式会社ふぇの」で、フェノラーニング®を実装する試みを開始しました(yukiharu.yamaguchi$$$phenolearning.com)

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